15年ぶりに「南京の真実」読破
今日は4月15日。再スタートから2日目。
前投稿に引き続き、南京事件に関する投稿です。
昨年末から、日中戦争に関するものを目にすることが多く、
いろいろ調べてきました。
特に上海~南京での戦いや出来事に関心があります。
参考までに、年月日を載せます。
1937年 8月13日 上海で、日本軍と中国軍の交戦が始まる。
8月23日 日本軍上海上陸作戦開始。
11月12日 日本軍、上海を占領。
12月13日 南京城陥落。日本軍が南京城内へ入城。
たくさん積読(つんどく)してある本の1冊、
「南京の真実」(ジョン・ラーベ著/講談社)を読みました。
1998年2月に買った本。15年ぶり。
日中戦争の南京事件を扱った本で、
当時南京にいたドイツ人の視点で、毎日の日記で書かれています。
買ったころはとても話題になっていた本です。
2009年には、この本を原作とする映画が作られています。
ドイツ、中華人民共和国、フランスの合作でした。
しかし、この映画は日本では上映されていません。
日本のどこの映画館も上映を拒否したようです。
とにかく、南京事件はデリケートな事件なのです。
本「南京の真実」も、誤訳がたくさんあると指摘された本のようで、
資料として一級品という人もいれば、フィクションだという人もいる本です。
私はぐいぐい引き込まれて読みましたが、誤訳がたくさん!
これにはショックでした。
でも印象に残った文章を転記します。
1937年11月6日
(中略)
いや、驚いた。新聞によると、中国軍が、強力な日本軍と上海で戦っているという。
ドイツ人の軍事顧問が鍛え上げたえりすぐりの南京部隊が
上海に派遣されていたのだが、すでに三分の二が戦死したらしい。
いくら精鋭部隊といえども、武装が十分でなければどうしようもない。
日本の近代的な軍隊は、巨大な大砲や無数の戦車、爆撃機をそなえている。
中国とはくらべものにならない。 (42p)
以前、日本軍に加わっていた人の文章を読みました。
※「上海敵前上陸」(三好捷三著)
※参考:以前の投稿 「上海上陸作戦その1」html
そこでは、日本人も十分な武器も配給されずに苦戦したことが書いてありました。
お互い苦しい戦いを余儀なくさせられていたのでしょう。
1937年12月10日
不穏な夜だった。きのうの夜8時から明け方の4時ごろまで、
大砲、機関銃、小銃の音がやまなかった。
きのうの朝早く、すんでのところで日本軍に占領されるところだったという話だ。
日本軍は光華門まで迫っていたのだ。
中国側はほとんど無防備だったという。
交代するはずの部隊が現れなかったのに、中隊はいくつか残しただけで、
予定通り持ち場を離れてしまったのだ。
この瞬間に日本軍が現れた。
あわやというところで交代部隊がたどりつき、
かろうじて敵軍を撃退することができたという。
今朝早くわかったのだが、日本軍は昨夜、
給水施設のあたりから揚子江まで迫ってきていたらしい。
遅くとも今夜、南京は日本軍の手に落ちるだろう、だれもがそう思っている。(後略) (93p)
南京で、上海から日本軍が迫ってくる様子を、
ラーベは詳しく書いています。
ラーベは、兵士でない中国人や、外国人が戦いに巻き込まれないように、
南京の中に安全区を設けることに奔走していました。
中国兵が安全区に紛れ込むのを憂い、出ていくように説得しています。
安全区は武装解除していなければ、日本軍は認めないと考えたからです。
(次の投稿につづく)
こんばんは。
道草さん、すごい勢いで更新ですね。いろいろと勉強させていただいています。
私も、もう十年以上も昔にですが、同じようなことに興味を持ち、少しですが本を読みました。
20万人の都市で30万人が殺されるとか、「百人斬り」がでまかせから真実へと変わってしまったこと、それによって処刑された日本人将校のことなど、情報の少なかった昔では仕方がなかったとはいえ、今の政治にも関わってきていることを考えると、残念な話であると思います。
ありがたいことに、どうやら教科書には載っていないようなので、それが「一般的史実」にまではなっていないようです。(そう思いたいです)
この話題の更新がまだまだ続きそうですね。
たくさん学ばせていただきます。
ありがとうございます。
本当に復活ですね。みなさんからのコメントも、とてもわくわくしている感じがします。素晴らしい方たちに囲まれ、うらやましい限りです。
また来ます。
投稿: hot tea | 2012年4月15日 (日) 22:48
hot teaさん、おはようございます。
このテーマにコメントを届けてもらいうれしかったです。
hot teaさんも関心がおありだったのですね。よかった。
とりあえず、このテーマの調べのクライマックスは、
今朝投稿した2009年の映画「ジョン・ラーベ」についてです。
この映画の存在を知ったのは驚きでした。
歴史の難しさを実感しました。
休んでいる最中にメモしてあったことがあります。
それを手直しすると投稿できるので、
しばらくは更新スピードが多くなりそうです。
ちゃんと治療してたのかと、言われてしまいそうです。
でも読んでくれている人たちがいることが励みになります。
投稿: いっぱい道草 | 2012年4月16日 (月) 04:35