百人一首と大津波/波分神社
今日は4月24日。
4月8日に放映された「NHKスペシャル Ⅱ ② 津波はどこまで巨大化するか」
を見ました。
印象的だったのは、遠い過去の大津波の到達地点を示すものが残っていた話です。
番組でのナレーターの語りを聞き書きします。
仙台市にある波分(なみわけ)神社。
津波はここまでやってきたと伝えるために「波分」とされたと伝えられています。
今回の震災でも、神社のすぐ近くまで津波が押し寄せました。
仙台市の北、多賀城市。
津波が到達した住宅地のとなりに、「末の松山」があります。
「末の松山 波こさじとは」
百人一首に読まれました。
貞観(じょうがん)津波のときにも、
ここまでは波が来なかったと言い伝えられています。
契りきな かたみに袖をしぼりつつ 末の松山 波越さじとは (清原元輔)
現代語訳 約束したのにね、お互いに泣いて涙に濡れた着物の袖を絞りながら。
末の松山を波が越すことなんてあり得ないように、決して心変わりはしないと。
※参考「百人一首講座」html
波分神社ももちろんですが、この歌の「末の松山」は実在し、
今回もそこには津波は届かなかったというのは、
1000年以上の年月がたっているだけに、スケールの大きな話です。
貞観津波は869年のこと。
清少納言のお父さんである清原元輔は908~990年生没。
貞観津波からあまり時がたっていないので、
「末の松山」に津波が届かなかったという話は、京都に伝わっていた可能性があります。
そして歌に使われたのでしょう。
クラスでよく百人一首をやって、何度も読んだ歌に、そんな歴史があったなんて・・・・
まだまだ勉強不足でした。
遠い昔の人たちのメッセージが今回どれほど役に立ったのでしょうか?
地元愛知県も近い将来大震災が起こる可能性が高いです。
昔の人たちのメッセージで、見逃しているものはないのかな。
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