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2012年4月24日 (火)

百人一首と大津波/波分神社

  

今日は4月24日。

   

4月8日に放映された「NHKスペシャル Ⅱ ② 津波はどこまで巨大化するか

を見ました。

印象的だったのは、遠い過去の大津波の到達地点を示すものが残っていた話です。 

   

番組でのナレーターの語りを聞き書きします。

   

仙台市にある波分(なみわけ)神社。

津波はここまでやってきたと伝えるために「波分」とされたと伝えられています。

今回の震災でも、神社のすぐ近くまで津波が押し寄せました。

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仙台市の北、多賀城市。

津波が到達した住宅地のとなりに、「末の松山」があります。

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「末の松山 波こさじとは」

百人一首に読まれました。

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貞観(じょうがん)津波のときにも、

ここまでは波が来なかったと言い伝えられています。

   

 

契りきな かたみに袖をしぼりつつ 末の松山 波越さじとは    (清原元輔)

現代語訳 約束したのにね、お互いに泣いて涙に濡れた着物の袖を絞りながら。

      末の松山を波が越すことなんてあり得ないように、決して心変わりはしないと。

※参考「百人一首講座」html

   

波分神社ももちろんですが、この歌の「末の松山」は実在し、

今回もそこには津波は届かなかったというのは、

1000年以上の年月がたっているだけに、スケールの大きな話です。

貞観津波は869年のこと。

清少納言のお父さんである清原元輔は908~990年生没。

貞観津波からあまり時がたっていないので、

「末の松山」に津波が届かなかったという話は、京都に伝わっていた可能性があります。

※参考「備忘録として 末の松山 波越さじとは」30

そして歌に使われたのでしょう。 

クラスでよく百人一首をやって、何度も読んだ歌に、そんな歴史があったなんて・・・・

まだまだ勉強不足でした。

  

   

遠い昔の人たちのメッセージが今回どれほど役に立ったのでしょうか?

地元愛知県も近い将来大震災が起こる可能性が高いです。

昔の人たちのメッセージで、見逃しているものはないのかな。

 

 

 

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