「プロ野球を変えた男たち」1 若林忠志と応援歌
今日は4月20日。再スタートから7日目。
また鈴木明さんの本を読みました。これで5冊目。
前回と同じくプロ野球の本です。
「プロ野球を変えた男たち」(鈴木明著/新潮文庫)です。
鈴木明さんの、いかにもその場にいたような臨場感ある描写に、今回も引き込まれました。
プロ野球が、現在のように2リーグ制になったのは昭和25年でした。
その年の日本シリーズは、松竹ロビンス(セ・リーグ)と毎日オリオンズ(パ・リーグ)でした。
第1試合で先発・完投して勝利投手になったのが、毎日オリオンズの若林忠志さんでした。
この本は、第1試合の様子と、2リーグ制になっていく過程を織り交ぜて描かれたノンフィクションです。
いろいろな人が出てきますが、中心は若林さんでした。
若林さんは戦前から法政大学・日本コロンビアの野球チームで目立ったプレーヤーでした。
その後、タイガースに入団。戦後再びタイガースで選手として監督として長く活躍。
1953年に毎日オリオンズで選手を引退しました。
昭和21年、タイガースに復帰した若林さんは、22年は監督兼選手として契約をします。
若林は「太平洋水産」の経営を妻の房にまかせ、石巻をあとにした。
昭和22年1月の終わりだった。
キャンプは2月1日からやっと進駐軍に接収を解除してもらったばかりの甲子園で行われた。
2月はじめの甲子園は、手がちぢかむように寒い。
タイガースの応援歌は「六甲颪(おろし)に颯爽と、蒼天翔(か)ける日輪の・・・・」
という文句からはじまる。
これは若林がコロムビアにいた関係で、古関裕而(こせきゆうじ)が作曲したものであった。
「六甲颪は、トレーニングにはよくない」
と若林は苦笑した。それが、22年シーズンの始まりだった。 (142-143p)
あの有名な「六甲颪」と若林さんは関係していました。
若林さんがタイガースに入団した1936年(昭和11年)に作られた応援歌でした。
古関裕而さんは、NHKのスポーツ中継のオープニング曲で有名な
スポーツ・ショー行進曲を作曲した人でした。
もうお馴染みの曲ですよね。1949年発売。タイガースの応援歌の方が古い。(つづく)
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