水戸黄門(吉田)その2・・・三河鉄砲隊 菜飯田楽
今日は9月24日。
9月5日の「水戸黄門」から。隣の市豊橋市(旧名吉田)の話でした。
番組冒頭は、吉田の直前に、
大筒(おおづつ)の試し打ちを行っている人たちを見て、
黄門さんたちが話をする場面。
(黄門)「なるほど~、あの者たちは若年寄配下の鉄砲隊たちだ」
(助さん)「聞いたことがあります。
何でも幕府が鉄砲や火薬を改良させるために作ったもの」
(黄門)「ああ、そのようじゃな」
(ナレーター 槇大輔)
「幕府は、御三家をのぞく諸藩には、鉄砲や火薬の研究をすることを、禁じていた。
そして自らは、諸国から火薬に詳しい者を三河に集め、
三河鉄砲隊と名付けて、研究させていた」
へ~そうだったんだ。
三河地方の花火が盛り上がったのは、この三河鉄砲隊のおかげもあるようです。
しかし、今回は、この三河鉄砲隊のお偉さんが悪役でした。
食べるものに目がない八(はち)が角さんから、
この辺りのうまい物は何だ?と問われて、
「用意しておきましたよ」と言って出したのが、
菜飯田楽(なめしでんがく)。
吉田宿の名物だったとのこと。
歴史のあるメニューです。
もちろん、今の豊橋市でも食べることができます。
江戸時代創業の店もあります。
※「きく宗」http://www3.ocn.ne.jp/~kikusou/#Open
HPにはこう書いてありました。
創業文政年間、江戸時代より約200年に渡りここ吉田宿(現 愛知県豊橋市)にて
"菜めし田楽"ひと筋、昔と変らぬ味を守りつづけてまいりました。
この店の行き方は次のように書いてありました。
「徒歩;豊橋駅より広小路通りへ(みずほ銀行)
― 1つめの信号を左へ。3つ目の信号を(左手に公園、公園の終わりの信号)を右へ」
地元だけに、映像が思い浮かびます。
公園の名前、信号ある交差点の様子などなど。
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