« 水戸黄門(吉田)その1・・・江戸時代に「豊橋」? | メイン | 水戸黄門(吉田)その3・・・印籠 手筒花火 »

2011年9月24日 (土)

水戸黄門(吉田)その2・・・三河鉄砲隊 菜飯田楽

  

今日は9月24日。

9月5日の「水戸黄門」から。隣の市豊橋市(旧名吉田)の話でした。

   

番組冒頭は、吉田の直前に、

大筒(おおづつ)の試し打ちを行っている人たちを見て、

黄門さんたちが話をする場面。

  

(黄門)「なるほど~、あの者たちは若年寄配下の鉄砲隊たちだ」

(助さん)「聞いたことがあります。

      何でも幕府が鉄砲や火薬を改良させるために作ったもの」

(黄門)「ああ、そのようじゃな」

(ナレーター 槇大輔)

    「幕府は、御三家をのぞく諸藩には、鉄砲や火薬の研究をすることを、禁じていた。

     そして自らは、諸国から火薬に詳しい者を三河に集め、

     三河鉄砲隊と名付けて、研究させていた」

   

へ~そうだったんだ。

三河地方の花火が盛り上がったのは、この三河鉄砲隊のおかげもあるようです。 

しかし、今回は、この三河鉄砲隊のお偉さんが悪役でした。

    

食べるものに目がない八(はち)が角さんから、

この辺りのうまい物は何だ?と問われて、

「用意しておきましたよ」と言って出したのが、

菜飯田楽(なめしでんがく)。

RIMG0076なめし田楽 

吉田宿の名物だったとのこと。

歴史のあるメニューです。

もちろん、今の豊橋市でも食べることができます。

江戸時代創業の店もあります。

※「きく宗」http://www3.ocn.ne.jp/~kikusou/#Open

Menu02 ※菜めし田楽定食1785円

HPにはこう書いてありました。

創業文政年間、江戸時代より約200年に渡りここ吉田宿(現 愛知県豊橋市)にて

"菜めし田楽"ひと筋、昔と変らぬ味を守りつづけてまいりました。

    

この店の行き方は次のように書いてありました。

「徒歩;豊橋駅より広小路通りへ(みずほ銀行)

 ― 1つめの信号を左へ。3つ目の信号を(左手に公園、公園の終わりの信号)を右へ」

地元だけに、映像が思い浮かびます。

公園の名前、信号ある交差点の様子などなど。

 

 

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://bb.lekumo.jp/t/trackback/603251/31073195

水戸黄門(吉田)その2・・・三河鉄砲隊 菜飯田楽を参照しているブログ:

コメント

コメントを投稿

最近の写真

  • Img_8796
  • Img_8795
  • Img_8794
  • Img_3535
  • Img_3534
  • Img_3533
  • Img_3532
  • Img_3531
  • Img_9678
  • Img_9677
  • Img_9676
  • Img_8771

楽餓鬼

今日はにゃんの日

いま ここ 浜松

がん治療で悩むあなたに贈る言葉