蜆塚その1/貝塚調査の歴史/浜松市博物館
今日は5月6日。
東京書籍の6年社会科教科書「新しい社会6上」9p、
縄文時代の学習のページに、浜松市の蜆塚(しじみづか)貝塚のことが載っています。
比較的近くにいい所があるぞと思って、
連休中の5月2日(勤務校は振替休日)に行ってきました。
行った時の写真や報告は次の投稿に。
蜆塚遺跡に関する歴史を、浜松市博物館のHPより抜粋してみます。
1713年 (正徳3年)医学者杉浦杉浦国頭が、
著書『曳馬拾遺』に「蜆塚という場所で土を掘ると
シジミの貝殻ばかり出て不思議だ」と記す。
※この時点では、この程度しかわかっていなかったということです。
しかし、地名が「蜆塚」だから、すでにシジミの貝殻がよく出る場所だったのでしょう。
1839年 (天保10年)入野村の竹村広蔭が、
著書『変化抄』に「蜆塚の貝殻を畑の肥料として掘り出すことがさかんになり
貝の山が失われた。
地名の由来なので庄屋が運び出しをやめるよう願い出た」と記す。
※まだまだ遺跡という発想がなかったのでしょう。とても面白い。
1877年 (明治10年)東京大学のエドワード・モースが東京都大森貝塚で、
日本で初めての縄文時代貝塚発掘調査をする。
※大森貝塚の発掘調査が、日本で初めての本格的貝塚研究とのこと。
蜆塚貝塚もやっと遺跡として発掘調査が始まるわけです。
今、子どもたちに教えている縄文時代やら貝塚やらは、
ほんの130年ほど前の研究でわかったことなのです。
漫画・ドラマ「JIN~仁~」でタイムスリップした幕末には、なかった知識なのです。
そう思うと不思議です。今から100年たったら、学校ではどんなことを教えているのだろう。
1955年 (昭和30年)浜松市による蜆塚遺跡の発掘調査が開始される。
全国の学者や市内の学生体が参加した本格的な調査。
以後第四次調査までつづく。
1959年 (昭和34年)蜆塚遺跡が、国指定史跡となる。
1960年 (昭和35年)蜆塚遺跡見学のための整備、保存施設が完成する。
※こうして、蜆塚貝塚は見学が可能に。
さらに1979年に蜆塚貝塚を含む蜆塚公園内に浜松市博物館が開館。
今回は、この浜松市博物館にも行きました。(次の投稿につづく)
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