20260205財賀寺・観音山・杣坂峠・千両の周回⑦ 「佐奈川」は昔の絵地図では「真川」だった
今日は令和8年3月1日。
昨日の記事の続きで、2月5日に歩いた記録を
書いていきます。おそらくこの記事が最終回。
豊川市桜ヶ丘ミュージアムで購入した冊子
「企画展 村絵地図へのいざない
佐奈川と帯川が実はつながっていなかったという展覧会」の
中から一部転載。
これは「千両村地籍図(明治17年)」(愛知県公文書館所蔵)の
一部を撮影したもの。
私が今回歩いてみた佐奈川源流付近の地図です。
川の流れる道筋など、現在の地図とほぼ同じです。
そんなに尾根や谷の形が変わるわけではないので、
そういうことなのでしょう。
注目は「佐奈川」の表記。
この地籍図では「真川」と書いて「さながわ」だったようです。
「真」を「さな」と読むのは、「真田幸村」で有名。
でも「真田幸村」で有名ですが、本来の「真」は
音読み「シン」、訓読み「まこと」「ま」ですから、
「さな」の読み方は人名等に使われる場合という限定的です。
「佐奈川」を知っているから、明治17年の地図の「真川」を
「さながわ」と読めます。
「佐奈川」と書いた方が、読み間違いはなくなるでしょう。
今日は千両の集落から財賀寺までの行程を書きます。
同じ市内ですが、千両と財賀寺がこんなに隣接しているとは
思いませんでした。
それを歩いて体験した日でした。
「走(はしり)橋」という変わった名前の橋でした。
全国で「走橋」という名前があるか疑問に思い、検索しましたが、
私の調べた限りでは、この佐奈川に架かる橋のみでした。
もし情報があったら、コメントに入れてください。
なぜこのような名前になったか、Geminiに聞きました。
その回答です。
この「走橋」という名前の由来についてですが、インターネット上や
公開されている市の資料などには、明確な由来を記した公式の記録が
見当たりませんでした。
しかし、日本の橋や地名の名付け方の歴史的背景や、この周辺の地理
的条件から、以下のようないくつかの可能性(推測)が考えられます。
1. 水の流れの速さ(地形的特徴)からの由来
「走り(はしり)」という言葉には、古くから「水が激しく流れる場
所」や「早瀬」という意味があります。佐奈川は扇状地を流れる川で、
普段は水量が少ないものの、降雨時には水が勢いよく「走る」ように
流れる特徴があります。こうした川の様子から名付けられた可能性が
あります。
2. かつての小字(こあざ)などの地名からの由来
日本の橋は、架けられた場所の小さな地名(小字)をそのまま橋名に
することが非常に多いです。現在では使われていなくても、古くはこ
の周辺の集落や田畑の区画が「走(はしり)」と呼ばれていた可能性
が高いです。
3. 旧街道(千両街道)の歴史からの由来
走橋を通る県道334号は、古くは豊川と岡崎を結ぶ「千両街道(ちぎ
りかいどう)」や「杣坂往還(そまさかおうかん)」と呼ばれた歴史
ある道です。馬や旅人が行き交う交通の要衝として、「走り(馬が走
る場所、あるいは飛脚などの中継地的な意味合い)」という言葉が関
連しているのかもしれません。
私は1の回答のような予想をしていました。
2や3の可能性もあるんだなと知りました。
最後にGeminiはこう言っています。
もし確実な由来をお知りになりたい場合は、豊川市の中央図書館にあ
る「豊川市史」や千両町の郷土資料を調べるか、豊川市役所の担当課
(道路河川管理課など)に問い合わせてみると、地元ならではの記録
が残っているかもしれません。
「地元ならではの記録」という表現はいいですね。
ネット上にはない、Geminiでも入手できない情報に
また当たってみたいです。
ふだんは水があまり流れていない佐奈川ですが、
危険な川であることが表示されたもの。
私も何度か荒れた佐奈川を見たことがあります。
豊川市のハザードマップを見ると、津波や豊川系の洪水でも
影響は少ないのですが、佐奈川の洪水は大きな影響を受けます。
関心を持っておくべき川です。
これは「知草(ちぐさ)橋」
この名前も気になりました。Geminiに聞いた回答の一部です。
この「知草橋」のいわれについては、かつてのこの地域の古い地
名(郷名)に由来している可能性が非常に高いと考えられます。
1. 古代・中世の地名「千種郷(ちぐさごう)」
豊川市千両町(旧:上千両村など)の歴史を記した江戸時代の書
物『三河国古蹟考(みかわのくにこせきこう)』や、地域の地誌
『穂原村誌』などの記録によると、この佐奈川上流域のエリアは
古くは「千種郷(ちぐさごう)」という地域に属していたと記さ
れています。
2. 「千種」から「知草」への当て字
「ちぐさ」という言葉の響きに対して、時代とともに別の漢字が
当てられるのは、日本の地名の歴史において非常によくあること
です。
かつての広域な地名であった「千種(ちぐさ)」という名前の名
残が、その後の集落や田畑の小さな区画(小字)の名前として受
け継がれ、そこに架けられた橋の表記として「知草」という漢字
が当てられて「知草橋」となった、と考えるのが歴史的に最も自
然なルーツです。
橋の名前一つをとっても、その土地が何百年も前にどう呼ばれて
いたかが化石のように残っていて、とてもロマンがありますよね。
この回答を受けて、「豊川市 千種郷」で検索しましたが、
ヒットするものはなかったです。
回答の中に出てきた資料本「三河国古蹟考」は、近所の図書館で
見ることができるようです。でも読みこなすことができるかな。
「穂原村誌」はまだよくわかりません。三重県にかつて
穂原村があったのはわかりましたが、その村の記録と、
この豊川市千両地区は関係ないようなあ。
話を進めます。
千両地区ではちょっと風変わりな建物がありました。
Keramisk Kunst R (ケラミス クッツ アガー)
陶芸が楽しめる場所のようです。
早くも“さな“らしさを出して、水がありませんでした。
もちろん初めて歩く道。
私は左の道を下ってきました。
林道の名前は「林道千両財賀線」でした。
千両地区で生まれた先輩の方に話したら、
この道は、子どもの頃に財賀寺でお祭りがあった時には
歩いた道だと言っていました。
昔からあった道だそうです。
途中で峠があり、歩きがいのあった道でした。
駐車場に着く前に、2種類のロウバイを見ることができました。
ロウバイは花期が長いと思いました。
いろいろな場所でロウバイを楽しめています。
財賀寺の駐車場へ。
14時40分。
歩き始めは9時54分。
4時間15分ほど歩きました。






















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