校庭に2本だけあったハゼノキの紅葉を楽しむ
今日は令和7年12月27日。
勤務校の2学期終業式は12月23日でした。
私はまた校庭の樹木の伐採・剪定をやらせてもらいました。
急斜面の崖にハシゴをかけて、よじ登っての作業でした。
この写真でわかりますか?
桜と思われる大きな切り株があり、
そこから根っこが斜面を這って、
その先で多くの幹・枝を出していました。
切り株自体からも幹や枝を出していました。
植物の逞しさを見ました。
でもこの冬休みに伐採してしまおうと思います。
あまりに鬱蒼としているので、
スッキリさせようと思っています。
でも幹の模様からサクラと思うのですが、
春にここで桜の花を見た覚えがないのです。
この斜面で桜の花が咲いていたら目立つと思うのだけど・・・
覚えがないです。
まあ、容赦なく伐採ですね。
この急斜面の崖で、赤い紅葉が目立ちました。
他の木が葉っぱを落とした中での赤。
とてもいい赤色でした。
AIに尋ねて、ヌルデとハゼノキが候補となり、
さらに追求していったら、ハゼノキだと判定されました。
ヌルデの紅葉は、こんな赤一色ではなく、
黄色が混じった紅葉になるようです。
ハゼノキの紅葉は「秋の火」に例えられるように、
葉っぱが赤に染まるようです。
校内の樹木にかぶれる木はないと思っていました。
ウルシに似ていたカラスザンショウはかぶれません。
でもここに2本、かぶれる木がありました。
江戸時代にはハゼノキの実がロウソクの原料になることから
各藩がハゼノキを植えたそうです。
その名残りが残っている場所があります。
例えば、佐賀県三養基郡みやき町の鷹取山。
ここから引用。
この地域では藩政末期、ロウソクを作るためにハゼの木が植えられて
いました。佐賀藩は天保14年(1843年)に筑後から仕入れた苗木
2万5千本を三養基郡や神埼郡などの村々に配布しました。生産され
た佐賀産のロウは大阪市場で高値をよび、早速、藩は大阪の蔵屋敷を
通じて売る専売制をしき、安政4年(1857年)にはオランダの帆船
飛雲丸購入を十数億円相当のロウで支払い、翌年にも木造艦電流丸
をロウで購入しました。ロウの需要が最高潮の時、三養基、神埼郡の
ハゼの木の本数は60万本に達したそうです。
筑後や三養基郡内に見られるハゼ並木の名残は、当時の佐賀藩や久
留米藩の隆盛を物語る歴史財産と言えるでしょう。現在も11月中旬
になると鷹取山東側の中腹には約400本のハゼの木が山肌を紅く染
めあげ、錦秋のみやき路を美しく彩ります。
今日、初めて聞いた佐賀県みやき町にある鷹取山の
ハゼノキの紅葉。
私が勤務校で見たハゼノキより、もっと大木の、もっとたくさんの
紅葉なんですよね。見たいなあ。




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