教え子の頭の中で命をもらえるような教師に
今日は令和7年3月11日。
東日本大震災から14年。
あの日あの時に一緒に教室にいた小学生6年生が、
今年度は勤務校に、1人はバスケの先生で、
1人はサッカーの先生で次々に来校。
全校生徒の前で話し、実技をして、
子どもたちの憧れとなっていました。
立ち居振る舞いも立派になっていて、
素晴らしい。
14年が経ち、彼らはちゃんと大人になっていました。
2人はちゃんと私のことを覚えていてくれて、
笑顔の再会ができました。
「“道草“でしたよね」
学級通信のタイトルも覚えてくれていました。
新任からずっと同じタイトルの“道草“という名前の学級通信。
私が受け持った子どもが、年を経て“道草“という言葉を見かけた時に、
ちょっと何か引っかかって、そういえば、そんな通信を発行していた
先生がいたなあと思い出してくれたら、
私が朽ちていたとしても、その子どもの頭の中で、
命が吹き込まれるなあと思います。
最後は、人は他人の頭の中で生きます。
思い出として。
教師という仕事は、子どもの頭の中に生きる可能性があるので、
そういう意味では、長生きですよ。
今年度の1年間で通級学級で教えた子どもは、
最初18名だったかな。
それが最終的には25名になりました。
1年生から6年生まで。
1年生の子どもが、高齢になって思い出してくれたら、
私は、80年くらいして復活できるのです。
25名の今年度の教え子。
週に1回、2週に1回、お試しの場合は3週で1回もありました。
私のインパクトはどうだっただろう?
私にとっては、1体1の初指導。
これは私のインパクトも、子どものインパクトも、
十分あったと思います。
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