21歳の男の子の死/死んだらどうなる?
今日は令和6年11月24日。
叔父さんの孫、21歳の男の子が病死。
土曜日がお通夜。
日曜日が葬儀。
東三河の東栄町で行われ、連日出席をしました。
若者の死は辛いですね。
通夜にも、葬儀にも、中学校までの同級生たちや、
高校で共に過ごした野球部のメンバーが出席。
このメンバーは、火葬場までやってきて、
棺が釜に入るところまで確かめました。
棺が釜に入るところを、こんなにたくさんの若者が
見守るなんて、とても珍しいことです。
そして今回死んだ男の子は、彼ら彼女らと同年代。
「これからの若者」だったのです。
釜に入る瞬間に、母親が「行っちゃう!」と
泣き叫びました。
「行っちゃう!行っちゃう!」と繰り返しました。
その母親を祖父母が支えていました。
その祖父母も泣いていました。
皆がもらい泣きをしました。
順番が違いますよね。
両親も祖父母も健在なのに、
先に逝ってしまった男の子。
自分が産んだ子どもが、焼かれてしまう瞬間、
母親が発した言葉は、強く印象に残りました。
高3で、高熱。
熱はなかなか下がらずに、入院。
生死をさまよい、2ヶ月かかって生還。
脳にウイルスが入ったか、脳が酸欠になったか。
脳に後遺症が残り、癲癇(てんかん)の発作も起こる体に。
大阪の大学に合格するも、体調が悪く1年休学。
そして通い出した大学。
祖母が言ってました。
「あの子は、頑張ったよね。
頑張って生きたよね」って。
そうだよ。
病気と戦って、できることをやって、
ふっとやってきてしまった死。
大阪での一人暮らし。大学生。
一人暮らしなんて無理と言われていたのに、
自分から望んで挑戦した一人暮らし。
本人からの連絡がないと大学から連絡を受け、
心配してやってきた親が、部屋で遺体を発見。
安らかな顔だったそうです。
こういう死が身近にあった。
記録し、残しておきたくなりました。
私の見た最初の死は、豊橋の伯父さん叔母さんのお母さんの死。
畳に敷かれた布団の中で、老女が横たわり、
みんながその周りを囲んでいた映像が、
頭に残っています。
すでに亡くなっていたのか、危篤状態だったのかも
覚えていません。約60年前のことです。
面識のない方でした。
死を見た最初でしたが、死はすごく離れた場所にある、
自分には関係がないものでした。
それ以後、たくさんの死を見てきました。
知っている人、よく知っている人、身近な人の死を
見てきました。
あんなに離れた場所にいた死が、
少しずつ自分に近づいてきました。
いつの間にか、後ろにもいます。
右にも左にもいます。
死は誰にとっても避けられない運命なんだよなと、
周囲の老いていく人たちを観察すると感じます。
死を理解してきた感じです。
でも、子どもの時から疑問は解けていません。
2段ベットの上で、布団を体にかけて寝ようとした時に、
ふと浮かんだ疑問。
「死んだら、自分はどうなる?」
考え出したら、怖くなってしまい、寝れなくなったのを
覚えています。
こんなこと考えるのをやめようと思っても、
思い浮かんできてしまう、厄介な疑問。
この年になっても解決しない疑問。
先に死んだ人は、残念ながら誰もその体験を語ってくれません。
永遠に解決できない疑問。
子どもの時には、この疑問が浮かぶと、
頭が恐怖でいっぱいになったけど、
大人になると、気を紛らすことができるようになってきたかな。
「死んだら、どうなる?」
結局、自分が体験しないとわからないのかな。
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