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2023年12月26日 (火)

本 「現代に生きる二宮翁夜話」① 頑張れば報われる、ではなくて恩返しの発想で頑張る

    

今日は令和5年12月26日。

   

この本を読みました。

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「現代に生きる二宮翁夜話」(中桐万里子著/致知出版社)

「二宮翁夜話」について少々調べました。

「翁夜話」は「おうやわ」と読みます。

コトバンクには次のように書いてありました。

  

二宮尊徳の高弟福住正兄(まさえ)が著した尊徳の語録。1845年(弘化2)

22歳で尊徳に入門,以後6年間随身し直接教えをうけた著者が,のちに

それをまとめたもの。50歳頃から起稿し,1884~87年(明治17~20)

に15巻本として出版。斎藤高行著「二宮先生語録」が漢文体であるの

に対し本書は平易な和文体で,尊徳の思想を広めるのに大きな役割をは

たした。

  

「現代に生きる二宮翁夜話」には、原文も載っていて、確かに和文体で、

読みやすそうです。原文をさらに読みやすくしてくれているので、親切です。

中桐さんは、「二宮翁夜話」について、

「はじめに」で次のように書いています。

  

作者である福住は、二十一歳のとき、五十八歳だった金次郎のもとに

弟子入りをします。そして五年間、金次郎が六十三歳のときまで彼と

生活をともにします。祖父と孫とは言いませんが、それでも他のお弟

子さんに比べたら、年齢差もかなりあります。さらに、六十九歳で亡

くなった金次郎にとっても、「次の世代」に目を向けざるを得ない時

期の、若き青年との出会いだったようにも思います。

だからなのか、他の書に比べると、彼が持っていたであろう厳しさや、

リジッドなまっすぐさや、猛烈な激しさよりむしろ、ユーモラスなあ

ったかさや、やわらかなまなざしや、よぉく練られたお茶目なおおら

かさや、たっぷりとした懐の深さが目立つ気がします。 そんな、未来

に向かう若人への希望やエールがあふれているようにも感じるのです。

もうひとつ、わたしがこの『夜話』を好きな理由があります。たとえ

ば金次郎を、宇宙の法則を貫くような深淵なる哲学や、立派で偉大な

る思想にたどりついた人物と捉える方もあるようです。しかし少なく

ともわたしは、金次郎のそうした部分にほとんど興味がありません。

むしろ圧倒的にかっこいいと感じているのは、彼の「現実(現場) 対応

力」です。 暮らしのなかの一つひとつの小さなできごとに、向き合う

やり方や、そこで生み出す工夫のユニークさ。ここに、彼の真骨頂を

感じ、ワクワクした憧れや感動をおぼえるのです。『夜話』には、そ

んな何気ない日常の一コマ一コマが鮮やかに描かれています。

この書のなかの金次郎のやり方も行動も言葉も、決して普遍的(不変的

)なものではありません。ここには、ひととしての真理や、誰にでも通

用する正義は、決して描かれていません。むしろ、あくまでその場面

だからこそ、そのとき、その相手とだからこそ、生まれた「やりとり

(応答)」ばかりです。場面が変わり、ときが変わり、相手が変われば、

彼はケロリと真逆のことさえ言うのです。

だとしたら、「一回きりのやり方なんて、意味ないじゃないか。結局、

金次郎にしかできないことなら、読んでも仕方ないじゃないか」と思

われる方もあるかもしれません。たしかに『夜話』は、正しい答えを

教えてくれるようなハウツー本やマニュアル本とはまったく違います。

そこにあるのは、答えを生み出そうとし続け、日々の営みにひたむき

に対面し続けた金次郎の姿であり、生きざまです。 それらを通して伝

えられているのは、むしろ「答え」は決して本のなかにあるのでも、

すでに誰かがもっているのでもないということ。 「答え」は常に、自

分自身が目の前のものと真摯に向き合い続けることで、その現実のた

だ中でしか生まれないということ。そんなことではないかと思います。

(2〜5p) 

  

この本を全部読み終えると、この「はじめに」の文章が

理解できます。

二宮尊徳さんは、そのように言ったけど、

そのように考えたけど、私はちょっと違うなと思うところも

ありました。

でも二宮尊徳さんが、出来事に真摯に向き合っていることは、

読んでいて伝わってきました。

  

ある人が、「一飯に米一勺(しゃく)ずつを減らせば、一日に三勺、

一月に九合、一年に一斗余(あまり)、百人では十一石、一万人で

は百十石になります。この計算を人民に論して、富国の基を立てる

のはいかがでしょうか」と言った。翁はそれに対してこう言われた。

[中略]富国の道は、農を勧めて米穀を増産することにある。それを

どうして減食のことを言えようか。下等の人民は、平日の食事も十

分ではないから、十分に食いたいというのが平常の願望である。そ

れゆえ、飯の盛り方の少ないことすら快く思わないものだ。それを

一飯に一勺ずつ少し食えなどということは、聞くも忌々(いまいま)

しく思うだろう。[中略] 下等の人民を諭すには、十分に食って十分

に働け、たくさん食って根かぎり働けと諭し、土地を開き米穀を増

産し、物産の繁殖することを勤むべきである。労力を増せば土地が

開け物産が繁殖する。 物産が繁殖すれば、商も工もそれにつれて繁

栄する。 これが国を富ます本当の原理である。

(31〜32p) 

この福住正兄さんの文章に対して、中桐さんは次のように

書いています。

 

金次郎というと、どうも「質素倹約、我慢、忍耐」のイメージを持た

れやすいようです。 しかし、本人はここで主張しています。「そんな

忌々しいことをすべきでない」と。彼はいつだって、それが生産的か

どうかという点にこだわり、より大きくより豊かに······を考えます。

ひとを抑圧し、我慢させる方向ではなく、むしろ一貫して、たっぷり

満たし、大いに押し出す方向をとるのです。

この金次郎のやり方を、彼が敬愛してやまない大久保公は「報徳」と

名づけてくださいました。彼はこれを大いに気に入り、以後、積極的

に自らもそう表現します。

報徳。それは時に「忍耐をし、善きことをしていれば幸せになれる」

といったイメージで捉えられ、「がんばれば報われる」と訳されます。

しかし、これは完全な誤訳です。徳に「報いる」という語は、どう考

えても「報われる」とはならないからです。

がんばれば報われる…...。 一見すれば正論のようですが、 しかしこ

れは「見返り」の発想です。我慢を強いられてがんばるほどに、「報

いて欲しい」と求める力もつよくなってしまいます。 だからこそ、金

次郎はむしろこれを嫌い、否定するのです。

現実をみれば、わたしたちは、すでにたくさんのものを持っています。

使える命が、体力が、時間が、知恵があります。さらには、同時代を

生きる同志たちの懸命な働きに支えられ、先人先輩たちからの恩恵も

あふれるほど受け、日々の生活を営んでいます。そんな風に、すでに

たっぷり「徳を受ける」ことで暮らしが成立していると、彼は捉えま

す。そしてだからこそ、 受けた徳に「報いよう」と考えるのです。そ

れは 「幸せだからがんばろう」という呼びかけであり、「恩返し」の

発想です。

お腹いっぱいにご飯を食べること、日常の幸せを再認識すること・・・

・・・。 質素、倹約、我慢、忍耐といった犠牲の先にではなく、そうし

た幸福感の先にこそ、報いようとする実践が生まれ、世界が豊かにな

ると彼は信じていたわけです。

(33〜34p)

  

なるほど、確かに二宮金次郎というと、質素倹約、我慢、忍耐の

イメージがあります。

働きながら本を読んでいる銅像の姿から、

勝手に思っていることかもしれません。

でも本人はそんな忌々しいことはすべきではないと言っています。

頑張れば報われる、ではなく、もう十分幸せなのだから、

恩返しの発想で頑張る、そんな発想をすべきということです。

これは深い。

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