本「日本国紀 下」/柴五郎 閔妃 T字戦法
今日は令和5年11月4日。
前記事に引き続いて、
「日本国紀 下」(百田尚樹著/幻冬舎文庫)
から引用していきます。
「義和団の乱」において、忘れてはならない日本人がいます。 それは
柴五郎です。万延(まんえん)元年(一八六〇)に会津藩士の子として
生まれた柴は、戊辰戦争の折に祖母・母・兄嫁・姉妹が自決するとい
う悲惨な境遇の中に育ちますが、後に陸軍士官学校を出て、三十九歳
の時、義和団の乱が起きる直前に、北京の公使館へ駐在武官として派
遣されました(当時は中佐)。
凶暴な暴徒が各国公使館を取り囲む中(日本の公使館員やドイツ公使が
殺されている)、英語・フランス語・中国語に精通していた柴は他国軍
と協力して、義和団から公使館を守り通します。この時、柴は事前に北
京城およびその周辺の地理を調べ尽くしており、さらに中国人の間者
(スパイ)を使って情報網を築き、籠城軍の実質的な司令官として活躍し
たのです。
「義和団の乱」の後、イギリス公使クロード・マクドナルドは 「北京
籠城の功績の半ばは、とくに勇敢な日本将兵に帰すべきものである」と
言い、英紙特派員は柴を「籠城中のどの(国の) 士官よりも有能で経験
豊かだったばかりか、誰からも好かれ尊敬された」と評しました。柴は、
イギリスの武功勲章はじめ各国政府から勲章を授与され、柴五郎の名は
欧米で広く知られることとなりました。とその配下の日本兵の勇敢さと
礼儀正しさに深く心を動かされたマクドナルドは、ロバート・アーサー
・タルボット・ガスコイン=セシル・ソールズベリー首相に日英同盟の
構想を熱く語ったといわれます。 後の日英同盟の交渉の際にはマクド
ナルドがすべて立ち会い、同盟締結の強力な推進者となりました。 こ
の日英同盟が、後に起こった「日露戦争」において、日本の大きな援護
となります。
(109〜110p)
日英同盟は、ロシアに対する利害が一致したことで結ばれた同盟と
覚えていますが、日本人の優れた面を知った外交官が、同盟を結ぶ
ことを進めたという話は、日本人として誇らしいなと思います。
柴五郎。覚えておきたい人です。
そんな清を日本が打ち破ったことで、朝鮮国内では親日派が台頭しま
すが、日本が三国干渉に屈したのを見ると、今度は親日派に代わって
親ロシア派が力を持ちます。いかにも朝鮮らしい事大主義(強い他国
に従っていくという考え方) の表われですが、常にその時代の最も強
い国にすり寄っていく、この独特の姿勢には、自国のことを自国で決
めるという独立の精神が微塵も見られません。
親ロシア派の代表が閔妃(びんひ) (李氏朝鮮第二十六代目の王であ
る高宗の妻)でした。 閔妃は高宗の父である大院君から実権を奪うと、
独裁的な政治を行ないます。近代化を進めようとする改革派を弾圧し、
自らは国庫の財産を浪費し、そのために民衆は苦しみました。日本に
とって都合が悪かったのは、この閔妃がロシアと接近したことでした。
そこで、明治二八年(一八九五)、日本人公使の主導のもと、大院君ら
の反閔妃派の朝鮮人と日本人が閔妃を殺害しました(実行犯が朝鮮人か
日本人かは不明)。の事件は「乙未事変(いつみじへん)」と呼ばれて
います。 実は以前から朝鮮国内に反閔妃派は少なくなく、前述した明
治一五年(一八八二)の「壬午軍乱」の際にも、反乱軍が閔妃を殺害し
ようとしています(失敗に終わる)。とはいえ、他国の皇后殺害を日本
人が主導するという行為は恥ずべきものです。ただし、日本政府の関
与はなかったといわれています。一方で、事件の首謀者は大院君とい
う説もあり(事件直後、朝鮮国内で行なわれた裁判で大院君を首謀者
とする判決が出ている)、真相は闇の中です。
(111〜112p)
閔妃暗殺についての本を読んだ覚えがあります。
この本ですね。
1993年の本。
おそらく発刊当時に読んでいるので、30年前。
まだ朝鮮の歴史がわかっていない時に読んだような。
でも心に残っている本です。暗殺シーンは怖かった。
百田さんの、韓国のイメージがよくわかりました。
事大主義。初めて聞いた言葉ですが、その由来は。
その語源は『孟子』の「以小事大」(=小を以って大に事える)の
一節にある。孟子では、中国の戦国時代の諸国群雄割拠において、
越が呉に仕えた例を挙げている。つまり「小国のしたたかな外交政
策(知恵)」というのが本来の意味。
あまり悪い意味ではなかったけど、
現在はよくないイメージをまとった言葉のようです。
余談ですが、日本海海戦は「丁字戦法」(T字戦法ともいう)によって勝
利したという定説があり、多くの歴史書にもそう書かれています。 丁
字戦法とは敵の縦列艦隊に対し、その進行方向を押さえる形に艦隊を
配し、それが上から見て「丁」の字になることから名付けられた戦法で、
艦隊の砲戦では最も理想的な攻撃態勢とされています(味方の艦の主砲
と舷側の砲はすべて撃てるのに対し、敵艦の砲は前部の主砲しか撃て
ない)。しかし実は聯合艦隊が丁字戦法で勝利したというのは誤りです。
丁字戦法を目指してはいたのですが、実際には並行航行での砲戦となっ
たというのが真実です。「日本海海戦」の圧倒的な勝利と、後に秋山が
講演などで丁字戦法を用いたと語ったことから、それがいつのまにか
定説になってしまったようですが、真の勝因は水兵たちの練度の高さと、
指揮官の勇猛果敢な精神にあったのです。
(122p)
そうか、映画やドラマでは、しっかりT字戦法です。
定説になってしまっていますね。
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