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2023年2月 4日 (土)

欽ちゃんの言葉「幸運をつかむには努力という台 の上に乗っていないとダメなんだ」

     

今日は令和5年2月4日。

  

最近の私にとって厄介なのは、Yahoo!ニュース。

パソコンに向かうと、ついついいろいろなニュースを読んでしまい、

時間がいつの間にか過ぎてしまいます。

その度に後悔しています。

本当にやりたいことができずに、後回しになってしまうことが、

多発しています。

  

しかし、読んでよかったというニュースがまれにあります。

今晩読んだこのニュースは心に残りました。

小西博之、壮絶な闘病を乗り越え60代で校長先生に!支えとなった師匠・欽ちゃんの教え

  

小西さんは、学生時代にいい先生に何人も出会い、

教師を目指していました。

しかし、受験をしようとした年は、丙午の生まれの子どもが新入生の年。

子どもの数が少ないことがあって、採用人数が0。

それでも教師になる夢をあきらめないで就職浪人。

牛丼屋でバイトをしたり、縁があった芸能界の仕事にも

時々呼ばれて出演していました。

そんな時に、萩本欽一さんに出会い、欽ちゃんファミリーに加わります。

そして大人気になります。

そんな時のこと。

  

引用します。

  

教師を諦められない。そんな、どっちつかずの生き方にダメ出しを

してくれたのは師匠の欽ちゃんだった。  

'83年8月20日。『24時間テレビ 愛は地球を救う』の司会は欽ち

ゃん。名古屋の握手会場は小西さんのホームグラウンドも同然。コ

ニタン目当てのファンも大勢駆けつけ、その中に松葉杖(づえ)の

女子高生がいた。コツコツ貯めた5円玉の募金を手渡したくて一生

懸命歩いてきました、と。

「明るい子でしたよ。5円玉にはご縁があるから、また来年もコニ

タンに会いにくるねって。その後ろ姿を見送っていたら、お母さん

が、泣きながら『来年はありません』と、僕に言うてきて……」  

娘は骨肉腫で4月に死んでいてもおかしくなかった。でも「コニタ

ンに会うんだ」と4か月も生きてくれた──。  

小西さんは言葉を失い、泣き崩れた。

その肩を欽ちゃんがポンポンと叩(たた)く。

「芸能人っていいだろ?」  

小西さんは大きく首を振った。芸能人が何や、自分はあの子に何も

してやることができないやないか。

すると、「ばかもん!小西があの子に希望を与えたんだぞ。医者にも

できないことをおまえはやったんだ!」  

初めて聞いた欽ちゃんの怒鳴り声。そして、

「それでも先生になるほうがいいか?」  

見透かされていた心の奥底。芸能人として生きる─。

“無欲”は“覚悟”へと変わった。

  

欽ちゃんはいいこと言うなと思いました。

そうなんだ、芸能人って、夢と希望を与えてくれる尊い仕事なんだと

よくわかりました。

  

う~ん、このネットニュースはいずれは消えるので、

小西さんのガンに立ち向かう姿も引用しておきたいです。

  

 45歳になった'04年9月。85キロあった体重は70キロを割っていた。

撮影所で激ヤセを指摘されると「役づくりです」とスタッフをごまか

し、「オレは健康なんだ」と自分をだまして仕事を続けた。  

しかし、体調は日増しに悪化。12月には食欲、性欲、睡眠欲がすべて

消えた。そして、大量の血尿。もう自分はだませない。病院で検査を

受けたのはクリスマスの日。

「街中が輝いているのに、自分だけが幸せから取り残されたようで、

帰宅してから『まだ死にたくない!』って、家具を蹴飛ばし、皿をたた

き割って、1人で号泣しました」  

年明けに大学病院でがんを告知された。

左の腎臓に巣くったがんは20×13センチ。

「普通はこんなに大きくなる前に死ぬ」と、医師も驚くほど病状は進行

していた。だが、「がんとわかってから小西は明るく振る舞うようにな

った」と小西さんの事務所社長は言う。自暴自棄になりかけた小西さん

にダメ出しをしたのは、ここでも欽ちゃんの教えだった。

「人生は50対50、幸せも不幸も同じように訪れる。悪いこともきちんと

受け止めなければいけないよという萩本さんの教えが、僕の心を支えて

くれたんです」  

2月16日。大手術は無事に成功。左脇腹にはVの字に50センチも切り開

いた手術痕。

「先生が一生消えない勝利のVサインを刻んでくれたんやで!」と、ベッ

ドではしゃぐ小西さん。その裏で小西さんの事務所社長は医師から「転

移の可能性が高い、5月までもたないかもしれない」と聞かされていた。  

ところが、小西さんは驚異的な回復を果たす。術後3日目にはリハビリを

開始し、9日目には退院。目標にしていたのは、手術をして助かることで

はなかった。

「早く元気になって、病気で苦しむ人たちに希望を与えたかったんです。

そのために『徹子の部屋』に出ることを目標にして、番組で体験を黒柳

さんに話す自分を毎日イメージしていました。それこそ、野球部の枕投げ

と一緒です(笑)」  

5月の検査で転移は認められず。末期がんを克服したことで「命の大切さ」

をテーマにした講演依頼が増えた。その活動を知った黒柳さんからお呼び

がかかる。7月、小西さんは徹子の部屋に出演。

余命ゼロの先に目標は叶った。

  

学ぶべきことが多い文章です。

ガンを怖がっている自分ですが、

この小西さんの立ち向い方は参考になります。

楽しいことをイメージして、そうなることを目標にしています。

その考えで、ガンも克服してしまった小西さん。すごい。

  

欽ちゃんはまたいいことを言っています。

  

「幸せも不幸も同じように訪れるという萩本さんの言葉には先があ

るんです。何度も言われましたよ、幸運をつかむには努力という台

の上に乗っていないとダメなんだ、と」  

人生の師である欽ちゃんは73歳で大学を受験し、学び直しを始めた。

還暦を迎えた風見さんも、今年1月から語学留学でアメリカに渡る。

「萩本さんも僕も学生になった。コニタンは校長先生になっていち

ばん出世だね(笑)。ウシのごとく生徒たちをグイグイ引っ張って

いくことを期待していますよ!」(風見さん)  

小西校長なら、先頭に立って大人たちもグイグイ引っ張ってくれるに

違いない。 

「命さえあれば必ずチャンスは来るんです。だから大人が夢を持ちま

しょうよ、そして子どもに夢を語ってください。何歳になっても夢は

叶えられるという希望を子どもたちに与えられるのは、僕たち大人な

んやから──」

  

努力という台の上に立っていたいと思います。

小西さんが目指していたのは、社会科教師。

私は、今はその社会科教師をやれる幸せな身。

退職して時間が手に入ったことでできることをしてきました。

片手間で授業をやるのはいやなので、

1時間の授業を3~4時間かけて作ってきました。

毎授業後に、生徒には授業の感想を書いてもらい、

その文章にすべてコメントを書いてきました。

現役ではできないであろうことです。

小西流の楽しいイメージは、生徒たちが社会大好きになること。

努力を怠らないようにしよう。

  

小西さんのこのニュースは、読んでとても有意義でした。

しかし・・・・次の投稿につづく。

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