戦前の畠山重忠
今日は令和4年9月22日。
今日の朝日新聞朝刊に、
畠山重忠のことが書いてありました。
9月18日放映の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第36話では、
畠山重忠の最期が描かれました。
その時の一場面です。
新聞は、中世史研究者の山本みなみさんの文章。
畠山重忠は「武士の鑑」と称されていたこと。
それは、坂東だけでなく京都でも有名だったこと。
北条時政との対立から、42歳で討たれたことなど
書いてありましたが、最後の文章が気にとまりました。
ただし重忠については、勇猛で清廉潔白な生き様から、戦前、青年の
士気高揚の素材として利用されたことも忘れてはならないだろう。
そうだったんだ。
調べると、修身の国定教科書で取り上げられていました。
☝ ここを見ると、その文章を見ることができます。
でも難解で読めません。
よく昔の人は、難解な漢字の入った文章を読めたもんだと思います。
梶原景時が、頼朝に「重忠謀反の気配あり」と注進した話のようですが、
よくわかりません。
戦前生まれの人だと、
畠山重忠はお馴染みの人なのかなあ。
もしかしたら、将来、畠山重忠を、
士気高揚で利用する輩が出てくるかもしれません。
その時には、見極めなくてはなりません。
世の中がおかしい方向に向いていると、
ここで畠山重忠に脚光が当たるのはおかしいと。
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