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2022年8月 2日 (火)

「ALSを生きる」を読みました

   

今日は令和4年8月2日。

  

この本を読みました。

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「ALSを生きる」(谷川彰英著/東京書籍)

  

10万人に1~2人が発症する確率があるALS。

恐ろしい病気です。

ガンにもなりたくないけど、ALSにもなりたくないです。

そのALSになった谷川彰英さんの記録です。

闘病記ではないかな。

ALSをどう受け止めたかが書いてある本といえます。

率直に書かれていて、読みやすい本でした。

   

救急科から神経内科に移って最終的にいただいた病名はALS(筋

委縮性側索硬化症)という難病です。先生から説明を受けてショッ

クというよりも、妻も私も妙に「納得」してしまいました。これま

でどの病院に行ってもわからなかった病名がわかったことにむしろ

ホッとしたのです。(中略)

これが私の運命だったのでしょう。運命には逆らえません。70年

余りひたすら突っ走ってきた人生でした。やりすぎたのでしょう。

特に筑波大学の管理職、理事・副学長を務めていた時間は、土日・

休日はほとんど地名の取材・執筆に充てていたので、ゆっくり休ん

だ記憶がありません。考えてみれば、自業自得です。

ALSはあと何か月でどうこうという病気ではありません。進行を

遅らせることはできるのです。だとすれば、私に残された道はただ

一つ。「それでも生きる!」ということです。実際は大変なことな

ので、簡単に言えることかどうかわかりませんが、そう言うしかな

いのです。

(49~50p)

 

「納得してしまいました」「これが私の運命なのでしょう」

「やりすぎたのでしょう」「自業自得です」「それでも生きる!」

何と達観した方なのでしょう。

私ならジタバタすると思います。

  

このような宣告を受けると、精神的にショックのあまり気が滅入っ

た辛い毎日が続くのが普通であろう。確かに私は人工呼吸器を取り

付けられ、身動きできない事態に陥った。地名の取材に行くことな

ど夢のまた夢となってしまった。その意味では私の「夢」は閉ざさ

れたのである。

しかし、今の私はその「夢」を乗り越えて「新たな夢」に向かって

生きようとしている。それは私の天邪鬼的な性格によるものかもし

れない。ALSが「そう」言うなら、私は「こう」生きてやろうと

言ってみたくなるーーー一種の抵抗精神である。

(5p)

  

自分の状況を受け入れて、そこでベストを尽くそうとする

天邪鬼的な性格は素晴らしいと思います。

ここは大いに学ぶところです。

退職してハーフ勤務になったのなら、

現職中にはできなかったことをやって、

どんな結果になるか挑戦したいという気持ちがあります。

退職したら、こんな教育ができるんだぞと

現職の先生の参考になりたいとも思っています。

町内会長に選ばれたからには、

この町内で良かれと思うことを、

労を惜しまずやっておきたいという気持ちがあります。

いやいややるのではなく、楽しそうに取り組みたいです。

幸いにも、町内会長の仕事は、自分向きの仕事だと

最近は思っています。

これが私のこの1年の2本柱。

  

難病にみまわれたのにもかかわらず、

次の夢を見出して、このような本を書いてしまう

谷川彰英さんの行動は励みになります。

  

「運命」は「運命」として受けとめるしかない・・・。その与えら

れた運命の範囲内で生きていくしかない・・・私にはその思いしか

なかった。もう73歳で人生の大半を消化しているからいいじゃな

いか、という思いもあった。自分が死んでも、幸いなことに自分の

書いた本は残る。それでいいじゃないか、と。

(94p)

   

私には、谷川さんの「本」にあたるものがないと思っています。

私はまだ、それでいいじゃないかと言えるものがないです。

それを作るためには、まだ時間がいるのです。

だからまだ死にたくないです。

ガンになりたくないのです。

  

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