沢村忠さんの訃報/小さな親切リレーのおかげ
今日は令和3年4月1日。
「キックの鬼」の沢村忠さんが亡くなったというニュースを
見ました。
アニメ「キックの鬼」をしっかり見ていました。
テーマソングは今でも歌えます。
「真空飛びひざ蹴り」を真似しました。
大切な思い出の人。
ここに書きとめたかったです。
昔からなじみのある人たちが亡くなっていく先には、
自分の死も巡ってくるんだろうなと思います。
確実に自分も歳を重ね、
ついに今日から「退職の年」が始まりました。
今日(4月1日)朝日新聞朝刊の「天声人語」を引用します。
和歌山市役所に勤める山﨑浩敬(ひろたか)さん(59)は毎朝7
時台、同じ時刻のバスを待つ。目の見えない山崎さんにとって乗り
降りは大変だが、そのバスなら小学生が乗り合わせ、手助けしてく
れるからだ▼「バスが来ましたよ」。紀ノ川の河口に近い狐島(き
つねじま)宮前バス停で、初めてそんな声をかけられたのは十数年
前。白い杖を持つ自分に女の子が教えてくれた。腰のあたりを指で
チョンとつつき、ドアまで導いてくれる。「座らせてあげて下さい」
と席の確保まで。胸が温かくなった▼進行性の目の難病「網膜色素
変性症」と診断され、視力は落ち視野も狭まる。バイク通勤だった
が、自転車にも乗れなくなり、最後にバス通勤に切り替えた。その
子が卒業すると、妹や後輩が誘導役を継いでくれた▼和歌山大付属
小学校に通う女の子たち4人である。感謝の念を昨秋、作文につづ
った。全国信用組合中央協会のコンクールで大賞に選ばれたのがき
っかけとなり、山﨑さんはこの1月、小学校を訪問。初めて4人と
一堂に会することができた▼受賞作を読んでみる。「小さな親切の
リレーで、退職まで何とか頑張れそうです」とお礼の言葉が続く。
取材を終え、バス停に立つ。車の量が多く、風も強い。山﨑さんに
とって小さな手がどれほど心強かったことか▼きょうから新年度。
初めての駅や初めてのバス停に立つ方もおられよう。コロナのせい
で人と人が隔たり、言葉をかけにくい状況は続くけれど、だれもが
孤立しない一年間であってほしい。
山﨑さんにとっての手助けは、とてもわかりやすい。
私もきっと周囲の手助けによって、
退職まであと1年のところまで来たのでしょう。
ちゃんとお世話になっていることを自覚し、
そして自分ができることは、お礼を言うことと、
人のために頑張ることでしょうね。
心がけよう。
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