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2020年12月 6日 (日)

「孤塁」④非日常である双葉郡

   

今日は令和2年12月6日。

  

前記事に引き続き、

「孤塁」(吉田千亜著/岩波書店)より引用します。

  

  

2011年3月16日のことです。

   

20キロ圏内の救助・救急活動を続けた消防の活動について、また、

爆発後の原発構内に入った活動について、「国や県の記録に残ってい

るのだろうか」と木村匡志(ただし?)は懸念する。「忘れたくて、

話題にしない人もいる。それぞれの思いはあるけれど、それでも、残

さなければ風化してなくなる。記録に残すことは大事だと思う」と木

村は言った。記録に残らなければ、歴史から消えてしまう。

わずか125名の職員と、限られた資器材で対応した大震災発生後の

数日間。繰り返される要請に、署に戻ることもままならず、通常なら

帰署後に書く救急活動記録すら残せなかった。木村はしばらくして、

「記録に残す」ことを意識し始めた。

(141~142p)

  

この本は貴重な記録本となりました。

  

3月16日のことです。

  

16日の午後から、ようやく、これまでの勤務体制と同じように二交

代制をとることが決まった。4号機の火災現場に赴いていた職員らが

川内出張所へ戻ってきてからのことだ。双葉消防本部では、震災以前、

24時間勤務と非番を3回繰り返したあとに2日休むという8日サイ

クルを二部体制で回していた。しかし、3月11日から16日までは、

すべての職員が1日も休まず、24時間勤務を続けていた。

(149p)

  

11日から16日まで24時間勤務。

そのような状態だったのですね。

  

  

3月19日のことです。

  

鈴木直人も、ようやく家族に会えたのは19日頃だった。妻や子ども

たちの避難先では、「こっちは『普通』なんだな」と思った。災害の

真っ只中にあり非日常である双葉郡と、避難先に存在する日常との乖

離を、肌で感じた。そして、こうも思った。これまで、他の地域で災

害があった時、自分も日常の側で過ごしていたんだ、と。

(154~155p)

  

私はこの本を読んで、

双葉郡の非日常を疑似体験できたと思っています。

ずっと日常で過ごしていますが、

本はそんな体験をさせてくれました。

  

  

東京消防庁のハイパーレスキュー隊や自衛隊の活動は大々的に報道され

ていたが、双葉消防本部が事故発生以降続けてきた数々の活動について

まったく報道がなく、誰にも知られていなかった。実際に避難所で住民

から、「双葉消防は何やってんの?」と咎めるように言われた職員もい

た。

「マスコミに我々の活動を訴えたらどうか」と提案した職員もいたが、

「我々がヒーローになる必要はない」という意見もあった。避難指示に

よって住民が大変な状況に置かれていることへの配慮だった。

(157p)

  

  

辛いね~双葉消防。

でもこの本が出たことで、真実が伝わると思います。

  

  

つづく

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