冨田勲さん亡くなる
今日は5月10日。
わが家は朝日新聞を購読しています。
このブログのサイドバーにある「教材・教具のネタ帳」で、
中日新聞のコラム「中日春秋」 5/9を読むことができ、
それが冨田勲さんが亡くなったことを知った最初でした。
転載の転載です↓
「中日春秋」5月9日
空港の税関職員は米国から届いた物体を前に身構えた。
「楽器」と記されているが、
中には無数のつまみやコード穴のついた箱が並ぶ。
実に怪しい。
受取人の男性は楽器という。
「ならば音を出してください」。
職員は求めるが、男性は「まだ、使い方が分からない」
「これは電気的に音を変化させるもので、すぐに音は出せない」
とおかしな説明をする。ますます怪しい。
届いたのは当時珍しかった大型シンセサイザーだった。
一九七一年のこと。
税関職員を説得する男性はやがてこの種の機械を使い
米グラミー賞にノミネートされる作曲家、演奏家になる。
亡くなった冨田勲さんである。八十四歳
シンセサイザーを「新しい清涼飲料水の名か」と聞く人もいた時代。
商業的な成功よりも新しい音を探す旅を選んだ冒険の人である。
「こんな小舟でどこへ行こうというのか」。
夢でそう叫ぶ日もあったというが、
その流れは「世界のトミタ」につながっていた。
「ジャングル大帝」「リボンの騎士」や特撮の「キャプテンウルトラ」。
その手による主題歌が宝物という世代がいる。
NHK「きょうの料理」の軽快なテーマ曲に
家族を想(おも)う人もいるだろう。
音の響きに興味を持ったきっかけは幼き日、
故郷近くの鳳来寺山(愛知県新城市)の
仏法僧(コノハズク)の声という。
あの夏鳥も「挑戦者」を悼んで山々に声を響かせるか。
この記事を読んで、「故郷近くの鳳来寺山」とあったので、
ちょっとビックリ。
近くに住んでいたの?
調べてみました。
生まれは東京ですが、小中学校時代は
岡崎市本宿(もとじゅく)に住んでいたそうです。
岡崎高等学校から慶応義塾高等学校に編入したとのこと。
私はまだ生まれていませんが、
私の家から電車で10分あまりのところに住んでおられました。
「キャプテンウルトラ」の番組名が出たのがうれしいです。
YouTube: ★カラオケ「キャプテン・ウルトラ」(キャプテン・ウルトラ)
特に印象に残っていて、
番組の最初のクレジットタイトルで「音楽 冨田勲」を認識したのは、
大河ドラマ「勝海舟」のオープニングだと思います。
ああ、2曲とも久々に聴きました。
「その手による主題歌が宝物という世代がいる。」
はい、私もそうです。
そう言って手をあげたい気持ちになりました。
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