「風野又三郎」二百十日から二百二十日までの話
今日は2月11日。
前投稿のつづき。
「風の又三郎」「風野又三郎」の話も9月1日から9月10日の話でした。
これは「二百十日」から「二百二十日」の間ということ。
台風が来る可能性が高い時。
その時に風の子がやってくるのはとてもタイムリーです。
「風野又三郎」には、その期間の記述がありました。
ここも書き残しておきたいので、引用します。
又三郎のセリフです。
「ね、そら、僕たちのいたずらで一番ひどいことは日本ならば稲を倒すことだよ。
二百十日から二百二十日ころまで、
昔はその頃ほんとうに僕たちはこわがられたよ。
なぜってその頃は丁度稲に花がかかるときだろう。
その時僕たちにかけられたら花がみんな散ってしまってまるで実にならないだろう、
だから前は本当にこわがったんだ、
僕たちだってわざとするんじゃない、
どうしてもその頃かけなくちゃいかないからかけるんだ、(中略)
けれどもいまはもう農業が進んでお前たちの家の近くなどでは
二百十日のころになど花の咲いている稲なんか一本もないだろう、
大抵もう柔らかな実になってるんだ。
早い稲はもうよほど硬くさえなっているよ、
僕らがかけてあるいて少し位倒れたってそんなにひどくとりいれが減りはしないんだ。
だから結局何でもないさ。」 (112-113p)
風の子が農民を心配しているのがいいです。
ちょっと前の投稿で、渋川春海が暦の中に「二百十日」を登場させたと書きました。
その頃とは、宮沢賢治の時代では様相が違ってきていたのでしょう。
ちなみに昨年、イネの花の撮影ができたのは8月21日でした。
「風野又三郎」
風の子が、人間の子どもたちに地球規模の風の動きから、
「かまいたち」を起こす小さな風の動きまでを語っている話です。
今以上に風に魅力があったのでしょうね。
「風の又三郎」も「風野又三郎」、両方読むのがオススメ。
なぜ「風野又三郎」から「風の又三郎」が生まれたのだろう?
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