「風野又三郎」に、水沢観測所が出てきました
今日は2月11日。
「風の又三郎」に引き続き、「風野又三郎」を読みました。
図書館で借りてきました。
「ポラーノの広場」(新潮文庫)の中にありました。
「風の又三郎」の又三郎は人間の子どもでしたが、
「風野又三郎」の又三郎は風の子でした。
「風野」は苗字。「又三郎」は名前。だから「風野」なのでしょう。
「風の又三郎」の先駆的な話。
「風の又三郎」に引き継がれた話もいくつかありました。
確かめたかったこと。水沢の観測所の記述を探しました。
※参考:「ヒストリア 天文」より5・・・水沢の観測所と宮沢賢治
ちゃんとありました。引用します。風の子らしい話です。
その前の日はあの水沢の臨時緯度観測所も通った。
あすこは僕たちの日本では東京の次に通りたがる所なんだよ。
なぜってあすこを通るとレコードでも何でもみな外国の方まで
知れるようになることがあるからなんだ。
あすこを通った日は丁度お天気だったけれど、そうそう、
その時は丁度日本は入梅だったんだ。
僕は観測所へ来てしばらくある建物の屋根の上に休んでいたねえ、
やすんで居たって本当は少しとろとろ睡(ねむ)ったんだ。
すると俄(にわ)かに下で、
『大丈夫です、すっかり乾きましたから。』と云う声がするんだろう。
見ると木村博士と気象の方の技手(ぎて)とがラケットをさげて出て来ていたんだ。
木村博士は瘠(や)せて眼のキョロキョロした人だけれども僕はまあまあ好きだね、
それに非常にテニスがうまいんだよ。
僕はしばらく見ていたよねえ、どうしても技手の人はかなわない、
まるっきり汗だらけになってよろよろしているんだ。
あんまり僕も気の毒になったから屋根の上から
ボールの往来をにらめてすきを見て置いてねえ、
丁度博士がサーヴをつかったときふうっと飛び出して行って
球を横の方へ外(そ)らしてしまったんだ。
博士はすぐもう一つの球を打ちこんだねえ。
そいつは僕は途中に居て途方もない遠くへけとばしてやった。
『こんな筈(はず)はないぞ』と博士は云ったねえ、
僕はもう博士にこれ位云わせれば沢山だと思って観測所をはなれて・・・・(104p)
宮沢賢治と観測所の人たちとの関係がよくわかるシーンです。
木村博士や技手さんは、苦笑いしながらこのお話を読んだのではないでしょうか。
(つづく)
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