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2013年1月6日

2013年1月 6日 (日)

「天地明察」より・・・男女の縁

 

今日は1月6日。

 

前投稿に続いて、11月に読破した「天地明察」(冲方丁著/角川書店)より。

 

映画「天地明察」をまだ見ていません。

レンタルが始まったら、借りて見たいと思っています。

調べたところ、2月2日がレンタルスタート日です。

 

ちなみに投稿で書いてきた人の配役を調べました。

 

建部昌明伊藤重孝は、笹野貴史さん(右)と岸部一徳さん。

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なるほど。

 

 

関孝和市川猿之介(四代目いちかわえんのすけ)さん。

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いいですねえ。

 

 

次は保科正之

これは松本幸四郎さん。

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これまたいいですね。

やっぱり考えられていますね。

 

主人公渋川春海は、岡田准一さん。

そしてお互い2度目の結婚で結ばれるえんを、宮崎あおいさん。

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物語の最初で、春海とえんが出会うので、この2人は結ばれると思っていました。

しかし、2人は別の伴侶を得て別れます。

男女の場合、こうなると縁は遠のきます。

それから10年余りして、2人とも伴侶に死なれて再会します。

遠のいていた縁が、再び近づいて2人を結びつけました。

 

この小説で、この男女の縁も楽しみました。

男女の縁って不思議です。

どこかで神様みたいな絶対的な支配者が操っているのでしょうか。

 

春海とえんが再会し、数年して夫婦になる約束をした場面を引用します。

 

「あなたの亡き奥方様に代わり、今日から私があなたを見張っておりますから」

「うん・・・・。それで、あのう・・・・もう一つ、頼んで良いかな」

「いったいなんですか」

「私より先に、死なないでくれ」

えんはしばらく春海を真っ直ぐ見つめ、それから、おもむろに吐息した。

「無茶ばかり頼まないで下さい」

「すまない・・・・でも頼む。頼みます」

「分かりましたから、あなたもしっかり長生きをして下さい。いいですね」

「うん。けど、えんさんも・・・・」

はいはい、と素っ気なくあしらわれた。

そして、またじっと春海を見た。春海もえんを見た。

塾で12年ぶりに再会したときのような不思議な沈黙が降りた。

いい歳の男女が、本当に今このとき、青年と娘に戻って見つめ合っている気分だった。

春海はほとんど初めて、この女性がこれから自分の妻になることを意識した。

そんなことを正直に言えば、えんは滅茶苦茶に叱られそうだが、無我夢中の勢いだった。

それが今やっと冷静になり、実感が湧いた。

初めて出会ってからおよそ15年。

実現を願うどころか想像すらしなかった想いの成就だった。

「あの・・・私も、お頼みしたいのですが」

「な、なんだい。なんでも言ってくれ」

すると、えんは、ちょっと目を逸(そ)らして、その頼みごとを口にした。

「早く、この帯を解いていただけますか」

春海は真顔のまま、こっくんと大きくうなずいた。418~419p)

 

名場面でした。映画では・・・そりゃあこの場面は外せませんよね。

小説のラストに驚きが待っていました。

知りたくない人は、ここより下は読まないように。

 

 

 

 

 

 

 

なんと、春海とえんは同じ日に亡くなります。

約束を守ったのです。

これって本当のこと?

 

「天地明察」より・・・保科正之

 

今日は1月6日。

 

前投稿に続いて、11月に読破した「天地明察」(冲方丁著/角川書店)より。

 

保科正之も「天地明察」では重要な役をしています。

保科正之は、徳川家光の異母弟。

3代将軍家光と4代将軍家綱を補佐した人。

春海の暦作りにも援助をします。

保科正之に関する記述を、たくさん引用します。

 

”凶作、飢饉、飢餓”

調べれば調べるほど、飢苦餓亡が領民を暴発せしめる第一原因なのだと確信された。

そしてそこで正之の天性とも言える”疑問する才能”が大いに発揮されることとなった。

”なぜそもそも凶作になると飢餓となって人は飢える?”

およそどの大名も疑問にすら思わなかったような、

根源的な問いを抱いたのである。

それは同時に、戦国から泰平へと世が移り変わる上での思想の変転そのものだった。

覇道に奔走する者たちにとって、災害援助や飢餓救済など、ある程度美談である。

しかし結局は、”贅沢”に過ぎない。

凶作は天候によってもたらされ、天候は天意であった。

その天意の結果、地に飢民が生ずるというのは、人の身でどうこうできるものではなく。

”仕方なく慎む”

べき事柄であった。いたずらに騒いで神に祈ったり対処したりすれば出費がかさみ、

領国を疲弊させる。そのため飢饉の折には、領主は自己の人徳を慎み、

領民は彼らの道徳を慎む、良い機会とすべきである。

そういう発想こそ常識だったのである。276~277p)

 

行いが悪ければ、天候が悪くなる。

そんな発想があったのでしょうか。

今なら「そんなことはない」と言えます。

保科正之は、当時の常識を覆していきます。

 

むしろ民が飢えるときこそ治世に都合が良く、

みなに質素倹約の貴さを教える好機である、という常識を、

正之は根こそぎ否定した。

そしてただ否定するだけでなく、

”凶作において重税を課し、領民を疲弊させるばかりでなく

飢えに陥らせるのは、慎みでも質素倹約でもなく。

ただの無為無策である”と断定した。さらには、

”凶作において飢饉となるのは蓄えがないからである”

というきわめて単純な解答を出し、

”なぜそもそも蓄えがない?”となおも疑問を続けた。

”民のために蓄える方法を為政者たちが創出してこなかったからである”

と過去の治世を欠点を喝破(かっぱ)し、

”凶作と飢饉は天意に左右されるゆえ、仕方なしとすれども、

飢饉によって飢餓を生み、あまつさえ一揆叛乱を生じさせるのは、君主の名折れである”

という結論に達したのである。

これこそ正之という個人が到達した戦国の終焉、泰平の真の始まりたる発想の転機となった。227~278p)

 

島原の乱が、戦国の世から泰平の世の転換期だと、

テレビの番組で聞いた覚えがあります。

その大きな発想の転換にかかわったのが、保科正之だったんだと思いました。

もう少し続きを引用します。

 

正之はまず、将軍とは、武家とは、武士とは何であるか、という問いに、

”民の生活の安全確保をはかる存在”

と答えを定めている。

戦国の世においては、侵略阻止、領土拡大、領内治安こそ、

何よりの安定確保であろう。

では、泰平の世におけるそれは如何に、という問いに、

”民の生活向上”と大目標をさだめたのである。(中略)

その政策が、ことごとく、戦国の常識を葬っていったことにあった。(278p)

 

江戸の生活用水を確保するために、玉川上水の開削をしました。

明暦の大火で、江戸が焼けた時は、備蓄米を放出しました。

火災で焼けた江戸城天守閣の再建をストップさせました、などなど。

 

 

この人が、教科書に登場してこなかった理由として、

死ぬ前に、正之が国策に関わった記述のある文書を全て処分させたのが大きいのかな。

彼のやったことを伝える資料が少なかったことが予想されます。

名誉も金もいらない、江戸時代の初期にすごい人がいたんだと知りました。

 

 

 

 

 

 

「天地明察」より・・・研鑽のためなら

 

今日は1月6日。

 

前投稿に続いて、11月に読破した「天地明察」(冲方丁著/角川書店)より。

 

渋川春海が観測事業で一緒に旅をしている建部昌明と伊藤重孝に、

関孝和のことを紹介するところがあります。

 

「一つ気になっていたのですが、それはなんの本なのでしょう」

伊藤が、春海の傍らに置かれた本を指さして言った。

先ほど月蝕観測の際に、春海が慌てて手渡した、関孝和の稿本である。

「これは・・・」

口ごもりつつ、とある算術の達人による稿本である、と告げるや、

「名は?」

「いずこの方で?」

たちまち建部と伊藤が一緒になって食いついた。

勢い、春海は金王八幡の算額絵馬のことや磯村塾や

”一瞥即解の士”たる関孝和について話さざるを得なくなり、

「そのような人物が江戸にいるとは」

建部など力いっぱい拳を握りしめ、

「ぜひ弟子入りしたい」

はっきりそう言った。なんと伊藤までが首肯(しゅこう)している。

この二人の老人にとって研鑽のためなら三十も年下の若者に

頭(こうべ)を垂れることなど苦でも何でもないらしい。それどころか、

「だいたいにして若いしというのは実によろしい」

「ええ、ええ。教えの途中で、ぽっくり逝かれてしまうことがありませんから」

などと喜び合うのだった。207p)   

 

この本を読んで、一番印象に残ったのは、実はこのシーン。

自分がベテランと言われる年になっているにもかかわらず、

まだ自分の未熟がどうしようもない。

でも学ぶ場に行くと年下ばかりになってきてしまいました。

※参考:2011高崎報告1・・・愛知県から1人でした

講師の先生も年下。

この伊藤重孝や建部昌明のような態度はいいなと思いました。

 

若い講師に出会っても、今の自分を否定しなければいいのです。

今の自分は、今までベストを尽くして出来上がってきたもの。

でも人間は一生完全にはなれない。

至らないところを補ってくれる講師に出会ったら教えてもらえばいいのです。

だから講師は老若男女関係なし。

学ぶのをやめる必要もなし。周りが若者ばかりでも。

 

1月12日。兵庫に行って勉強してきます。

 

「天地明察」・・・「関孝和」に命が吹き込まれた

 

今日は1月6日。

 

明日は始業式。

そしておそらく日の出が最も遅い日。

太陽で考えれば、最も底の日。

明日を境に上向きになります。そう考えれば最底(さいてい?)も悪くない。

※参考:日の出(最遅)日の入り(最早)時刻調べ

 

 

11月に読破した「天地明察」(冲方丁著/角川書店)より。

※参考:「生き方」を意識したい/冲方丁さんの記事(11月23日の投稿)

 

この本の主人公は渋川春海(1639年12月27日~1715年年11月1日)です。

そして脇役ながら、しっかり存在感を出しているのが、

関孝和(1642年3月?~1708年12月5日)です。

学生の頃に、江戸時代の和算家として社会科で暗記した人物名に過ぎなかった関孝和。

今でもありそうな名前だと思っていた「関孝和」

「天地明察」を読んで、名前だけだった関孝和に、命が吹き込まれた感じになりました。

稀有(けう!)の天才として描かれていました。そんな一場面。

 

初めてその男が塾を訪れたのは去年のことだ。

最初は壁に貼り出された問題を眺めたり、

塾の者たちの問答の応酬を横で聞いたりしているだけだったという。

門下に入りたいのかというと、そうではなく、ただ距離を置いたところから、

塾の様子を眺めているという感じだった。

だがそのうち、誰かが、あなたも解答に挑んでみたらどうかと勧めた。

ここでは自由にそれが許されている。誤謬(ごびょう)を恐れるなかれ、うんぬん。

その男は、それでは、と筆を持った。

いきなり全ての問題に、ただ答えだけを書いた。

その場に居合わせた者たちが一人残らず言葉を失うほどの速さだった。

あらかじめ答えを知っていて書いているとしか思えない。

だが塾の師である磯村が、手本として出題した、誰一人解けぬ難題にすら答えをつけた。

その日の内に、全て正解であることが分かった。

塾生全員が言葉を失った。

磯村は不在だったが、代わりに村瀬が、その問題の答えに、

『明察』

の二字を記した。塾に、どよめきが起こった。106~107p)

 

「その男」こそ関孝和でした。

 

関連して調べると、こんなサイトがありました。

satokenichilab's blog ここが違うよ『天地明察』:参考文献の著者から

satokenichilab's blog ここが違うよ『天地明察』:参考文献の著者から(1)

satokenichilab's blog 『天地明察』騒動:Coming Out m(_ _)m

satokenichilab's blog 『天地明察』をレポート課題にしてみた(1)

satokenichilab's blog 『天地明察』をレポート課題にしてみた(2)

satokenichilab's blog 『天地明察』をレポート課題にしてみた(3)  

関孝和を研究している方のブログです。

ブログ本文もコメントも読んでいて勉強になります。(つづく)

<心の病>全国教員の休職、微減の5274人…11年度

 

今日は1月5日。

 

年始に奥さんの実家で、ゆっくりテレビを見て過ごしましたが、

ちょっと無理な姿勢で見た時に、再び頚椎症(けいついしょう)を発症させてしまったみたいです。

まいったなあ~、油断しました。大反省。

再び首の右側、右からから腕にかけて疼痛(とうつう)に見舞われています。

※参考:頚椎症は疼痛(とうつう)

 

昨年見かけたニュースのダイジェストを下に載せます。

うつ病に関する記事です。

11年度の統計です。休職者が5274人。

この人数、どう思いますか?

私は思ったより少ないと思ってしまいました。

 

肉体的には傷口もなく、腫れることもなく、折れることもない。熱も出ない。

何にも現れないのに、相当な苦痛に襲われるうつ病。

まわりに理解されないだろうなと思って無理をされている先生もいるのではないでしょうか。

少し休めば、かなり良くなる病気。そしてまた頑張れる。

無理すれば取り返しがつかないところまで行ってしまう病気。

 

10年余前には、あまり認知されていなかったうつ病。

私は当時この病名を知りませんでした。

でも今は世間でだいぶ認知されてきたと思います。

でも頚椎症や腰痛は話題にしやすいですが、まだうつ病はそうはいきません。

無理されている人は、ぜひひと休みを。

 

どうしたら、休職者の人数を減らせるか。

自分で人体実験?をしてみたいです。

どのような環境でどう働いたら、うつ病にならずに過ごせるか。

いい方法があったら、他の人に伝えることができます。

 

 

 

毎日新聞 12月24日

<心の病>全国教員の休職、微減の5274人…11年度

文部科学省は24日、うつなど心の病で11年度中に休職した教員は5274人だったと発表した。

2年連続で減少したものの、10年前(02年度2687人)の約2倍で、

08年度から5000人を超える高い水準が続いている。

同省は「学級を一人で受け持ち、保護者との関係の悩みなどを同僚や

上司に相談しにくい状況が依然あるのではないか」と分析。

今年度中に対策を検討する。(中略)

国の公立小中高校と特別支援学校、中高一貫校の教員約92万人を調査した。

心の病による休職は18年ぶりに減少(51人)した10年度(5407人)から、さらに133人減った。

50代以上が最多で2037人(39%)。

40代1712人(32%)▽30代1103人(21%)▽20代422人(8%)。

全体の教員数が最も多い小学校(約41万人)が2347人で最多だった。

同省初等中等教育企画課は「憂慮すべき状況で、教員の相談窓口を校内に設置するなどの対策が必要だ」としている。
心の病を含む全体の病気休職者は8544人で10年度から116人減り、19年ぶりに減少した。
(後略)
    

いかん、もう6日だ。

     

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