オルセー美術館6・・・「晩鐘」(ミレー)
今日は4月25日。
前投稿のつづき。
前投稿で紹介した番組放映の翌日、3月13日放映の「欧州 美の浪漫紀行2
画家ミレーが”晩鐘”にかけた想い」より。
「晩鐘」(ジャン=フランソワ・ミレー作 1857~1859年) 55.5×66cm
この番組で特に勉強になったのは、「バルビゾン派」について。
ミレーはパリに住んでいましたが、パリでコレラが流行。
非難するため、パリの南東65㎞の場所にあるバルビゾン村に移り住みます。
フォンテーヌブローの森という変化に富んだ森が隣接し、自然豊かな場所でした。
そのため、ミレーは風景画を描くようになり、
同じように風景画を描く画家がたくさん集まってきました。
この集団のことを後にバルビゾン派と言うそうです。
バルビゾン・・・いい響きです。聞いたことがある言葉でしたが、判明しました。
位置を地図で示します。
「晩鐘」について。
当時のフランスは、産業革命があって、貧富の差が生じ、
貧しい人たちの生活が苦しく、為政者に蜂起したりすることがあったそうです。
フランスを治めていたナポレオン3世は、
国民の大多数を占める農民の支持を得るために、
ミレーの描いた絵を利用しようと考えます。
ミレーはバルビゾン村付近の自然の中で働く農民の姿を描いていました。
1867年のパリ万博でミレー展を開催し、「晩鐘」などが公開されました。
ミレーは名声と1000フランを得たそうです。
そんな歴史を背負った作品でした。
社会科教師だからってわけではありませんが、
美術の勉強をしていても、いつかは社会科につながります。
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