一葉落ちて天下の秋を知る
今日は11月3日。
今回も、子どもから提出された自主勉強で、私が勉強になったこと。
その男の子は、国語辞典を引いては、意味を書き写してくることをよくやってきます。
11月1日は、「一」で始まる言葉を書きならべていました。
「一網打尽」
「一目置く」
「一問一答」
その次の言葉に目がとまりました。
「一葉(いちよう)落ちて天下の秋を知る」
これは知らないことわざ(故事成語)です。
こんなのが国語辞典にあったんだ。意味は何だろうと続けて読みました。
「落葉の早い桐の葉が一枚落ちるのを見て、
秋の来たことを知る。
わずかの前ぶれで、のちに起こるできごとを予想するたとえ」
ほ~、一葉とは「桐」なんだ。
このことわざの謂れに関心が出てきました。
調べてみました。
次のサイトが参考になり、引用します。
※http://homepage1.nifty.com/kjf/China-koji/P-018.htm
鍋の肉の味をみようする場合に、鍋の中の肉を全部食べなければわか
らなぬということはない。
その一切れをなめてみれば、鍋の中の肉全部の味を知ることができるのだ。
また、湿気に感じない羽と、湿気をよく吸う炭とを秤にかけて、
空気が乾燥しているか湿気をもっているかを知ることができる。
このようなのは、小さなものをもって大きなものを明らかにする例である。
また梧桐(ごとう)の葉が一枚落ちるのを見れば、年の暮れに近づいたことがわかるし、
瓶の中の水が凍っているのを見れば、世の中全体が寒くなったことがわかる道理、
これは手近なものから遠いものを推察する例である。
これは前漢の時、淮南王であった劉安が著した『淮南子』という書物の「説山訓」の章に見える言葉である。
この中の「一葉落つるを見て、歳の将に暮れんとするを知り、瓶中の氷を見て、天下の寒きを知る。」
が、李子卿の「秋虫賦」に「一葉落つ天地の秋」となって見え、
「文録」に唐人の詩として載せられたものに「一葉落ちて天下の秋を知る」となって出ている。
『淮南子』での意味は、小さな現象から大きな根本を悟らねばならぬというのであるが、
今ではむしろ、小さな兆候から衰え亡びようとする形勢を察する喩えに用いられている。
坪内逍遙の「桐一葉(ひとは)」は片桐の桐をとると同時に、
豊臣家の衰亡の意をこめているのだろう。
梧桐は青桐(アオギリ)のこと。
http://www.hana300.com/aogiri1.html
話は、坪内逍遥の話に及びました。
坪内逍遥の「桐一葉」という作品名は知っていました。
この故事成語と関連があったのですね。
「桐一葉」
坪内逍遥の戯曲。
関ヶ原の戦い後の大坂が舞台で、
豊臣家の忠臣片桐且元(かつもと)の苦渋を描いたものだそうです。
まさに、NHKの大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」で、
片桐且元役の三田村邦彦が、その苦渋を演じています。
「桐一葉」はそういう話だったんだ。
ここまで行きついたところで、調べは終了。
以前から知っていたことと関連づくと面白い。
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