« 「ピカドンたけやぶ」動き出している | メイン | プール水面に映る仲秋の名月 »

2011年9月11日 (日)

「歴史秘話ヒストリア 真田幸村vs.伊達政宗」を見る

   

今日は9月11日。

昨日「歴史秘話ヒストリア 激突!真田幸村vs.伊達政宗 ~めぐりあい大坂夏の陣~」を見ました。

7月27日に放映された番組です。(再放送。本放送は2010年1月6日)

真田幸村ゆかりの長野県上田市には3回行ったことがあり、

興味を持っている武将の一人が、真田幸村です。

RIMG0013幸村 
※真田幸村・・番組より

    

関ヶ原の戦いの時の、徳川秀忠との戦い。第二次上田合戦

父真田昌幸と幸村の戦上手が際立った戦い。

以前にもブログに書きました。

「映画『サマー・ウォーズ』第二次上田合戦の真実」.html   

今日の晩放映の大河ドラマ「江~姫たちの戦国」は、まさに第二次上田合戦をやります。

どのように描かれるか注目。

担任している6年生にも解説して、ぜひ見るように言ったけど、

どれくらいの子どもたちが見てくれるかな。

     

関ヶ原の戦いに勝ったのは家康で、家康は将軍になり江戸幕府の治世が始まります。

徳川に逆らったということで、真田幸村は、紀州の九度山に14年間も幽閉されます。

九度山での貧しい生活については知らなかったので、

番組でよくわかりました。

浴衣の布と交換に、焼酎をねだる幸村の手紙は、ちょっと意外でした。

※九度山=和歌山県九度山町(下に地図を示す)

   

豊臣が徳川と戦う武将を募っていると聞いて、幸村は豊臣側につきます。

48歳で大坂冬の陣に参戦。

大阪城のお堀の外に「真田丸」という要塞をつくって、大軍相手に痛快に戦います。

堀も真田丸も失っての夏の陣においても、

幸村は奮戦し、家康に迫るところまで行きましたが、戦死。49歳でした。

名が残ることを欲した幸村の行動は的中。今も名が残っているわけです。

    

幸村の大坂冬の陣・夏の陣の活躍は、

14年間の幽閉期間後のことであることがよくわかった「歴史秘話ヒストリア」でした。

ドラマチックな生き方はあこがれます。

やっぱりドラマチックに生きたいと思っています。

どう自分の人生をこれから作っていこうか。

終わりよければすべてよし。

終わりは恰好よく。それまでは地味に堅実に。なんてね。

    

今回、伊達政宗については、あまり印象に残らず。

 

 

 

 

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://bb.lekumo.jp/t/trackback/603251/31073223

「歴史秘話ヒストリア 真田幸村vs.伊達政宗」を見るを参照しているブログ:

コメント

道草さん お久しぶりです。
真田幸村が幽閉されていた九度山町は、わたしの実家がある高野口町の対岸にあります。
本当に、あなたのブログとわたしは何かつながっていますね。

子どもの頃、真田庵には牡丹の花の頃に祖母や母とよく行っていました。せまい境内に牡丹がたくさん植えられています。5月初めの連休には、真田祭りがあります。

そして、大阪城へつながっているという言い伝えのあるトンネルのような大きな穴もあります。
九度山町付近の地域では、今でも幸村はヒーローです。

でも、わたし、この回の歴史ヒストリアを見逃したんです。残念。

つながっていますね、奈良軍団営業担当さん。
コメントをありがとうございます。
九度山町は俄然興味関心の的です。
大阪城につながっているという言い伝えのトンネル、
面白そうです。九度山町、行きたいです。

コメントを投稿

最近の写真

  • Img_8523
  • Img_8520
  • Img_8519
  • Img_8518
  • Img_8522
  • Img_8521
  • Img_8517
  • Img_8512
  • Img_8510
  • Img_8508
  • Img_8507
  • Img_8504

楽餓鬼

今日はにゃんの日

いま ここ 浜松

がん治療で悩むあなたに贈る言葉