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2010年8月 1日 (日)

火天の城10/大中の湖干拓地

   

今日は8月1日。

前投稿のつづき。

安土城付近の地図を前投稿で載せました。

安土城は、琵琶湖の内湖に突き出た水城だったと書きました。

どんな状態だったのだろう。

前投稿の地図よりもう少し引いた地図をよく見ると見えてきます。

    

「大中の湖干拓地」というのがあります。

ここが湖だとしたら、かつて湖に面していた安土城が想像できます。

大中の湖干拓地について調べました。

次のサイトの説明が参考になりました。

長いけど引用します。

    

※「中谷農場/大中の湖干拓地のおいたち」http://www.nakatani-farm.jp/gallery/gallery-545-6055.html

我が国では、第2次世界大戦の最中から食糧が不足し、

国内の農地を増やすため、開拓や開墾、また干拓工事が行われました。

びわ湖のまわりには、かつて40あまりの内湖がありましたが、

昭和40年までに15の内湖が干し上げられました。

    

その面積は25.2km2におよびます。

この大中の湖干拓地は最も大きな内湖で、計画に時間がかかり、

昭和32年から着工され、総工費32億円をかけて42年に完成しました。

  

この干拓地は、東西3.7km、南北3.6kmのフライパンの形をしていて、

11.5km2(1,150ha)の面積があります。

最も低い所は、びわ湖の水面より3m低くなっており、

干拓地のまわりを堤防(現在は道路として使用)がとりまいています。

この堤防により外側の西の湖やびわ湖、承水溝と呼ばれている大きな川の水が中に入ってきません。

   

また干拓地の真中に掘られた幹線排水路(水を汲み出す中心となる水路)の終点のポンプ場から、

絶えずびわ湖の方へ排水しています。この守りがないと元の内湖に戻ってしまいます。

    

     

オランダのような場所なのだと思いました。

安土城を見に行くのは12日の予定。

この干拓地もできたら見てきたいです。

まてよ、昭和32年より前だったら、

内湖は存在し、安土城があった往時の姿が見られたんだ。残念。

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