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2010年1月4日

2010年1月 4日 (月)

「ら」抜き言葉をどう思いますか?

最近の投稿では、なるべく「ら」抜き言葉にならないようにして文を書いてきました。

しかし、「ら」を入れることでどうもおかしい。

たとえば、今日の朝にうった投稿。

「北斗七星も大きく見られました」

もちろんこれは、私が北斗七星を見ることができたという「可能」の意味です。

しかし、前後の文がない場合。

北斗七星の立場に立って、みんなから見られたという「受け身」の意味にもとれます。

   

そもそも「ら」抜き言葉とは?

私の中では、知っているつもりぐらいだったので、

いい機会と考えて調べてみました。

「ら」抜き言葉とは、

動詞の可能形「食べられる」「出られる」「見られる」などから「ら」を抜いた、

「食べれる」「出れる」「見れる」などの言い方の称。文法的には破格。(大辞泉)

   

「られる」は可能、受身、尊敬を表す助動詞。

そのうち、可能を表す時に「ら」が抜けることがあります。

これが「ら」抜け言葉というわけです。

困るのは、「られる」を使った時に、それが可能の意味なのか、

あるいは受身や尊敬なのか判断が難しいことがあるということです。

しかし、「ら」を抜いて、上記のように「食べれる」「出れる」「見れる」なら、

可能の意味であることは明確です。

    

こうやって考えると、文法上は間違っているようですが、

意味を間違えてほしくないという気持ちから生じた変化であるなら、

「ら」抜き言葉は自然なことであって、

とやかく言わなくてもいいのではと思います。

  

そうだ、8日には社会科教師なのに国語サークルの新年会に参加します。

その時に国語の先生から意見をもらうことにしよう。

   

次のサイトを参考にしました。

※「『ら』抜き言葉は、日本語の前進的変化の一面である」

http://www.tackns.net/word/ranuki.html

このサイトに書かれた次の文章が私には心に響きました。恰好がいい!

受身や尊敬ではなく可能であることを明確に示したいという、

使う人間の意志が表れてこのような言葉ができてきたのではないだろうか。

このように考えると、「ら抜き言葉」が登場して蔓延しつつあるのも、

言葉の進歩と歴史の必然であり、

日本語が完成度を高めてゆく過程の一つであると思えてくるのである。

   

※「正しい日本語を書こう ら抜き言葉」

http://washitake.com/jp/2002/05/post_2.html

この方は、「ら」抜き言葉は、明治より前には使われてきた言葉であって、

明治になってつくられた現代標準語よりも歴史があると書いています。

現代標準語なるものができたために間違いにされた言葉なのです。

自然な流れとして「ら」抜き言葉が復活する可能性がありと感じました。

しっぽの先で輝くアルクトゥルス

4時には起きるつもりが5時前に起床。

近くのグランドに行って、星空観察。

20分ほど見ていましたが、

しぶんぎ座流星群の流れ星を見ることはできませんでした。

  

衛星が移動するのが見られました。

今日見た方向(北斗七星方向)でよく輝いていた星がアルクトゥルスでした。

うしかい座に含まれる星。

標準1等星の約2倍の明るさのある星。

名前のいわれについては次のサイトにこう書いてありました。

※参考http://yumis.net/space/star/greece/boo-g3.htm

この星の名前は、ギリシア語のアルクトウロスをラテン語読みにしたもので「熊の番人」という意味で、

これはいつも大熊座のしっぽ、北斗七星についてまわることからきていると言われています。

確かにおおくま座のしっぽの先で輝いていました。

流れ星は見られませんでしたが、この星が見られてよかった。

   

北斗七星も大きく見られました。

さすが北斗七星、わかりやすい。

   

アルクトゥルスは春の大三角に含まれ、

さらには春の大曲線に含まれる星。

冬真っ盛りですが、朝の星座は春でした。

   

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