52年余前に製作された冊子にあの山の名前が載っていました
今日は令和8年2月17日。
勤務校にあるこの山についての調べが進みました。
ここでも道草 校区にある全山桜の謎の小山(2026年2月10日投稿)
勧められて豊川市生涯学習課文化財係に電話して、
さらには実際に豊川市の旧音羽町にある文化財係に出向いて
いろいろ教えてもらいました。
この山は「平尾遺跡」の一部だと思っていたので、
平尾遺跡についての資料を見せてもらいました。
青い線は私が書きました。
「散布地」は、土器などが発見されたが、
「集落跡」だとは断定できない場合に使う言葉だと
教えてもらいました。
地図で確認していて、おや?と思いました。
この地図で、青印のところが、今、私が注目している山。
「平井遺跡」とは場所が違いました。
そのことを文化財係の方に伝えたら、
「ああ、あの山ね。あの山は気になっているけど、
遺跡かどうかはまだ判定してないですね」とのこと。
かたちから、古墳の可能性もあるのだけど、
古墳の場合、当時の工事技術の関係で、斜面の角度が
およその範囲内に収まるのだそうです。
今回の山の傾斜は、その範囲内よりも角度が大きいそうです。
急だということです。
確かに、登った時に、直登はけっこうきついと思っていました。
平井遺跡ではないことを知って、調べは振り出しに、
と思いましたが、文化財係の方が「そういえば」と言って
資料を出してくださいました。
「ここに載っていたぞ」「きっと学校にもあるよ」と
見せてくれました。
これは昭和48年の資料。
小学校のPTAが作成した異色の資料です。
そこにちゃんと山のことが書いてありました。
その部分を載せます。
あの山は「丸山」でした。
この文書を書いた「寺部小一」さん。
文章の中に出てくる「寺部実」さん。
この方たちに会って、話を聞きたいと思いました。
興味があるのはこの冊子もです。
作成したのは「平尾小PTA」とあります。
PTA活動で145ページの冊子を作ってしまうパワー。
すごいなと思います。
「はじめに」の写真を載せます。
まだ未完成とのこと。
確かに表紙を見ると、「第1回 まとめ」とあり、
この「はじめに」の中でも、「第二回目には、もっとよいものに
したい」と書いてあります。
でも勤務校の図書館で、「第1回 まとめ」の冊子はありましたが、
「第2回 まとめ」はありませんでした。
もし存在するなら、見てみたいです。
昭和48年。西暦1973年。
52年余り前の冊子です。
「寺部小一」さん、「寺部実さん」
いかがお過ごしでしょうか。
お年寄りのくだりに名前が書かれているので、
ご存命かどうか。









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