莫大な映像にさらされている現代
今日は令和4年8月24日。
8月22日の朝日新聞朝刊に、
映画「戦艦ポチョムキン」(1925年)のことが
書いてありました。
ほぼ100年前のこの映画の有名な階段シーンは
観た覚えがあります。
映画全体を見た覚えがないので、ドキュメンタリー番組とかで、
その場面だけ観たのでしょう。
赤ん坊を乗せた乳母車が、
階段を下っていくシーンは特に印象的です。
あの階段のシーンは、ロシア帝国側のコサック軍が、
民衆を虐殺する「オデッサの階段」の場面でした。
オデッサという地名も覚えていました。
オデッサといえば、現在行われているウクライナとロシアの
戦場の一つオデーサのことです。
そうかそこに有名なオデッサの階段があるのかと、
今さらながら確認しました。
この映画は、ソビエト連邦の共産主義をたたえる
プロパガンダ映画です。
1920代、映画は産業として確立され、
民衆の心を動かす大きな力がありました。
日本でも、ニュース映画というのがあって、
戦意高揚の強力な方法となりました。
現在はどうか。
気になる文章がありました。
金井明人・法政大学教授の言葉です。
「映像は本来、様々な要素が絡み合う複雑なもの。別の可能性や複数
の意味があることを考え続けなければいけない。だが莫大な量を処理
するため、受け手がより単純化してとらえる傾向が強まり、意味の多
様性が失われつつあるのではないか」と懸念する。
長い記事のこの部分が気になりました。
金井教授の言わんとしていることとはずれるかもしれませんが、
私が思ったこと。
100年前に比べて、映像が莫大になった現在。
映像の上っ面しか見なくて、じっくり見なくなったと思うのです。
動画を見るのに、倍速で見るのが流行りです。
知ることがメインであって、映像を味わうことが薄れてきているのでは。
限られた映像によって、扇動されるのも問題ですが、
映像作品をじっくり味わえなくなってきた傾向も問題だと思います。
私も映像を次々に見ていく傾向があるので、
精選してじっくり見ていきたいなと思いました。
コメント