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2013年2月11日

2013年2月11日 (月)

ユズにトゲ/1月の発達障がいの講座5・・・発達課題達成の難しさ

 

今日は2月11日。

 

この冬は、甘酒とゆず茶を飲んで体を暖めています。

「ユズを取ってきて」と頼まれて、庭のユズの木から実を取っていました。

そしたら、いやにチクリチクリと痛い。

何で?と思ったら、茎からトゲがいくつも出ていました。

「え、ユズってトゲがあるんだ!」

恥ずかしながら、今まで知りませんでした。

(すっかり忘れていたのかも?)

RIMG0477

次のサイトで、トゲについて書いてありました。

ゆずとげ 柚子のとげは何のためにあるのか

 

 

 

間があいてしまいましたが、次の講座の報告のつづきをうちます。

2月5日以来です。

 

1月31日 障害基礎講座

講演演目「発達の凸凹を抱える学齢児の理解と支援」

講師 かずおメンタルクリニック

    大瀧和男先生  

 

〇学童期の発達課題ー低学年

EPSON197低学年

 

〇学童期の発達課題ー高学年

EPSON197kougakunenn

上記のように、低学年・高学年に発達課題がある。

しかし、発達障害を抱える子どもは、次のような理由で課題達成が難しい。

〇発達障害を抱える子どもの課題

EPSON203子どもの課題

「認知のアンバランス」については、

「自分にいいように取り入れてしまい、うまくいかない」と説明された。

 

今回は以上。




「風野又三郎」二百十日から二百二十日までの話

 

今日は2月11日。

 

前投稿のつづき。

 

「風の又三郎」「風野又三郎」の話も9月1日から9月10日の話でした。

これは「二百十日」から「二百二十日」の間ということ。

台風が来る可能性が高い時。

その時に風の子がやってくるのはとてもタイムリーです。

 

「風野又三郎」には、その期間の記述がありました。

ここも書き残しておきたいので、引用します。

又三郎のセリフです。

 

「ね、そら、僕たちのいたずらで一番ひどいことは日本ならば稲を倒すことだよ。

二百十日から二百二十日ころまで、

昔はその頃ほんとうに僕たちはこわがられたよ。

なぜってその頃は丁度稲に花がかかるときだろう。

その時僕たちにかけられたら花がみんな散ってしまってまるで実にならないだろう、

だから前は本当にこわがったんだ、

僕たちだってわざとするんじゃない、

どうしてもその頃かけなくちゃいかないからかけるんだ、(中略)

けれどもいまはもう農業が進んでお前たちの家の近くなどでは

二百十日のころになど花の咲いている稲なんか一本もないだろう、

大抵もう柔らかな実になってるんだ。

早い稲はもうよほど硬くさえなっているよ、

僕らがかけてあるいて少し位倒れたってそんなにひどくとりいれが減りはしないんだ。

だから結局何でもないさ。」    (112-113p)

 

 

風の子が農民を心配しているのがいいです。

ちょっと前の投稿で、渋川春海が暦の中に「二百十日」を登場させたと書きました。

その頃とは、宮沢賢治の時代では様相が違ってきていたのでしょう。

 

ちなみに昨年、イネの花の撮影ができたのは8月21日でした。

※参考:7月下旬の花々11/ヒエ・イネ・不明

 

 

「風野又三郎」

風の子が、人間の子どもたちに地球規模の風の動きから、

「かまいたち」を起こす小さな風の動きまでを語っている話です。

今以上に風に魅力があったのでしょうね。

「風の又三郎」も「風野又三郎」、両方読むのがオススメ。

なぜ「風野又三郎」から「風の又三郎」が生まれたのだろう?

 

「風野又三郎」に、水沢観測所が出てきました

 

今日は2月11日。

 

「風の又三郎」に引き続き、「風野又三郎」を読みました。

図書館で借りてきました。

EPSON209

「ポラーノの広場」(新潮文庫)の中にありました。

 

「風の又三郎」の又三郎は人間の子どもでしたが、

「風野又三郎」の又三郎は風の子でした。

「風野」は苗字。「又三郎」は名前。だから「風野」なのでしょう。

「風の又三郎」の先駆的な話。

「風の又三郎」に引き継がれた話もいくつかありました。

 

確かめたかったこと。水沢の観測所の記述を探しました。

※参考:「ヒストリア 天文」より5・・・水沢の観測所と宮沢賢治

    :「風の又三郎」には、水沢観測所は出てこなかった  

 

ちゃんとありました。引用します。風の子らしい話です。

 

その前の日はあの水沢の臨時緯度観測所も通った。

あすこは僕たちの日本では東京の次に通りたがる所なんだよ。

なぜってあすこを通るとレコードでも何でもみな外国の方まで

知れるようになることがあるからなんだ。

あすこを通った日は丁度お天気だったけれど、そうそう、

その時は丁度日本は入梅だったんだ。

僕は観測所へ来てしばらくある建物の屋根の上に休んでいたねえ、

やすんで居たって本当は少しとろとろ睡(ねむ)ったんだ。

すると俄(にわ)かに下で、

『大丈夫です、すっかり乾きましたから。』と云う声がするんだろう。

見ると木村博士と気象の方の技手(ぎて)とがラケットをさげて出て来ていたんだ。

木村博士は瘠(や)せて眼のキョロキョロした人だけれども僕はまあまあ好きだね、

それに非常にテニスがうまいんだよ。

僕はしばらく見ていたよねえ、どうしても技手の人はかなわない、

まるっきり汗だらけになってよろよろしているんだ。

あんまり僕も気の毒になったから屋根の上から

ボールの往来をにらめてすきを見て置いてねえ、

丁度博士がサーヴをつかったときふうっと飛び出して行って

球を横の方へ外(そ)らしてしまったんだ。

博士はすぐもう一つの球を打ちこんだねえ。

そいつは僕は途中に居て途方もない遠くへけとばしてやった。

『こんな筈(はず)はないぞ』と博士は云ったねえ、

僕はもう博士にこれ位云わせれば沢山だと思って観測所をはなれて・・・・(104p)

 

 

宮沢賢治と観測所の人たちとの関係がよくわかるシーンです。

木村博士や技手さんは、苦笑いしながらこのお話を読んだのではないでしょうか。

(つづく)

「サグラダ・ファミリア」で思い出される曲

 

今日は2月11日。

 

昨晩は、すでに何年か前に退職をされた方々と飲み会。

その一人有我忍さん(ペンネーム)は退職後、

マレーシアやスペイン、トルコに長期間1人旅をして、

旅行記を自費出版している方。

荷物を盗まれたり、ぼったくりバーでたかられたりと大変なことも起こりますが、

旅先で多くの人と出会い一緒に旅する様子がよくわかる旅行記でした。

退職後の生き方の参考になる方です。

 

 

スペインのバルセロナにあるサグラダ・ファミリアも旅していました。

0011

 

地下鉄のディアゴナル駅で乗り換えて、聖堂の駅で下車した。

地上に上がると天高くそびえる聖堂が目の前に迫ってきた。

1区画を占める広くて高い建造物である。

ガウディの作品らしく凸凹のアクセントが強調されていた。

まさにガイドブックで見た通りである。

今なお建設中なので何台もの巨大なクレーンが見上げるほどの高さにあり、

痛々しささえ感じさせる外観でもあった。

(中略)

(午後)6時近かったので(切符を)待たずに買えるかと思いきや、

待っていた人の列が100mはあっただろう。がっかりであった。

しかも西日がまともに当たる最悪の位置であった。

私の番が近づくと、銃を持って警備している兵隊が

外国人である私の持ち物と身体検査をはじめた。

どうして私だけを検査するのかわからなかった。

よく考えると、結構大きなリュックを持っていたから検査を受けたのだと思う。

「スペイン・トルコ漫遊記 ボスフォラスの風」(有我忍著)より

 

有賀さんの旅行記は、人の中に入っていく話が多いです。

この場面もささやかですが、人の中に入っていきます。そして何か起こります。

この連続です。

 

 

懐かしい曲が思い出されました。

イギリスのロックバンドであるアラン・パーソンズ・プロジェクトの「サグラダファミリア」です。

 

1987年発売のアルバム「ガウディ」の中の1曲。

Sbvfyabffg11527

 

まだ行ったことがないサグラダファミリアを思い浮かべて聴き込んだ曲です。

また聴きたくなりましたが、天井裏の倉庫から見つけ出すのは一苦労です。

でも今の世の中はありがたい。

youtubeで聴くことができます。20年ぶりくらいに聴いてみました。

きっとサグラダファミリアの壮大さはこんな感じなのだろうな~。

実際に見に行った有賀さんに教えてもらおう。

 

「麒麟の翼」/世の中、甘く見ているようなら安心だ

 

今日は2月11日。

 

映画「麒麟の翼」(2012年)を見ました。

教師が真実を隠した行為が、後に悲劇を生み出します。

そこがズシンと来ます。

真実を隠さず、真正面から取り組みたい。

そこを最初の感想で書くかと言われそうですが、

同業の人なら、この点がきっと印象に残ると思います。

 

 

いいこと言うなあと思う場面がいくつかありました。

2つ載せます。

 

RIMG0455

金森「元気な時に交わした約束なんて、何の意味もありません

親の死に目に会わなかった主人公加賀。

仕事を優先させろという親との約束を守ったと言う。

そんな加賀に、看護師の金森が言ったのが上の言葉。

死期が迫った父親は、本当は息子の加賀に会いたがっていたと伝えた。

 

確かにそうだなあと思った言葉です。

 

 

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フィアンセは死んでしまったが、

彼との子どもを産んで育てたいと言う中原香織。

「世の中を甘く見ていますよね」という香織に、

加賀がこう言いました。

世の中、甘く見ているようなら安心だ。

どこにも光がないと絶望してしまう

 

実は語尾が不明瞭で、私の判断で「絶望してしまう」にしました。

「絶望しているように」みたいに聞こえました。

 

私自身の体験で、新任2年目に教頭先生に

「お前は甘い」と注意され、「甘くないないと動けません」と言い返したことがあります。

申し訳ないと今では思います。

でも「甘く見る」ことは、可能性を感じていることだから、

いいことなのだと思います。

加賀が言った言葉に共感しました。

 

 

3連休の気楽さから、またまた映画を見ました。

 

 

 

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