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2013年1月20日 (日)

兵庫での2日間3・・・歴史館/松王丸

 

今日は1月20日。

 

神戸の歴史館の中で見たものを紹介します。

 

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十二単の重さを味わうための装置。

2つのレバーを肩で持ち上げます。

ナイスアイディア。重さを実感できました。

10kgを常に身につけているのは確かに重い。

 

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松王丸と言われる人の像。

誰であるか全くわかりませんでした。

像の下にあった説明を読みました。

RIMG2223
こう書いてありました。

 

松王丸像  勝福寺蔵(須磨区)

大輪田泊の改修工事は困難を極めたため、

清盛は陰陽博士の阿部秦氏に占わせた。

「島を築くには、海中の龍神の怒りを鎮めねばならぬ。

そのためには、生きながら三十人の人柱を海中に沈めて龍神に捧げ、

それを基礎として工事をすればよい」

ということであった。

そこで、生田の小野に関を設けて旅人狩りが始まった。

捕らえられた人々の声が、和田の松原に響きわたったという。

清盛の侍童に、讃岐の大井民部の子で、

松王丸という十七歳の少年がいた。

松王丸は、「人柱などというむごいことはやめてください。

私がよろこんで三十人の身代わりになりますから」と、

くり返しくり返し清盛に訴えた。

ついに清盛もその申し出を聞き入れ、

白馬にのせた石櫃に入れられて、松王丸は海中に沈められていったという。

人々は大小の石に一切経を書き写し、松王丸とともに海中に投げ入れ、

それをいしずえとして、やがて築島(つきじま)を完成することができた。

この書き写されたお経から、

築島は「経ヶ島(きょうがしま)」と呼ばれるようになった。

参考書籍 神戸の伝説

 

そんな話があったのですね。

人柱という発想が怖い。

旅人狩りを命じた平清盛もむごい。

今ではありえないことですが、当時はあったのでしょうか。

龍神などという物の怪もしっかり存在していたのでしょうか。

 

最近映画「陰陽師」(2001年)を見たためか、

現代の人が見ることができない物の怪を、当時の人たちは見ることができた?

 

17歳で亡くなった松王丸。

このブログに書き記しました。



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