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2021年7月27日 (火)

番画〈338〉:「白い灰の記憶 大石又七が歩んだ道」①

     

今日は令和3年7月27日。

   

番画です。

   

〈338〉「ETV特集 白い灰の記憶 大石又七が歩んだ道」

  (2021年7月24日放映)

   

〇充実した1時間番組だった。

 この番組をどうやってこのブログにまとめようか。

 やっぱり焦らずに少しずつ書き留めていこう。

 

〇大石又七さんの長女佳子さんが何枚も魚拓を紹介。

 大石さんは釣り好きであり、

 魚拓にした後、大石さんが魚をさばいて、刺身にした。

 (事件について)語っていなかった時は釣りばかりしていた。

  

〇佳子:年を重ねるにつれて、父自体が変わっていった。

  自分たちがこれから歩んでいく未来の問題として

  原爆とか原子力とかそういうものを考えていってほしいな。

  そういう期待。

  

〇20歳の時に第五福竜丸で人生を変える事件に遭遇していた。

 

〇大石:ピカッと光ったような光ではなかったね。

  遠くで何か光ったんだな。

  何か白いものが落ちてきたけど、

  きょろきょろしてましたよ。

  ”死の灰”とか何とかっていうこと

  頭にないからね。

  

〇1954年 太平洋のビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験。

 3月1日 水爆「ブラボー」

  

〇爆心から160km離れたところにいた大石さんたちに、

 ”死の灰”が降りそそいだ。

 乗組員が浴びた被ばく線量は、致死量の半分近くに達したと推定される。

 

〇静岡県焼津港に戻った大石さんたちは全員入院。

 「急性放射能症」と診断された。

 輸血などの治療が行われたが、半年後に1人が亡くなった。

 広島・長崎に次ぐ第3の被爆として、

 このビキニ事件は日本人に衝撃を与えた。 

  

〇大石:大きい事件が起こっても、時間がたてば消えていきますよね。

  (ビキニ事件は)過去の出来事ではなくて、

  現在ももっと大きく意味を広げて、大きくなってきている事件だと

  私は思っているんですよ。

  

〇大石又七さんは、2021年3月7日に87歳で亡くなりました。

  

〇50代の頃から大石さんは、忘却に抗うように、

 自らの体験を語り続けた。

 

〇大石:雪が降るわけでもないだろうに、

  なんでこんな白いものが降るんだろう。

  それがこの辺に(首・顔)、いっぱいつくわけですよね。

  雨と一緒になって。

  この辺についたやつをかんでみると固いんですよね。

  砂みたいにじゃりじゃりして。

  

〇大石:この第五福竜丸は当時23人乗っていました。

  私を含めて23人乗っていて。

  現在は(2004年)、その半分の12人が亡くなっているんです。

  それもただ普通の病気で亡くなったのではなくて、

  被爆の後遺症と思われる

  共通した病気でみんな亡くなっています。

  私は被爆のために仲間が半分死んだんだって 

  ずっと思い続けています。

 

〇第五福竜丸展示館 学芸員 市田真理さん

〇市田:すごいテンションで、高いテンションで

  怒り続けている気がします。

  語りたい、でも語れなかった仲間の分も

  自分は生き続けるんだ、語り続けるんだ。

  

〇久々に聞き書きを始めた。夏休みだからできることかも。

 この1時間番組を書き残しておきたい。

  

  

つづく

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