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2019年12月 6日 (金)

2019年冬長野(2)ロビーにあった光明学校疎開に関するコーナー

  

今日は令和元年12月6日。

  

12月2日に宿泊した場所は長野県千曲市の「上山田ホテル」です。

光明学校の子どもたちが疎開した場所と知って、

行きたいと思ってから5年以上が経ちましたが、実行できました。

※参考:ここでも道草 「肢体不自由児たちの学童疎開」引用5/疎開先が上山田村に決まる(2014年8月27日投稿)

宿に着いてすぐ、光明学校のことをホテルの方に尋ねたら、

ロビーの一角に資料が置いてありますよと教えてくれました。

見に行きました。

Img_0627  

こんな素敵なコーナーになっていました。

書籍「あんずの木の下で」も紹介されていました。

※参考:ここでも道草 「あんずの木の下で」/著者は小手鞠るいさん(2018年2月25日投稿)

上の写真の右端に写っている説明を書きうつします。

Img_0628

  

ー肢体不自由児学童疎開の地ー 由来

 

 上山田ホテル玄関には、「信濃路はるか -肢体不自由児学童疎開

の地ー」という石碑が建っている。これは戦時中、東京・世田谷区に

ある肢体不自由児学校の児童たちがこのホテルに集団疎開したことを

記念して建てられたものである。

   

 昭和20(1945)年5月15日に東京都立光明(こうめい)

国民学校《当時》の肢体不自由児約60人は、教員、保母、看護婦

などに引率されて「上山田ホテル」に疎開した。同年8月に戦争は

終わったが、東京の校舎は5月25日の山の手大空襲で焼失し、帰京

することができず、戦後4年間「上山田ホテル」で生活した。昭和

24年5月にようやく引き上げることができた。肢体に不自由をかか

えた児童たちに対して、町の人々、ホテルの従業員は暖かく接し、

また県内各地から季節の野菜や果物が届けられたりした。

障害児を暖かく守ったこの上山田の人々に感謝の気持ちを伝えたい

という願いをこめてこの記念碑を建てることになった。疎開学童、

光明学校の卒業生、現在および過去に光明学校や他の障害児学校に

勤務した教職員、全国肢体障害者団体連絡協議会役員、その他この

疎開を支えた人々、疎開の事実を世に広めた研究者などが浄財を提供

してくれた。

  

               平成29(2017)5月21日

               光明学校学童疎開記念碑建立の会

  

 

ホテルの女将さんにお願いして、

記念碑のある場所をおしえていただきました。

その時には暗かったので、翌朝撮った写真です。☟

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この記念碑については、次の記事でも書きます。

 

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