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2019年10月

2019年10月31日 (木)

「薬のやめどき」その4/薬よりも食事と運動

 

今日は令和元年10月31日。

  

前投稿に引き続き、

薬のやめどき」(長尾和宏著/ブックマン社)より

引用します。

  

高齢社会になった日本では「老い」と「病」の区別が

つかなくなってきた。昔ならば「老化ですね」の一言で

納得してもらえていた症状に、高血圧や高脂血症、

認知症、骨粗しょう症などといった病名をつけるようになった。

 

その結果、この国では「老いる」という自然の摂理が

とてもわかりにくくなってしまった。

生き物の寿命には限りがあるし、老化による病気は

根本的には不可逆なもので、治らない。

うまく付き合うことのほうが大切なのは誰でもわかる、

はずである。

ところが自分のこと、あるいは自分の親御さんのこととなると、

いつまでも病気知らずで長生きできる、それが当然、

と思う人がたくさんいるようだ。

(160p)

   

なるほどです。

「老い」と「病」の区別はあいまいになっています。

  

  

薬好きはどうやら日本人の国民性のようで、

医療=薬をもらうこと、という思い込みがある人が多い。

つまり、多剤投与は決して医療者や製薬会社の罪だけではない。

医師と患者の共同責任なのだ。

(161p)

  

  

「ちょっとめまいがするから耳鼻科にでも行こう」

「ちょっと目が霞んできたから眼科にでも行こう」

「ちょっと膝が痛いから整形外科にでも行こう」

「ちょっとトイレが近いので泌尿器科にでも行こう」・・・・

そもそもその症状、本当に専門医療が必要なのか?

まずはかかりつけ医に相談するのではダメなのか?

多剤投与は医師と患者の共同責任だと書いたが、

多重受診に関しては、患者さんが側にもっと

責任があると考える。

(167p)

  

父親の場合は、かかりつけ医がいるのは幸いです。

私もいつも父親を連れていっているので、

一度もそこで診断を受けたことがないけど、

実質かかりつけ医になっているかな。

  

  

よく「医療費の自然増」といわれるが、本書をここまで

読んでくれた人は、決して自然ではないことがわかって

頂けると思う。

臓器別医療による細分化、患者の高齢化、さらには

薬好きの国民性が重なり、多剤投与による無駄な費用が

増大し、誰も止められなくなってきているだけだ。

本当はもっと減らせる。

医療費の中で一番減らせる部分は、まずは薬剤費なのだ。

それに加えて人間の尊厳も守ることができるのだ。

  

ところが、正論を言うとあちこちに不都合が生じる。

製薬業界や薬剤師業界は薬の売り上げが頭打ちになると

明らかに困る。日本の製薬業界の規模は約10兆円、

国を挙げて国際競争力を育てようとしている産業だ。

その製薬会社から研究費が出なくなると大学も医者も

すごく困る。医療や薬の世界はいわゆる「おクスリ村」

だから、そこの村人たちは、みんな困ることになる。

だから薬の問題はきわめてアンタッチャブルないし

タブーなのだ。

しかし、このまま放置していいはずがない。

患者さん個人の尊厳や幸福が脅かされるだけでなく、

国家の存続にもかかわる問題になってきたからだ。

(172~173p)

 

話は国家財政にもつながりました。

  

  

「病気は薬で治すもの」と疑わない医者も、一般の人も

少なくない。しかし生活習慣病であれば、本来は薬よりも

食事(栄養)と運動のほうが優先すべきだが、

基本の基本をすっかり忘れている。

(191p)

  

  

この本を読んだのをきっかけに、基本を大事にしよう。

最近、ケアマネージャーさんに、父親をもっと

運動させてみては言われました。

パーキンソン病だから動かないのは仕方のないことと

あきらめかけていた時だったので、ハッとさせられました。

さっそく、手伝って足を動かしたりすると、

父親は楽しそうにしていました。

ショートスティでも、器具を使って足を動かすようになり、

筋肉痛を訴えていました。

 

基本を忘れすに、父親にも接したいし、自分自身もです。

以上で「薬のやめどき」からの引用完了。

またいつか読み直したいです。

  

  

 

 

今日の心療内科の診察で、「1週間、調子よかったです」と

申告しましたが、薬は現状維持の処方でした。

残念。次回は減量されるといいな。

「薬のやめどき」その3/薬の副作用を抑えるためにまた薬

  

今日は令和元年10月31日。

  

1種類や2種類ならば、その副作用もある程度予測できる。

しかし、5種類、7種類、10種類と数が増えれば、

それによる副作用が出る組み合わせは、天文学的で、

症状は複雑なものになり、どこにどんな副作用が現れるかは、

とうてい把握しきれない。

つまり、多剤投与となればなるほど、薬の副作用に悩まされる

可能性が際限なく広がってしまう。

(136p)

 

「お薬手帳」を毎回提出しているけど、薬剤師さんは

ちゃんとチェックできているのだろうか。

  

  

副作用を抑えるために、薬が増えるという場合もある。

今、高齢者に一番処方されているのは、低用量アスピリン

(商品名:バイアスピリン)だ。  

   

MRIを撮ったら小さな隠れ脳梗塞が見つかったというとき、

すぐ「血液サラサラのお薬、出しときましょう」と言われて

処方される。ところが、バイアスピリンは胃や小腸に潰瘍を

作ることがあるので、必ず胃薬と併用が推奨される。

定番の胃薬はPPI=プロトンポンプ阻害薬(商品名タケプロン、

ネキシウム、パリエットなど)だ。

副作用を予防するための薬を併用するのが標準治療となり、

保険でも認められている。

 

同様に、鎮痛消炎剤のロキソニンときたら胃薬、

麻薬のモルヒネを出したら必ず下剤と吐き気止めなど、

ひとつ出したら自動的にふたつ、3つになる

キードラッグ(主要薬)がいくつかある。

(中略)

こうした併用を守らないと、極端な話、生命にかかわる

重大な副作用があった場合、訴えられる可能性がある。

バイアスピリンで血液サラサラになったけれども、

胃潰瘍で出血して死亡したとなると訴えられる恐れが

あるということだ。ひとつの目的で薬を出す際、

自動的に2~3種類に増えるのには、こうした事情もある。

(144~145p) 

   

そうか~、医者の気持ちもわかります。

  

  

私のような院外処方の開業医の場合、1枚の処方箋に

対する診療報酬は680円にすぎない。

何十万円の薬を処方しても開業医の報酬は680円なので、

儲かるのは製薬会社ないし調剤薬局である。

だから多剤処方=開業医の儲け主義、という発想は

まったくの的外れである。

(146p)

    

  

今日の診察代の明細を見てしまいました。

これから気にしちゃいそう。

  

「薬のやめどき」その2/抗不安薬を減らして調子悪くなる理由

今日は令和元年10月31日。

昨日の投稿に引き続き、

薬のやめどき」(長尾和宏著/ブックマン社)より

引用します。

  

     

「続けることは考えても、やめることなど考えることもない」

専門医は、降圧剤やインスリンの始めどきは知っていても

やめどきは知らない。抗がん剤についても、何人かの

専門医に訊いてみたが、やめどきなど考えたこともないという。

それどころか、「どうやって死ぬまで続けようか」しか

考えたことがない、と豪語する専門家もいる。

(62p)

  

  

医療者は悪意で抗がん剤を死ぬまで続けるわけではない。

製薬会社との癒着で動く医師など、ごく一握りだと信じたい。

多くの抗がん剤専門医は、あくまで善意で死ぬまでやり続ける。

だからタチが悪いのだ。だからこそ、受け身の医療では

いけないのだ。賢い患者にならないと絶対に後悔が残る。

患者さん側からやめどきを切り出し、

主治医とよく相談してほしい。皮肉なことに、

早めに抗がん剤をやめたことで体調がモリモリ回復し、

会いたい人に会いに行ったり、諦めていた仕事や家族旅行を謳歌し、

結果的に長生きしたと確信をもって思える人はたくさんいる。

 

あの川島なお美さんも、胆管がんに対する抗がん剤や

過剰な輸液をやらなかったからこそ、

亡くなる1週間前まで大好きな舞台に立ち、歌って踊れたのだ。

抗がん剤のやめどきさえ間違えなければ、「がんは人生を

二度生きられる」病とも言えよう。

(67~68p)

  

  

強力な抗不安効果があり、同時に依存性も高い

ベンゾジアゼピン系の抗不安薬が、デパスを筆頭に

何種類か使われている。(中略)

デパスを減らすと調子が悪くなるのはなぜか

薬を減らして調子が悪くなる人には、3つの場合がある。

①病気の再発・再燃

②効果が強いゆえの離脱症状の出現

③薬を減らしたこと自体の不安感

(83p)

  

  

本書を読みながら「自分の意志で減薬しよう」と

思い立つ人もいるだろう。しかし焦らないでほしい。

減薬を始めるタイミングをまず主治医とよく相談してほしい。

不安の根というのは本当に深いものなので、

不安を克服できたと感じていても、意識していない部分に

不安や恐怖が蔓延(はびこ)っていることがある。

「無意識」の不安は、かなりの大きさがあるので

急いで薬をやめると、急に不安がまた強くなってしまうことがある。

(84p)

  

   

(抗不安薬の)減薬の前にやるべきこと

(中略)

そして何より、毎日6000~8000歩、歩くことだ。

歩くことでセロトニンの代謝が向上し、不安が和らぐことが

証明されている。

(84~85p)

  

  

これまで医者はむやみに睡眠薬を出しすぎてきた。

その結果、20代から30年間飲み続けている、

という人もいる。しかし睡眠薬を長期間飲み続けると

耐性ができてしまい、どんどん効かなくなってくる。

(92p)

  

  

睡眠時間が徐々に短くなる高齢者が睡眠薬を飲むと、

朝目覚めても睡眠薬の作用がまだ残っている場合がある。

午前中は頭がぼーっとして、ふらつき→転倒・入院→

寝たきり→認知症という悪循環に陥ってしまう人もいる。

さらに年を取って人生の終わりが近づくと、

再び睡眠時間は長くなっていく。ウトウトする時間が伸びて、

赤ちゃんに返っていく。つまり人生の最終段階に差しかかると

睡眠薬はもはや不要。その前にやめどきを考えるべきである。

(93p)

  

  

(睡眠薬の)やめかたの実際

(中略)

基本的には前項の抗不安薬のやめかたと同じだ。

朝日をしっかり浴びて日中に6000~8000歩程度を

歩いている人には、時間がくれば必ず睡魔が襲ってくる。

そのタイミングを逃さずに床に入ることが大切である。

時間がきたから寝るのではなく、眠くなるから寝るのである。

(94p)

 

 

抗不安薬の減量は、私にとって現在進行形のことです。

客観的な気持ちで自分の状態を見て

それを伝えて、お医者さんと相談して決めていきたい。

この1週間は調子よかったです。

どうなるかな。

今から病院に行ってきます。

2019年10月30日 (水)

クイズ番組「東大王」で知った「兀兀」の読み方

  

今日は令和元年10月30日。

  

今晩放映のクイズ番組「東大王」でも収穫がありました。

(先週は「擽る/くすぐる」を知りました)

  

先日、兀岳(はげだけ)を登り、報告文も書きました。

兀岳の「兀」を2つ並べて「兀兀」と書いて何と読むか

知りました。

何と読むと思いますか?

  

  

  

  

  

  

「こつこつ」でした。 

「こつこつと勉強する」の「こつこつ」です。

なぜ?

  

調べたけどわかりません。

  

とにかく「兀」で「こつ」と読みます。

「兀い」で「たかい」と読みます。

山などが高くつきでているさま、高くて上が平らなさまを

表わすそうです。

 

20160720 イチニチ・ヒトネコ より

      

毎日毎日コツコツとやってきたつもりの

2019年の10月も、明日がラストです。

 

  

 

☝「まいにち まいにち コツコツと。」の

イラストは、ネット上で見つけて一目惚れ。

作者のあいかわけいこさんに許可をいただいて

載せました。

☟ あいかわさん、現在このサイトで日々更新中。

今日はにゃんの日

「今日は何の日」のネコイラストバージョン。

「今日は何の日」クイズをやっている私には、参考になるサイトです。

※参考:ここでも道草 今日は何の日クイズ 2月14日「〇〇”〇の日」(2018年2月14日投稿)

「薬のやめどき」その1/薬のやめ方7原則

今日は令和元年10月30日。

  

今日も本が読破できました。

薬のやめどき」(長尾和宏著/ブックマン社) です。

※関連:ここでも道草 薬の話/7年間飲んできた薬(2019年10月26日投稿)

   :ここでも道草 薬の話/半減したけどまた元にもどる(2019年10月27日投稿)

  

この本も図書館に返す本なので、

読み返したい文章は、引用しておこうと思います。

  

元来、何事においてもコツコツ真面目に続けることは

日本人の美徳である。

コツコツ続けている自分のことも

大好きだったりする。

しかし人間、「やめどき」を間違えると人生の最終章が

かなり大変なことになる。

特に医療においてはよくあることだ。

そんな単純なことをみなさんに広く知ってほしくて、

この本を書くことにした。

死ぬまで治療を続けることが、無条件に善とは限らない!

(5p)

  

私はよく、人生の最終章の医療の話をするとき、

干し柿を喩えに使う。

柿は、時間とともに赤く熟し、食べ頃を過ぎた後からは

ゆっくり水分を蒸発させ、渇きながら小さく萎(しぼ)み、

枯れ果てて腐り、やがては土に還っていく。

人間だって動物だってしょせん、それと同じなのだ。

自然の摂理によって干からびていく肉体に、

過剰な水分や栄養を外から入れてしまうと

そのバランスが崩れてしまい、かえって苦しませる結果となる。

(7~9p)

  

  

なにも水分の話だけではない。

人生はある年齢を過ぎたなら、背負っているもの、

抱えているものをひとつずつやめていったほうが

豊かな生活を送れる。まさに断捨離である。

その結果、身も心も軽くなって、より快適な老後を

過ごすことができる。

(10p)

  

  

~薬のやめ方7原則~

1 自分で勝手にやめない

2 納得するまで医師と相談する

3 副作用や不具合が出たらすぐに相談する

4 できるだけ”かかりつけ医”に一元化する

5 まずは6種類以上の多剤投薬から脱却する

6 いきなりではなく、徐々に減らしながらやめる

7 やめて不都合が起きれば、主治医に相談のうえ一旦元に戻す

(21p)

  

  

実は、世界でもっとも飲まれている薬は、降圧剤でもなければ、

抗認知薬でもなく、コレステロールの薬、スタチンであるという。

世界で毎3000万人(!)の人がスタチンを飲んでいある。

日本人の死因の1位はがんだが、世界の死因の1位は、

虚血性疾患。

国別の死因の違いというのは食文化の違いでもある。

肉食、脂質過多、高カロリー食であるアメリカやヨーロッパ各国の

死因が大きく影響している。こうした国々がスタチンを

大歓迎する理由は理解できるが、欧米人に比べて心筋梗塞の

発症率が3分の1の日本人に、アメリカと同じように処方することが、

どこまで有効なのかわからない。

(56p)

  

  

高すぎるコレステロールを下げるには、肥満ならばまずは

痩せることが最大の治療である。

肥満症であればロカボ食にして、2~3キロ体重を落とすだけで、

コレステロール値も血糖値も血圧もうんと下がる。

薬なしでも自力で簡単に改善できるのが生活習慣病である。

(57p)

  

ロカボとは?

 

 

スタチンの代表格であるロスバスタチン(商品名:クレストール)は、

服用してコレステロールが60になれば、

中止したほうがいいことになっている。

つまり中止基準はあるにはある。

しかし臨床現場で守られているのか、と聞かれれば

首を傾けざるを得ない。(中略)

スタチンも降圧剤と同様に「コレステロール値は

低ければ低いほどいい。だから死ぬまで投与」という趣旨の

講演をする専門家が多い。

それに洗脳された臨床医の中には「スタチンをやめる」という

選択肢などないという人もいる。

(60p)

 

コレステロールの薬のやめどきはここだ!

(中略)

年齢とともに自然にコレステロールの値が下がってきたとき

(後略)

(61p)

  

いつか自然と下がるんだあ。

値は気にしていよう。

  

今晩はここまで。

また明日引用します。

キンモクセイの花が丸~くデザインされていました

  

今日は令和元年10月30日。

  

昨日、図書館に本を返しに行ったら、

駐車場のキンモクセイが見事でした。

雨降りで花が落ちて、木の下に丸~くデザインされていました。

写真を撮りました。

Rimg2103

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RICHOのCX5の接写を使いました。☟

Rimg2108

Rimg2110   

  

暗くなって、思い立って、今一度撮影に行きました。

乗用車のライトをスポットライト代わりに当てて、撮影。☟

Rimg2112  

あちこちで、キンモクセイの花が落ちているのを見かけましたが、

ここがベストでした。

ほっとけない金麦「濃いめのひととき」

  

今日は令和元年10月30日。

  

P206585_3l2 

最近の晩酌はこればかりを飲んでいます。

見た目のデザインがまずよかったので、

目にとまりました。

濃い緑は、今の自分にはよかったようです。

あんまりこの色、ないですよ。

「濃いめ」でまた引きつけられました。

「2019年冬限定」の限定に弱い。

飲めるときに飲んでおこうと思いました。

飲んでみたら、それが思ったよりもうまかった。

珍しく他との味の違いがわかりました。

  

10月8日から販売が始まっています。

数量限定販売。つまりなくなったらおしまい。

しばらくは、冷蔵庫に濃い緑の缶が並ぶことになりそうです。

秋味」がすんだら「濃いめのひととき」という流れが

毎年できないものかなあ。

でも「2019年冬限定」とあります。今年だけか?

  

こんなビールがあったんだよと記録にとどめました。

    

  

  

※参考


YouTube: サントリー 金麦 濃いめのひととき

昨年の売っていたんだ?

知らなかった。

2019年10月29日 (火)

「雪虫の飛ぶ日」⑥/函館大火

 

今日は令和元年10月29日。

  

雪虫の飛ぶ日 新十津川物語6

(川村たかし著/偕成社)からの引用です。

  

この本のラストは、昭和9年(1934年)3月21日の

函館大火です。

 

引用します。

   

焼けた家はなんと2万4186戸。死者2054人。

ゆくえ不明662人。重軽傷者12600人。

 

この火のおぞましさは、わずか3時間に2万戸の家を

焼きつくした速さにある。

東海岸の人びとはこのために海中ににげ、高波にさらわれた。

ゆくえのわからない人たちは、ほとんど波にもっていかれたのだ。

 

浜をつたって東へ東へとにげた者は、火に追われる形になった。

そのうえ、大森橋もその東の新川橋も古い木橋だった。

橋は人の重みでくずれおちた。

川の手まえで追いつめられた群衆は、

荷物とともに焼けて死んだ。

海水も零下12,13度だったから、おおぜいが凍死した。

 

勇敢な話もうわさにのぼった。

図書館長は、地下の鉄扉に一晩じゅうバケツの水をかけつづけて、

松前藩以来の貴重な資料を守った。

市役所のふたりは800冊もの戸籍簿を、安全なところへうつした。

電池室を死守した電話局の職員、

人を助けて殉職した警官や消防士・・・。

 

だが、夜明けの焼けあとはむごたらしかった。

焼けこげてぼろぼろの服を着た人が、さまよい歩く。

人の焼けるいやなにおいが、どこへいってもついてまわった。

泣き声とうめき声がたちこめていた。

(254p)

  

 

小説で、歴史的な出来事を知りました。

出合ったことにはこだわりたい。

この本が読んでみたくなりました。

51zgw5zbl8l amazon

2017年刊行で、新しい本であることが魅力。

図書館に置いていないのが残念。

買って読むか迷っています。

でもきっと好奇心に負けます。

  

 

副主人公的な恭之助が死んだのは最後の270p。

 

ーーーフウちゃん、あやちゃん、あい・・・・・。

くちびるがうごいたように見えた。

3人がとりすがったとき、恭之助は大きな深呼吸を

ひとつのこして、あとはもう息がなかった。

87歳だった。

  

  

 

こうやって本を読破できて、いつか読み返したい文章を

ブログに引用できました。贅沢させていただいています。

最後にこの本で一番気に入ったカットを載せます。

Epson118 絵:鴇田幹 「宝引き(たからびき)」 155p

「雪虫の飛ぶ日」⑤/除虫菊生産の歴史

  

今日は令和元年10月29日。

  

雪虫の飛ぶ日 新十津川物語6

(川村たかし著/偕成社)からの引用です。

 

もともと(新十津川)村は亜麻や豆類をうえて金にかえてきた。

トウモロコシや馬鈴薯もおおかった。

ところが大正にはいると、みるみる水田がひろがっていく。

第一次世界大戦がおさまって、豆成金、いも成金の代わりに、

米や麦をつくる家がふえた。

時代とともに作物もかわっていく。

昭和になると、きゅうに除虫菊がひろがった。

昭和5年に120町歩だったのに、5倍の600町歩をこえた。

多年生のこの植物は菊のようにのびて、

2年目から白い花をつける。

その後、数年間収穫があった。

手間がかからないのがなによりだった。

茎ごと刈りとって、千歯でしごいて、花をこきおとす。

花の子房に殺虫力があった。

日かげで干したものを6貫めんして麻ぶくろへつめた。

1貫めが5円もするときがあった。

安いときの米1俵の値段である。

(173~174p)

  

社会科教師は、こういう文章が気になります。

除虫菊を調べたくなりました。

それも北海道の除虫菊。

ありました。

石狩ファイル 石狩の除虫菊栽培

いい勉強になりました。すごく。引用します。

除虫菊栽培の栄枯盛衰がわかる説明です。

  

除虫菊はキク科の多年草でムシヨケギクとも呼ばれ、

開花した花を摘み取り乾燥して、蚊取り線香、

蚤取粉(のみとりこ)、農薬などの原料とします。

石狩の除虫菊栽培は、明治25(1892)年

(明治29年ともいわれる)に、花畔(ばんなぐろ)村の

金子清一郎(かねこせいいちろう)が、

和歌山の上山英一郎(うえやまえいいちろう、金鳥の創業者)から

種子を取り寄せて、50株を道内他産地に先駆けて

作付けしたのが始まりです。

金子は製粉した蚤取粉も販売し、他の農家にも現金収入になる

除虫菊をすすめたので、花畔だけでなく親船町などにも栽培が広がり、

明治36(1903)年には全町の栽培面積が1町2反に達しました。

除虫菊は、もともと乾燥した気候と排水の良い砂質の

痩地(そうち)を好むため、石狩に適していたのです。

大正6(1917)年には、二代目金子清一郎を組合長として

「石狩町除虫菊栽培組合」が設立されました。

道内の他の地域でも除虫菊栽培熱は高まり、

特に第一次世界大戦(1914~1918年)後、

ヨーロッパで生産が激減して除虫菊の相場が上昇したのにともない、

北海道の除虫菊栽培は急激に増加し、

大正14(1925)年には国内作付面積の69%を占める、

全国一の産地となりました。その後、金子は昭和7(1932)年に、

和寒(わっさむ)村や倶知安(くっちゃん)町の農家とともに

北海道除虫菊製品工業組合を設立して、

濃厚エキスを「ピレトシッキス」、農業用乳剤および家庭用スプレーを

「ハルク」の名称で商品化し、道内外や海外へも販売しましたが、

昭和14(1939)年に北聯(ホクレン)に買収されています。

また、昭和17(1942)年には戦時体制の中、

石狩町除虫菊栽培組合は石狩町産業組合に統合されました。

第二次大戦後は、アメリカからDDTやBHCなどの

安価な化学農薬が輸入され、除虫菊の殺虫剤は市場での

競争力をなくしていきました。昭和25(1950)年頃には

花畔の一部で作付けされるだけとなり、

昭和35(1960)年頃を最後にまったく作られなくなりました。

   

 

金鳥の創業者上山英一郎が登場し、

かつては北海道が全国一だとわかるワクワクする説明です。

蚤取粉は興味津々です。

花畔を「ばんなぐろ」と読む難読地名にも出合えました。

新十津川村の登場人物も、

除虫菊の歴史の中で生きています。

    

除虫菊は、2つの世界大戦の間が、日本では栽培が盛んで、

北海道をはじめ、広島、岡山、香川、愛媛、和歌山などが

主な産地でした。参考:Wikipedia

本がきっかけで、またいい勉強ができました。  

「雪虫の飛ぶ日」④/「宮田号」と「ノーリツ号」について

  

今日は令和元年10月29日。

  

雪虫の飛ぶ日 新十津川物語6

(川村たかし著/偕成社)からの引用です。

  

主人公のフキの孫の兄弟、和彦と幸彦(さちひこ)が

あいへのお祝いの自転車をめぐって、言い合っています。

  

(幸彦)「でもさ、自転車はノーリツ号のほうがはやいんだぜ。」

(和彦)「ばっか、この宮田号のほうが上等だい。」

  

ここで私の好奇心のアンテナにピピッと来ました。

自転車で「宮田号」と言えば、宮田自転車のことか?

「ノーリツ号」ってあるのか?

  

調べました。

まずは宮田自転車について。

いろいろ調べましたが、墨田区教育委員会の

「宮田製作所跡」の説明板が参考になりました。

10c29e4b542e1dd6601b97976c830de3 菊川三丁目町会

これを読むと、鉄砲づくりから自転車づくりに

移ったことがわかります。

明治36年(1903年)には、

アメリカの自転車をモデルにした「旭号」を

内国勧業博覧会に出品しています。

  

恭之助があいに自転車をプレゼントしたのは、

昭和7年(1932年)の春のことです。

宮田自転車はすでに存在しています。

残念ながら「宮田号」なる名前は検索でひっかかりませんでしたが、

おそらく、宮田自転車の自転車でしょう。

 

  

「ノーリツ号」は存在するかどうか。

写真でひもとく街のなりたち 明治期に始まった産業

☝ ここを見るとわかりました。

名古屋にあった岡本自転車工業が、大正時代から

「ノーリツ号」を作っていました。

「雪虫の飛ぶ日」の話の中に出てきてもおかしくないです。

  

昭和自転車 Vintage Japanese Bicycles

☝ ここを見ると、岡本自転車工業が、

明治36年(1903年)に

「最初の国産自転車を完成した」とあります。

宮田自転車が「旭号」を出品した年です。

  

日本の自転車史にとって、明治36年(1903年)は

重要ですね。

  

   

本を読んで、それがきっかけに好奇心が動いて

新たなことを知るのは面白い。

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楽餓鬼

今日はにゃんの日

いま ここ 浜松

がん治療で悩むあなたに贈る言葉