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2019年5月 6日 (月)

井伊谷宮 宗良親王のお墓を垣間見る

今日は令和元年5月6日。

  

10連休のラスト。

連休中にこのブログに投稿したのは、これが25本目。

まあまあのペースかな。

通算6195本目。6200本の区切りが見えてきました。

  

5月4日に浜松の井伊谷宮に行ってきました。

井伊谷宮は以前も行っていましたが、

見逃してきたものを見たいと思って出かけました。

  

ここでも道草 くじけない後醍醐天皇その3/井伊谷の宗良親王(2019年3月2日投稿)

この記事で書いたように、井伊谷宮は後醍醐天皇の息子のひとり、

宗良(むねよし)親王が祭られている神社。

宗良親王が、南朝勢力拡大のために

一時期根拠地としたのが井伊谷でした。

前回行った時には、そのような知識がなく、

井伊谷宮の価値がわかっていませんでした。

いやいや、正確には宗良親王のことを知りませんでした。

  

Rimg1955

井伊谷宮の鳥居から、入口方面を撮影。

鯉のぼりが飾られていました。

宗良親王の歌が通路の左右に2首ありました。

Rimg1951  

我が齢 共にかたぶく月なれば

 見をかくすべき山のはもなし

Rimg1952  

Rimg1953

偽りの言の葉にのみききなれて

 人のまことぞなき世なりける

Rimg1954

宗良親王が南朝のために戦ったが、最後は劣勢で終えた境遇を知ると

この歌はよくわかります。

 

ちなみに、宗良親王が井伊谷に来たいきさつは、

Wikioedia 宗良親王には次のように書いてありました。

 

建武の新政が崩壊し、南北朝の対立が本格化すると

還俗して宗良を名乗り、大和国吉野(奈良県)の南朝方として

活躍をするようになる。暦応元年/延元3年(1338年)には、

義良親王とともに北畠親房に奉じられて

伊勢国大湊(三重県伊勢市)より

陸奥国府(陸奥国霊山(現・福島県伊達市))へ渡ろうとするが、

座礁により遠江国(静岡県西部)に漂着し、

井伊谷の豪族井伊道政のもとに身を寄せる。

  

偶然だったのですね。

だからこそ縁があった土地だったかもしれません。

その後井伊谷で落城した後に、長野県大鹿村に移り、

そこを長く拠点として滞在。戦いに明け暮れました。

どこで亡くなったかは諸説あります。

井伊谷に再び戻って、亡くなったという説もそのひとつです。

大鹿村のことについては次のサイトが参考になります。

また機会があったら行きたいです。

こんどう史科医院の裏ブログ 宗良親王の足跡(1) 大鹿村

そうそう大鹿村と言えば、こんな映画がありました。

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映画「大鹿村騒動記」(2011年公開)

原田芳雄さんの遺作です。

まだ見たことがない映画ですが、宗良親王には関係がないかな?

  

 

話を井伊谷宮に戻します。

本殿です。 

Rimg1956

Rimg1957  

本殿横の井伊谷宮のことを書いた説明板↓

前に来た時も読んでいると思いますが、

今回はじっくり頭の中に入ってきました。

Rimg1958  

ここに書いてある通り、本殿裏手に宗良親王のお墓があります。

前回はそちらまで行きませんでした。

今回は行きました。

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敷地内には入ることができず、垣間見てきました。

NHKは入ることができたんだよなあ。

2011年放映「歴史秘話ヒストリア」の写真です。

Rimg1708  

 

別角度から撮影。

Rimg1970  

この石垣に囲まれた森の中に、お墓があります。

  

  

いつかは行きたいと思っていたことを、

一つ実行しました。

 

 

「ブログの内容が、また一つ多彩になりました」

と、今回はそう思ったので、つぶやきました。

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