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2019年5月14日 (火)

② 戦車が次々にわき出すヨーロッパ

今日は令和元年5月14日。

  

前投稿の続きです。

 

4月28日放映の

大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~ 16 ベルリンの壁」より。

 

次の3点について。

  

① オリンピックシンボルマークの誕生

  かの有名な「五輪の輪」

② 戦車が次々にわき出すヨーロッパ

③ サラエボ事件の記事を読んだ日本人の反応

  

今回は②について。

戦車が次から次に出てくる映像は、驚きでした。

戦争に関する映像で不謹慎ですが、楽しくなる映像でした。

Rimg1872_2  

この映像に関しては、いいなと思いましたが、

気になったことがありました。

サラエボに穴が開いて、次から次に戦車が出てきますが、

実はサラエボ事件があった1914年には、

まだ戦車は発明されていませんでした。

第1次世界大戦が始まって、塹壕戦が行われるようになり、

戦場は膠着状態となりました。

その状態打破のために造られたのが、戦車でした。

 

最初の戦車はイギリスが開発した「マークⅠ」です。

「マークⅠ」は「映像の世紀」(NHK)で見て

しっかり印象に残っています。

_mark_i_684x ワールドオブタンクス 戦車開発史

このサイトによると、戦場に戦車「マークⅠ」が初めて登場したのは、

1916年9月だそうです。

その他、引用します。

  

イギリスは鉄条網を破壊でき、塹壕を越えられ、

機関銃からの攻撃に耐えられる新兵器を欲していました。

この新兵器を実現したものが戦車です。

戦車の実態を悟られないよう、

開発中の戦車を水を輸送するための「タンク」と呼んだことから

英語で戦車を意味する「タンク」という言葉は広まりました。

最初に生まれた戦車は「マークI」です。

この戦車の重量は28トンで、装甲は 12 mm しかなく、

最高速度は 6 km/h しか出ませんでした。

7.62 mm 機関銃4機または6ポンド砲2門装備していました。

実際に戦闘に投入された マークI は50両のみでした。

 

戦車が「タンク」と呼ばれる理由が

ここにありました。

辞書にもそのことが書いてありました。

Photo weblio英和辞典

  

  

でも戦車や穴から次々に出てくる映像は、

インパクトが強かったです。生徒に見せたいです。

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