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2018年12月30日 (日)

「警官の血」より/炎上する天王寺五重塔の記述

今日は12月30日。  

  

昨日も「警官の血」(佐々木譲著/新潮社)のことを書きました。

今日はこの本を図書館に返す予定。

一部引用しておきます。

  

天王寺駐在所で、天王寺五重塔の異変を感じた場面。

 

深夜、清二は目を覚ました。

切迫した声を聞いたような気がした。

女の声もまじっていたようだった。

枕元の時計を見ると、午前二時三十五分だ 。

清二はしばらく耳をすましたが、

声は続かない。

清二はもう一度目をつぶった。

  

次に目を覚ましたのは、午前三時三十分である。

枕元の目ざまし時計で、その時刻を確認した。

しばらくは、布団の中で耳をすました。

何かがばちばちと割れるような音がする。

それも、さほど遠くではなかった。

音は少しずつ大きくなってゆくようだった。

 

身体を起こして、もう一度耳をすました。

横で多津も身体を起こした。

清二は、子供たちを起こさぬよう、小声で多津に訊いた。

「聞こえるか?」

「うん」と多津はささやくように答えた。「何か、壊してる?」

「なんだろう」

多津が、あっと小さく声を上げた。

「どうした?」

「匂う。何か燃えてる」

そう言われた直後に、自分も匂いを感じた。近所で何かが燃えている。

外で、こんどははっきりと何かが壊れるような音がした。

清二は立ち上がって窓辺に近寄った。

カーテンを開けて、西側を見ると、

すぐ目の前で白煙が上がっている。

ちょうど天王寺の五重の塔がある場所だ。

「火事だ」と、清二はふつうの声音で言った。「起きろ」

「起きて」と多津は子供たちの肩を揺すった。「早く火事だから」

子供たちふたりが、目をしょぼつかせながら身体を起こした。

(上巻198~199p)

 

Wikipedia 谷中五重塔放火心中事件によると、

火の手は7月6日午前3時45分ごろに上がったそうです。

 

燃え上がっていく様子を書いた場面を引用します。

  

(清二は)駐在所を飛び出して、五重の塔を確かめた。

五重の塔は、駐在所と敷地が隣り合わせだ。

ひとの胸ほどの高さに、コンクリートの塀がめぐらされている。

門扉は通常施錠されていて、

一般のひとが中に入ることはできなかった。

つまり、ここに住み着いている者もいない。

それは昨日の午後にも確認していた。しかし。

ふと深夜に聞こえた声を思い出した。あれはもしかして。

塔の一層目はぐるりに濡れ縁がある。

その一層目の手前、雨戸に隙間ができており、

その奥から白い煙が噴き出していた。

煙の奥で、赤い炎がちらちらしている。

門扉の内側に消火器があるはずだった。

清二はコンクリート塀に近づいた。その刹那だ。

雨戸の一枚が外側に倒れてきた。

中からどっと炎が噴き出してくる。

雨戸が倒れて酸素が吹き込まれたせいか、

内側の火勢が激しいものになった。

  

清二は駐在所にとって返し、谷中署に電話を入れた。

「天王寺駐在所、安城です。天王寺の五重の塔が燃えています」

電話口に出た巡査が聞き返してきた。

「五重の塔? あれは現住建造物か?」

「いえ。でも、文化財です。応援求めます」

「失火か。放火か」

「わかりません。まだ見当がつきません」

「火事の程度は?」

「燃え盛っています。消防への連絡もお願いできますか」

「わかった。天王寺駐在所が目印でいいんだな?」

「はい。すぐ横で燃えているんです」

多津が、子供たちふたりを連れて、執務室に降りてきた。

清二は言った。

「貴重品だけ持ち出せ。延焼するかもしれん」

「もうリュックを背負ってる」

多津も、昭和二十年の下町大空襲を体験した身だ。

こういうときの心構えはできている。

(上巻199~201p)

  

昭和32年の7月6日の出来事。

空襲体験者の動きは、今に人たちとは違うだろうな。

  

一階から火が燃えあがていく様子を書いた場面です。  

  

「五重の塔が火事だ」

その叫びは、いよいよ切迫したものになっていた。

炎は成長し、一層目と二層目とのあいだの天井を突き破って、

二層目に達しようとしている。

(中略)

放水が始まった直後、四人の外勤巡査が谷中署から駆けつけた。

そのときには、炎はすでに三層目に舌をかけていた。

野次馬の数は、いまや五百人はいるだろうかと見える。

天王寺町の住人のおよそ半分ぐらいは、

この場に集まっているのではないかと見えた。

さらに五分後、あらたに11台の消防車が到着した。

そのときには、炎は五重の塔の三層目から四層目にまで達していた。

塔にまつわりつくように白い煙が上がり、

その白煙はすぐに上空で冷えて黒煙と変わっていた。

しかしどうやら、駐在所への延焼は免れたようだ。

(上巻202~203p)

  

昭和32年7月6日の出来事です。

1957年だからおよそ62年前の出来事。

この文章を読んで、62年前の出来事を想像しました。

そして運よく現場に立つことができたら、

この文章を見ながら再び想像したいです。

 

↓ 消失前の天王寺五重塔

Ph_sendagi26 東京都教育委員会HP

 

【濡れ縁】=雨戸の敷居の外側に設けられた雨ざらしの縁側。

 ※引用:コトバンク

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