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2018年9月

2018年9月30日 (日)

人権週間に向けてアルケミストの研究

今日は9月30日。

  

前投稿に引き続き、アルケミストのこと。  

こんな動画を見ることができました。

 


YouTube: 170610アルケミストコンサート南島中学校人権教育講演会

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ボーカルのこんやしょうたろうさんのことを

ナレーターが説明しているところを聞き書きします。

  

ナレーター:ボーカルのこんやしょうたろうさんは、

  生まれつき左の肘(ひじ)から先がない

  障害をもっていることを理由に、

  夢を諦めていたこともあるそうです。

  小学生の頃の作詞をしたいという夢や、

  高校生の頃、歌手を目指すことを決心し、

  それを周囲にうち明けた時の気持ち。

  その気持ちを後押ししてくれた先生や友人の

  存在の大きさについて語り、

  自分の夢に向かって進んでいくことの大切さを

  生徒に語りかけていました。

  そして今では、大手住宅メーカー、有名スポーツドリンクなどの

  CMソングを手掛けるほか、全国各地でライブ活動を行い、

  プロの音楽ユニットとして相方となる井尻慶太さんとともに

  勢力的に活動しています。

  

  

この人権教育講演会のラストは、アルケミストと中学生が

「あの空」を合唱したそうです。

「あの空」という曲を知りません。

でも素晴らしい動画がありました。


YouTube: 「あの空」アルケミスト with 杉並区立和田小学校児童 映像監督:清水康彦/音楽プロデュース: TOMZUIN H

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「あの空」の歌詞が、動画の説明に載っていました。

ちゃっかり転載します。  

「あの空」

がんばれ 聞こえていた あの日もどんな時も

僕にもできるはずさ きっと がんばれ がんばれ

(間奏)

友達とみんなで 見上げた空の下で

今はまだ届かない 大きな夢を飛ばそう

未来の僕たちが夢をなくして しまわぬように

迷っても 行く先をてらす光になるように

がんばれ 聞こえていた あの日もどんな時も

僕にもできるはずさ きっと がんばれ がんばれ

(間奏)

杉の木は揺れてた ひとりで風を受けて

僕たちを見ていた 生まれるずっと前から

僕らも この長い渡り廊下を飛び出して

いつかは 自分だけの道を行く 歌いながら

がんばれ 聞こえていた あの日もどんな時も

僕にもできるはずさ きっと がんばれ がんばれ

傷ついて涙がこぼれそうな日は この空を見上げて 思い出そう

強く握った手の温もりを 鳥たちが羽ばたいて乗せてった夢を

がんばれ 聞こえていた あの日もどんな時も

僕にもできるはずさ きっと がんばれ がんばれ

つまづき転んでも 見ててね 負けないから

何度でも立ち上がって歩くよ

何度も何度でも


がんばれ 聞こえていた あの日もどんな時も

負けない 忘れない きっと がんばれ がんばれ

ラララ......がんばれ がんばれ

 

いいなあ、この曲も流行させたい。

   

人権週間に向けていろいろ準備をしていこうと思いますが、

アルケミストについて知ることも大事な準備。

今晩はいい準備ができました。

  

台風24号が迫ってきました。

風雨で家が揺れ始めました。

9月の生活のBGMは「アルケミストイレブン」でした

 

今日は9月30日。

  

9月の生活のBGMはこのアルバムでした。

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アルケミストイレブン」(アルケミスト)

12月の人権週間を盛り上げるテーマソングを

薦めてくれる人がいて

アルケミストの「パレードに出よう」としました。

この曲は入っていませんでしたが、

アルケミストの曲を聴いてみたくなり、

紹介してもらったアルバムを、1か月聴き込みました。

いい曲が11曲入ったアルバムでした。

良かった。

カサリンチュと出会った時のような、

さわやかな気持ちになれたアルバムでした。

 

11曲のうち最も印象に残ったのは「旅立つ君に」です。

いいメロディなんです。


YouTube: 【アルケミスト】旅立つ君に

もちろん歌詞もいいです。

行ってしまうんですね、

彼女は電車に乗って。

  

  

「パレードに出よう」は宮崎県の人権啓発CMの為に

アルケミストが書き下ろした楽曲です。


YouTube: 宮崎県人権啓発CM 「みんなで奏でる 素敵なハーモニー」

 

アルケミストさんには全く断りなく、

勤務校の人権週間に流行させようと思います。

歌詞も紹介して、

勤務校のみんなが口ずさめるようにしたいです。

その結果、人権意識が高まると考えます。

しかし、歌詞が不明。

いつもならインターネットで探せばわかるのですが、

アルケミストの曲はなぜか歌詞がネット上に

公表されていません。

そこで聞き書きしてみました。

 

 

 

パレードに出よう (アルケミスト)

 

※みんな集まれ集まれさあ始めよう

大切にしてる自分だけの楽器で

音が全部違うからこそ響く

リズムとハーモニー 

みんなで繰り出そう

パレードに出よう

  

 

僕はこの小太鼓を歌いながらたたくよ

君の楽器は金ぴかな笛だね

出せない音あっても得意なフレーズ

”こちらをこれ吹いて”

ひとりじゃできない曲みんなで

完成させよう

苦手なとこが来たら

テンポ落としゆっくりやればいい

 

 

※繰り返し

 

 

友だちに誘われて飛び入り参加した人と

初めましてと握手を交わす

のどが乾いたら言ってね

冷たいお水を一緒に飲みましょう

死ぬまで出会える人 人口の何パーセント

せっかく同じ太陽、同じ空の下 見上げるなら

 

 

みんな集まれ集まれさあ始めよう

パレードの道はどこまでも続く

いつか地球をぐるりと一周して

わっかにつながり、大好きな人が”すめたらいいな”

 

 

※繰り返し

  

 

さあ行こう みんなでわっかにつながろう

さあ行こう みんなでわっかにつながろう

さあ行こう みんなでわっかにつながろう

さあ行こう みんなでわっかにつながろう

  

 

”こちらをこれ吹いて””すめたらいいな”は

聞き取れませんでした。

そう歌っているように聴こえますが、

本当にそれでいいか自信がありません。

でも流行させ、歌詞を子どもたちに染み込ませたいですね。

 

「大切にしてる自分だけの楽器で

 音が全部違うからこそ響く

 リズムとハーモニー」 

  

「苦手なとこが来たら

 テンポ落としゆっくりやればいい」

  

「のどが乾いたら言ってね

 冷たいお水を一緒に飲みましょう」

  

死ぬまでに出会う人はそんなにいない。

出会えたのは偶然。縁があるのです。

一緒にパレードに出よう。

そんな出会いを大事にする歌詞もいいです。

1959年の伊勢湾台風並みの高潮となりそう

今日は9月30日。

  

9月最終日。台風24号接近中。

先日の授業で、今日は何の日クイズをやりました。

紹介したのは9月26日の「台風襲来の日」

統計上、台風襲来の回数が多い日で

あることからこの日になりました。

1959年の伊勢湾台風も9月26日に襲来。

東海地方に多くの被害を出しました。

私は生まれていなかったけど、

父親母親から、あの時は家の壁が風で大きく押され、

不安であったという話を聞いた覚えがあります。

伊勢湾台風の名前も授業で出しましたが、

私も体験していないので、名前を出しただけでした。

 

しかし、その伊勢湾台風の名前が

今日のニュースで多く出ました。

あの伊勢湾台風並みの、あるいは上回る高潮が

予想されると言っていました。

伊勢湾台風については、次のサイトにいろいろな写真があり、

様子がわかります。

毎日新聞 写真特集「伊勢湾台風」

何枚か転載します。

今度伊勢湾台風を語る時に使いたいです。

  

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深夜の住宅街、濁流うずまく中で救援の警官が

1人の少女を救出した=愛知県東海市横須賀町で

1959(昭和34)年9月27日撮影

  

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1959(昭和34)年9月27日毎日新聞朝刊1面 

  

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自衛隊ヘリコプターで救出される名古屋市港区南陽町の住民

=1959(昭和34)年9月撮影

  

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名古屋市南区役所に並べられた犠牲者

=1959(昭和34)年9月撮影

 

  

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名古屋市南区の名鉄常滑線大同町駅一体を埋めつくした

流木の山=1959(昭和34)年9月28日撮影 

   

  

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被災地に降り続いた雨は10月5日朝にようやくあがった。

待ち構えていた自衛隊のトラック隊が国道1号を走り、

愛知県蟹江町方面に向かう

=1959(昭和34)年10月5日撮影 

  

 

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やっと持ち出した“全財産”をイカダに乗せて、

わが家に帰る夫婦

=名古屋市南区で1959(昭和34)年10月8日撮影 

 

伊勢湾台風での人的被害は、

犠牲者5098人(死者4697人・行方不明者401人)、

負傷者38921人(「消防白書」平成20年度版)  

  

もうじき台風がやって来ます。

雨戸を閉めて備えていますが、

外の風はだんだん強くなっているのが、

風の音と家の揺れで感じます。

被害が少ないことを祈ります。

できたら死者0で。

  

  

【高潮】

風津波とも。台風や強い低気圧の来襲により,

海水の水位が異常に高まり陸地に浸入する現象。

低い気圧によって吸い上げられた海水が,

暴風とともに海岸に吹き寄せられるために起こり,

満潮やうねりの周期と一致するとさらに水位が高められる。

ピークは1回であるが,湾内で反射すると

2回目の高潮が生ずる場合もある。

1949年のキティ台風のとき横浜港内で

高さ6m以上の高潮を起こした例がある。

引用:コトバンク

「列島誕生 ジオジャパン 第1集」より/衝突が富士山とソメイヨシノをつくった

今日は9月30日。

  

前投稿の続きで、昨年7月23日に放映された

NHKスペシャル 列島誕生 ジオジャパン

第1集 奇跡の島はこうして生まれた」より。

これがラストの読み物化。  

   

ナレーター:桜と富士山。日本の絶景の代名詞です。

  実はこの風景も、火山島の連続衝突が生んだものです。

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  伊豆半島の沖合25kmにある伊豆大島。

  春、この島を一斉に白く染めるのはオオシマザクラです。

  伊豆の島々で進化を遂げ、

  大きな花を咲かせるようになった桜です。

  香りが豊かなため、桜餅にはこの桜の葉っぱが使われています。

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  伊豆半島の元がぶつかってきた時、

  この島の桜も一緒に本州へともたらされたと考えられています。

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  このオオシマザクラが本州にあった桜と交配することで、

  大きな花をたくさん咲かせる見事な桜が生まれました。

  それがソメイヨシノです。

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  大きな花を咲かせるオオシマザクラの特徴を

  引き継いだソメイヨシノは、

  江戸時代から日本人の心をとらえ、

  今や日本を代表する花となりました。

  そして桜とともに富士山も火山島の衝突がもたらしたものです。

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  伊豆の島々がぶつかり続けることで、

  大量のマグマがこの場所で生まれ、日本一の山ができました。

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  春、人々を魅了する富士山と桜の姿が、

  かつて東西に分かれていた日本が

  一つになったことを物語る絶景です。

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勉強になった番組です。

桜餅については、10年前に記事を書いています。

ここでも道草 桜餅を買ってきて食べました(2008年4月13日投稿)

10年前の記事に、桜餅はオオシマザクラの葉が使われることが

ちゃんと書いてありました。

香りがいいからとも書いています。

10年ぶりに、桜餅の知識が増えました。

「列島誕生 ジオジャパン 第1集」より/次々と火山島が衝突していくシーン

 

今日は9月30日。

  

前投稿の続きで、昨年7月23日に放映された

NHKスペシャル 列島誕生 ジオジャパン

第1集 奇跡の島はこうして生まれた」より。

  

それでは今回は列島誕生を導いた第2の事件。

  

聞き書きします。

 

ナレーター:富士山を取り巻く南関東の山々。

  日本が二本だった頃、この辺りは海でした。

  この風景はまさに、第2の事件、

  火山島の連続衝突によって造られました。

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こうやって説明が始まった第2の事件。

一部要約。

南関東の山々の一つ、丹沢山地では、

400mの高さから枕状溶岩が発見されます。

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枕状溶岩は海底での噴火で流出した溶岩が、

海水によって急激に冷やされることによってできます。

海底の産物なのです。

さらには、サンゴやオウムガイの化石も発見されます。

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なぜ、山の上にこのような枕状溶岩や

海の生き物の化石が出てくるのか?

  

  

枕状溶岩とサンゴがある場所が、

丹沢山地のはるか南に発見されました。

それが伊豆や小笠原の島々です。

実は丹沢山地も、もともとは南の火山島だったのです。

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ナレーター:これら南の海の火山島こそ、

  第2の大事件の主役たちです。

  この火山島(御蔵島)、実は・・・・

  水中から見ると、広大な裾野をもつ巨大な海底火山です。

  孀婦岩も、海の底から1200m盛り上がった巨大な火山です。

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※「孀婦岩」についてはここを見てください↓

ここでも道草 今晩、まもなく「孀婦岩(そうふがん)」を特集する番組放映(2018年9月29日投稿) 

 

ナレーター:これら伊豆の火山島は、

  関東の方に向かって一直線に並んでいます。

  実はこの並び方こそが、第2の大事件を引き起こしたのです。

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一部要約。

もともと火山島の列は、

日本列島の南で西向きに並んでいました。

日本列島が大陸から引きちぎられ、

日本が二本になっていた頃に、

火山島ののっているフィリピン海プレートが移動して、

北向きになり、ちょうど二本の日本列島の間に向かって

火山島が進むようになりました。

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そして、最後の写真でスポットライトが当たった場所に、

火山島が連続して衝突するようになりました。

  

再び聞き書きします。

  

ナレーター:地球史上稀な火山島の連続衝突。

  (中略)

  日本列島がまだ二本だった頃、今の関東の辺りは、

  東日本と西日本を隔てる海峡でした。

  その南の沖合には、火山島が一列に並んでいます。

  海底から見ればどれも巨大な火山です。

  火山島の周囲では、ひっきりなしにあの枕状溶岩が

  生まれていました。

  浅い海にはサンゴ礁が発達しています。

  そして1500万年前。

  フィリピン海プレートが北に移動します。

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  これが奇跡の始まりでした。

  一列に並んだ火山島が、次々と西日本と

  東日本の間へと向かって行ったんです。

  500万年前頃には、丹沢山地の元になる島々がぶつかりました。

  島の周囲のサンゴ礁も海底の溶岩も

  陸地の高いところへ押し上げられていきます。

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  丹沢の山中にサンゴ礁や枕状溶岩があるのは、

  この大事件の名残です。

   

  空から見たこの光景は、

  連続衝突の規模の大きさを物語っています。

  最も初期に衝突した火山島が櫛形山地になりました。

  その後やって来たのは御坂山地になり、

  続いて丹沢山地になり、最後の衝突で伊豆半島ができました。

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  日本列島誕生、第2の大事件。

  それは2つに分かれていた日本の間を偶然埋めるように起こった

  火山島の連続衝突でした。

  (中略)

  火山島が連続して衝突する山々からは、

  大量の土砂が流れ始めました。

  その土砂は二本に分かれていた日本の間の海を埋め、

  今の関東平野の元となりました。

  偶然に起こった火山島の連続衝突により、

  それまで2つに分かれていた日本列島が、

  ついに一本につながったのです。

  およそ500万年前の出来事でした。

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以前から伊豆半島は衝突した島だとは聞いていました。

それだけではなかった。

次々に火山島が衝突して山地ができたことが

よくわかった素晴らしい映像でした。  

   

このような映像満載のこの番組を、

いつかは授業で使いたいですね。

  

火山島が衝突したことで、

今身近にあるものが誕生した話を次の投稿で書きます。

 

つづく

「列島誕生 ジオジャパン 第1集」より/大地から引き裂かれる仕組み

 

今日は9月30日。

  

前投稿の続きで、昨年7月23日に放映された

NHKスペシャル 列島誕生 ジオジャパン

第1集 奇跡の島はこうして生まれた」より。

  

第2の大事件について読み物化しようとしましたが、

その前に、なぜ日本列島が大陸から引きちぎられたかを

説明している映像の読み物化をしたいと思いました。

実行。

  

  

ナレーター:地球の表面を覆う十数枚の岩盤、プレート。

  仲でも最大のものが太平洋プレートです。

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  この地球最大のプレートの西のはじに接していたこと、

  それが日本列島の運命を決めたと考える研究者がいます。

  地球物理学者の吉田晶樹(まさき)さん。

  最新のコンピュータシュミレーションを使って、

  太平洋プレートの動きを再現しています。

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  右側からもぐりこんでいるのが太平洋プレートです。

  太平洋プレートは地球最大のプレートで、

  厚さは100kmもあり、極めて重くなっています。

  そのため日本付近では、自らの重さで、下へと沈んでいきます。

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吉田さん:沈み込んだプレートの体積を埋め合わせるように、

  時計回りの上昇流が生まれます。

  この上昇流は沈み込んだプレートの側面を押します。

ナレーター:側面を押された重い太平洋プレートが、

  沈み込みを続けることで、右向きの強い流れが生まれます。

  太平洋プレートのように巨大なプレートでないと起こらない

  強い流れです。

Photo_6 (赤い楕円で囲んだ部分が右向きの強い流れ)

  同じシュミレーションを上から見ると

  プレートが沈み込むと、その時生まれる流れに引きずられて、

  ユーラシア大陸が引き伸ばされていきます。

  そして大陸はしだいに薄くなり、  

  次にちぎれました。

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吉田さん:マントルの上昇流が陸のプレートを引き裂きます。

  そうすることによって日本列島は大陸から  

  引き離されたのです。

ナレーター:日本列島誕生、第1の大事件。

  それは地球最大の太平洋プレートが、

  大陸の縁に接していたことで起りました。

  この運命的な場所で、地球の歴史上たぐい稀な

  大陸の引きちぎりが起きて、日本列島が誕生したのです。

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そんなちぎられた土地で、私たち日本人は生きているのですね。

大地は、揺るぎないようなものに思えますが、

この話を知ると、危なっかしい場所に住んでいるのだと

思えてきます。

ただその変化が、人間にとってはとてもゆっくりなので、

大地は揺るぎないものと感じるのでしょう。

  

つづく

2018年9月29日 (土)

通算5900本目の投稿/「列島誕生 ジオジャパン 第1集」より/大陸から引き裂かれるシーン

 

今日は9月29日。

  

前投稿の続きで、昨年7月23日に放映された

NHKスペシャル 列島誕生 ジオジャパン

第1集 奇跡の島はこうして生まれた」より。

  

第1の事件。大陸から日本列島が引き裂かれたシーン。

番組では次のように紹介されていました。

  

ナレーター:激動の始まりは、今からおよそ3000万年前。

  恐竜が絶滅した後の哺乳類の時代。

  8mもある地球史上最大の哺乳類たちが

  温暖な大陸で暮らしていました。

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  大地に亀裂が入っていきます。

  ここから、その後、数百万年の時をかけて

  大地はゆっくりと裂けていきます。

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  大陸の真ん中で大陸が割れることはあっても、

  大陸の縁(ふち)が引き裂かれるのは、

  地球史上でも稀な現象です。

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  そしておよそ2500万年前。

  大陸の裂け目はさらに広がり、

  ついに太平洋から海水が入り込んできました。

  日本海の元となる巨大な入り江です。 

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  さらに数百万年かけて、陸地が大陸から

  引きちぎられていきます。

  こうして日本列島の元が2つに分かれて、

  海へと出て行きました。

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  (中略)

  列島誕生、第1の大事件、それは大陸の縁が2つに分かれて

  引きちぎられるという、地球史上極めて稀な大激変でした。

  そうして生み出された日本列島は、1500万年前、

  こんな形の島々として、この位置に定まったのです。

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ここにたくさんの写真を載せましたが、

これが動画で見ることができます。

とても魅力的な動画でした。

 

  

この大陸から引き裂かれたシーンの中で、

大きな陸地が海の下に消えるところがあります。

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その名残(なごり)は大和堆と言われる

日本海海中にある大きな広大な浅い場所。

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↑ 赤枠の部分が大和堆(やまとたい)。

それを大陸側に移してみると、合致します。↓

A

(黄色の矢印は私が書き加えました)  

  

以上です。

第2の大事件は、明日の投稿で。  

「列島誕生 ジオジャパン 第1集」より/日本列島はなかった

 

今日は9月29日。  

  

前投稿で孀婦岩のことで、

昨年7月23日に放映された

NHKスペシャル 列島誕生 ジオジャパン

第1集 奇跡の島はこうして生まれた」のことを書きました。

以前から読み物化したいと思っていた番組です。

今回、いっきにやってみようと思います。

  

この番組は、授業で使おうと思って断念した番組です。

ここでも道草 3000年前の列島誕生から、マンモス復活に変更(2018年7月2日投稿)

子どもたちに見せたい内容ですが、

上手に紹介できないと判断して止めました。

  

でもいつかは授業で使いたい番組。

(と、言っても私に残された年数は少ない)

ここで読み物化しておくことは大事です。

いざ使おうと思った時に、どのような内容だったか、

読むことで短時間で思い出せます。

  

  

番組では、日本列島が誕生したのは、

地球史上稀な4つの大事件が起こったからだと言っています。

 

第1の事件は「引き裂かれた大地」・・・

 日本列島は大陸から引き裂かれました。

第2の事件は「火山島の連続衝突」・・・

 二本に分かれていた日本を一本にしました。

第3の事件は「(紀伊半島で起った)地球最大規模の噴火」

第4の事件は「(東北で突如として起こった)列島の大隆起」

  

「列島誕生 ジオジャパン 第1集」では、

第1の事件・第2の事件を扱っています。

(残りの2つの事件は第2集)

  

それでは印象に残った部分の聞き書きをしていきます。

 

ナレーター:今から46億年前。太陽系ができた頃。

  当時地球の表面はドロドロに溶けていました。

  その後、冷えて大陸ができます。

  大陸は形を変えながら、移動を繰り返します。

  そしておよそ1億年前、ユーラシア大陸の東を見ると、

  あれ?日本がありません。

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  そう、日本は最初なかったんです。 

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  では、何が起こって、日本列島は産声をあげたのでしょうか。

   

大陸の一部だった日本列島が、大陸から引き裂かれたのです。

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その引きちぎられた時の様子を次の投稿で紹介します。

  

 

今晩、まもなく「孀婦岩(そうふがん)」を特集する番組放映

 今日は9月29日。

  

今晩から明朝は道草するぞ!

  

今晩9時からの「NHKスペシャル」は注目です。

Photo NHKスペシャルHP

  

NHKスペシャル 東京ロストワールド 第2集 孀婦岩」です。

  

この孀婦岩に初めて注目したのは、昨年の7月23日に放映された

「NHKスペシャル 列島誕生 ジオジャパン

第1集 奇跡の島はこうして生まれた」を見た時でした。

この番組については、ブログで読み物化しようと思っていましたが、

後回しにしていました。

今晩、孀婦岩が登場するのを機会に、

孀婦岩の部分だけ読み物化してみます。

  

東京都から南の海には、

たくさんの火山島があります。

それらの火山島は、関東方面に向かって一直線に

並んでいます。

これらの火山島は、太古の昔から北に移動していて、

日本列島の同じ場所付近に次々衝突していきました。

その結果、櫛形山地、御坂山地(この夏登った!)、

丹沢山地、そして伊豆半島ができました。

その火山島の移動は今も続いていて、その一つが孀婦岩なのです。

「列島誕生 ジオジャパン」の写真です。

 

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↑ ほらほら見えてきましたよ。

 

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圧倒される姿です。

こ孀婦岩の海底は下のようになっています ↓

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海の底から1200mも盛り上がった火山だったのです。

 

この番組で興味をもっていた孀婦岩を特集する番組が

もう少しで放映されます。

もちろん録画します。

楽しみです。

2018年9月26日 (水)

20180901報告その5 他人と違ったとしても、自分の大事なことを表現する

今日は9月25日。

  

前投稿の続きで、

9月1日に参加したキミヤーズ塾の報告です。

  

キミヤーズスタッフが、国語・算数の時間に、

それぞれのクラスで実践している教材・教具を

実演を交えて解説してくれる時間がありました。

  

「花びら学習」に興味をもちました。

中央に漢字を書いて、その漢字で見て思い浮かべることを

その周りにつなげて書いていくものです。

いきなり創作熟語が難しいと感じた時には、

このやり方がいいと説明してくれました。

出来上がった図は、漢字の意味を正しく説明するのではなく、

子どもの内にある漢字からいだくイメージの

「表現」になります。

  

 

赤木和重先生のお話より。

 

茶色が要項からの引用や聴いたことです。

※印は私の感想など。

  

最近、村上公也先生がよく怒っている。

学習規律や礼儀(返事「はい」)に嫌悪感を示している。

なぜか?不明。(村上先生は説明をする人ではない。)

ただ言えることは、教師が子どもを下に見て指導している。

子どもをコントロールしようとしている。

このことに村上先生は嫌悪感をもっているのではないか。

子どもに指導したことを対等(と考えている)の人間にしますか?

という自問。

  

※子どもを下に見ている。

 指導の時の言い方、やり方が、子どもを下に見ていないか。

 同等の人間に同じやり方ができるか?

 「教える」立場、「教えられる」立場はあると思うけど、

 それを上下感覚で指導することは、正直あると思います。

 でも感情的指導にならないようにしてはいきたい。

 子どものことを思い、どう言ったら気持ちよく浸透していくかを考え、

 指導にあたりたい。

  

 

・れっきとした子どもの人権侵害

 子どもの権利条約

 1:【人間としての尊重】

   子どもも1人の人間として尊重されなければならない。

   →他者の口に無理矢理ご飯を入れる行為の問題

 2:【子どもとして尊重】

   子どもの時期が、人間にとって特別な意味のある存在

   →一列歩行の問題(他:授業2分前に着席)

    特別支援学校小学部で、校舎周りを1列で黙って

    寄り道せずに歩く練習。実践意図は、社会に出て困らないように。 

   (子どもらしく遊ぶ・ブラブラする権利:31条)

   31条:締約国は、休憩および余暇についての児童の権利並びに

       児童がその年齢に適した遊び及びレクリエーションの活動を

       行い並びに文化的な生活及び芸術に自由に参加する権利を

       認める。

 

※同等の人間に、無理やり口にご飯を入れることはしないでしょう。

 大人だったら、休憩時間が短ければ文句を言うでしょう。

 これらの指導は、疑問符のつく指導です。 

  

  

正しさが前面に出るときの先生の顔は、きつくなる。

優しさや面白さが出てこない。

(それがいいかどうかはまだ不明:赤木先生)

 

確かにそうなりやすいと実感あり。

赤木先生の用意された資料に、

赤木先生が書かれたコラムがありました。

これがまたいい。たっぷりここに書き留めます。

 

ある小学校5年生(通常学級)の授業をときどき見学するのですが、

 

そのクラスを訪れるのが楽しみです。

 

楽しみの理由の1つは作文。

 

掲示されている作文を読むのが楽しいのです。

 

生き生きしています。

  

文法や誤字など気にしないで

 

のびのび書いている様子が伝わってきます。

 

(実際、先生も、作文をみるとき、訂正や指摘は一切しないとのこと)

  

さて、ある思慮深い女の子の作文が目にとまりました。

  

大意を書くと、「担任の〇〇先生は変人だ。

 

〇〇先生以外にも、私の周りには変人がたくさんいる。

 

変人が多い分だけ、力や勇気をもらっているんだ」という内容。

 

え? 変人に力や勇気をもらう?・・・・

 

「変人」とか言わなさそうな子なのに、どうなってるの?

まさかの変人マニア? ドキっとしたのですが、

 

その担任の先生の様子を見ていると、

 

なんとなーく、文章の意味が見えてきました。

 

担任の先生はとてもユニークな方です。

  

社会の授業開始早々、1枚の写真(棚田の写真など)を見せて、

 

「これどう?』と子どもに問いかけるのみ。

 

「え、どうって言われても……」と固まるワタクシ。

 

それをよそに子どもたちは、自由にさまざまな意見を出します。

 

そして、子どもたちの意見を先生が拾いつつ、

  

授業が進んでいきます。 

 

子どもにとっても、見ている私にとっても、 

 

どこに話がいくか予想がつきません。 

  

予想がつかないのですが、不思議とそのなかから大事な問いが出てきて、

  

みんなで考えを深めていきます。とてもユニークな授業です。

 

ほかにも、「板書をそままうつさないこと。それは勉強ではない」

  

「本当に集中していたら姿勢なんて崩れる。

 

だから姿勢に気をつけすぎる必要はない」などユニークで、

 

でも本質的な哲学をもっておられます。

  

たしかに変人です。

 

こういう指導をするのは勇気がいることです。

 

他の先生と違うことをすれば、同僚や保護者のなかには

  

理解が難しい人がいたかもしれません。

  

でも、それでも自分の大事なことをまわりと調整しながらすすめていく。

  

そんな先生に、その子は魅かれたのだと思います。

  

他人と違ったとしても、自分の大事なことを表現する、

 

その姿勢に力と勇気をもらったのでしょう。

 

それに、そんな先生だから、きっと子どもの突き抜けた表現や

  

「おかしな」表現も大事にしてくれる、

 

そういう温かさと信頼も感じているのでしょう。

(後略)

「目からウロコ!驚愕と共感の自閉症スペクトラム入門」

(全障研出版部)より

 

「それでも自分の大事なことを

 まわりと調整しながらすすめていく。」

 自分の理想をしっかり持っていて、 

 それを周りと調整しながらすすめていくこと。

 すごいなあ。でも、感心してばかりではだめです。

 今のうちにやっておかないと、もう引退だぞ。

 ちゃんと理想を目指してやっているかい?

 自問したくなった文章です。

 

 今日の1時間目は、通常学級での社会科。

 何か一つ、理想としていることをやろう。

 聴くときには鉛筆を持って聞く。

 そのためには、メモする価値のある話をしないといけない。

  

 「他人と違ったとしても、自分の大事なことを表現する、

 

  その姿勢に力と勇気をもらったのでしょう。」

 

 教師の行為は、子どもに波及します。

 予想外の子どもたちの表現を楽しみたいです。

  

  

以上で、9月1日のキミヤーズ塾の報告終了。 

9月1日はいい日でした。

また異文化体験ができました。

 

岡本太郎さんが、かつてフランスの芸術に感化されて

日本に戻ってきました。

そしたら、日本のわびさびの世界がつまらなかったようです。

しかし、縄文時代の土器や土偶を見て、

大喜びをしたそうです。

岡本太郎さんが縄文時代に夢中になったのは、

このような過程を経たからなのですね。

・・・この話、誰がされていたかな?

キミヤーズ塾で聞いた話です。

最後に思い出しました。

  

 

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