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2018年8月13日 (月)

「ブラタモリ 10」で勉強/明治時代の富士風穴

 

今日は8月13日。

  

前投稿に引き続き、

ブラタモリ 10」(NHK「ブラタモリ」制作班監修/角川書店)

より。

 

今回は「富士風穴」のこと。

引用していきます。

  

富士風穴が発見されたのは明治時代のこと。

トンネルの落盤によって入口が姿を現しました。

(22p)

 

意外に新しい。

私が撮った8月4日の写真。

Rimg0076  

富士風穴に行くまでに窪地があります。

この窪地に下りるだけで、10度くらい気温が下がるそうです。

風穴内の気温は年間を通して0度前後であり、

風穴からの冷気が、窪地の気温を下げています。

  

風穴の冷気が、明治から大正時代に貢献しました。

そのことが書いてある部分を引用します。

  

かつて富士風穴には、国内最大規模の蚕卵(さんらん)の

貯蔵施設があったのです。

蚕の繭を原料にする生糸や絹織物の生産は明治以降、

日本の主要な輸出産業でした。

しかし蚕の卵は春にふ化するため、養蚕は春にしか

行えないという大きな課題がありました。

この問題を解決する方法として注目されたのが、

蚕の卵を冷蔵保存し、ふ化の時期を遅らせる技術でした。

しかし冷蔵庫はまだ一般的ではありません。

そこで利用されたのが、夏場も冷気が保たれる洞窟や

風穴でした。

同様の施設は全国に造られましたが、

なかでも規模が大きかったのが富士風穴内に造られた施設で、

遠く福岡県からも蚕卵が運ばれたことが

記録に残されています。

明治時代に描かれた富士風穴の断面図には、

風穴の入口がある窪地には作業者が寝泊まり小屋、

風穴内には3つの貯蔵庫が描かれています。

そこから風穴内にはレールが敷かれ、

氷づけになって残されていた台車を使って

蚕卵が運ばれていたのでは、と

(案内の)栗林さんは推測しています。

風穴は、日本の養蚕業を支えていたのです。

(23~24p)

 

「ブラタモリ 10」で紹介されている風穴の図は、

ありがたいことに次のサイトで見ることができました。

山梨デジタルアーカイブス

風穴の図の写真を載せます。

Photo 明治時代の風穴断面図 「富士風穴略説」より

  

今度行った時には、この図の景色を思い描きながら

風穴内を歩いてみたいです。

  

  

最後に、「ブラタモリ」でタモリさんたちを案内した栗林さん。

フルネームは栗林秀旭(しゅうき)さん。

 

写真家・樹海ガイド。

富士山に魅せられ平成19年に

山梨県精進湖畔に移住。

富士をテーマにした写真集を2冊出版している。

(23p)

  

本に載っている栗林さんの写真を見て、

この栗林さん、私は8月4日に見ていることに気がつきました。

Rimg0078a  

窪地で記念写真を撮っている人たち。

手前でカメラを構えているのが、栗林さんです。

その時には全く知りませんでした。

  

  

以上、「ブラタモリ 10」でいい勉強ができました。

でももう一つ、投稿したい。

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