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2018年3月18日 (日)

「優しいライオン」からの引用2.アンパンマン誕生までの話

 

今日は3月18日。

  

前投稿に引き続き、

優しいライオン~やなせたかし先生からの贈り物

(小手鞠るい著/講談社)からの引用です。

  

「アンパンマン」誕生の様子が書かれたところです。

  

一九七三年に最初の絵本『あんぱんまん』が出版されてから、

 

約五年が過ぎました。表面的には変化なし。

 

けれども目に見えないところで何かが動く気配がありました。

 

ある日近所のカメラ店にフィルムの現像を出しに行くと、

 

店の主人が言いました。

 

「先生、うちの坊主があんぱんまんが好きでね。

 

毎晩読んでくれというもんだから、私までおぼえちゃつたよ。

 

子どもは気に入ると何度でも読めって言うんだね」

 

これが最初の予兆でした。

 

へえ、とぼくは思いました。

 

出版社では評判が悪かったし、

 

ぼくもみんな見向きもしないと思ってた。

 

でもそれから、似たような話をあちこちで聞くことになりました。

 

幼稚園や保育園では人気で、

 

図書館では『あんぱんまん』がいつも貸し出し中。

 

新刊を入れてもすぐにポロポロになるというのです。

 

ぼくはえらいことになったと思いました。

 

『わたしが正義について語るなら』(やなせたかし著)より

  

  

 

 

ここで、ちょっと駆け足になるけれど、 

 

アンパンマン誕生のいきさつをふり返ってみたい。

 

アンパンマンの原型が生まれたのは、

 

一九六〇年頃、先生のつくったラジオのコントのなかからで、

 

そのときには、まるで桃太郎のお話のパロディのような

 

「あんパンから生まれたアンパンマン」だったという。

 

九年後の一九六九年、PHP研究所から発行されている雑誌「PHP」に、

 

大人向けの読み物として連載した「こどもの絵本」

 

(単行本のタイトルは『十二の真珠』)の第十回として、

 

先生は「アンパンマン」と題する物語を書いている。)

 

のときのアンパンマンは、今とはまったく違って、

 

った人間の姿をしていた。

  

が、元祖アンパンマンもまた,戦場の空を飛んで、

 

おなかをすかせた世界中の子どもたちにパンを届けようとしていた。

 

ここに、先生の戦争体験が色濃く反映されていることは言うまでもない。

  

  

  

 

戦争が続いて、野も山もすっかりやけただれた国がありました。

 

荒れはてて砂漠のようになった土地にほんの数人の子どもたちが、

 

なんにもたべるものもなく死にそうになっていました。

 

もう最後かとおもうとき、空のむこうにちいさな点が

 

あらわれたかとおもうとみるみる大きくなって近づいてきました。

 

アンパンマンだ! アンパンマンはこげ茶色のマントの下から

 

やきたてのアンパンを子どもたちの上へおとしました。

「しっかりするんだ。死んじゃいけない。

 

私は何度でもアンパンをはこんでくるぞ」

 

『十二の真珠』所収の「アンパンマン」より

   

  

 

『やさしいライオン』の大ヒットを受けて、

 

新たな絵本の仕事を依頼された先生は、

 

この「アンパンマン」を、子ども向けの絵本「あんぱんまん」として、

 

描き直すことにした。そのときに、アンパンの顔をしていて、

 

自分の顔困った人に食べさせるという、

 

現在のアンパンマンが誕生した。

 

一九七三年のことである。

   

  

 

 

人間にとって一番つらいのは飢えである。

 

正義を示すもっとも端的な行為は,

 

飢えた人に一片の食べものをさし出すことにほかならない。

 

戦争体験でも、何よりきつかったのは飢えだった。

 

どんな重労働も、一晩寝れば回復する。

 

けがをしても、薬をつければそのうち治る。

 

だが、ひもじさには耐えられない。

 

自分が飢える経験をして、飢えがどんなにつらいか、

 

よくわかった。

 

発行機事故で遭難した人間が、救助がなかなか来ず、

 

ついには死んだ人を食べたという事件があったが、

 

それも納得できると思えるくらいだ。

 

『やなせたかし明日をひらく言葉』より

  

  

  

 

アンパンマンは、先生にとっての「正義とは何か」がこめられた、

 

まったく新しいタイプのヒーローだった。

 

正義とは「弱い人、困っている人、すなわち、

 

空腹な人に食べ物を分け与えること」

 

つまり、真の正義とは、献身と愛があってこそ実現できるものだと、

 

先生は悟った。

 

敗戦後,それ で軍国主義一色に染まっていた日本の正義が、

 

いとも簡単に逆転してしまったことを目の当たりにして、

 

「絶対に揺るがない正義とは、弱者を助けること」なのであると。

 

 (89~91p)

 

 

  

「アンパンマン」が自分の顔を食べさせる行為が

やなせたかしさんの戦争体験から来ていることを知りました。

そして、もう一つ知ったのは、

「アンパンマン」はすんなり誕生したのではなく、

大人からは酷評されたということ。

1973年に誕生したアンパンマンは、

それでも子どもたちの中で人気が出てきます。

そして1988年にテレビで放映されます。

その時やなせさんは、もうじき70という年。

高齢になってまで頑張っているマンガ家のイメージでしたが、

遅咲きのマンガ家であったことが、

このアンパンマンの誕生の話でもわかったし、

この本「優しいライオン」を読むとあちこちで

この遅咲きのやなせさんのことを知ることができます。

  

   

つづく

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