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2018年3月18日 (日)

「優しいライオン」からの引用3.「華」がないといけない

 

今日は3月18日。

 

前投稿に引き続き、

優しいライオン~やなせたかし先生からの贈り物

(小手鞠るい著/講談社)からの引用です。

  

今回も「アンパンマン」のことを書いた文章です。

  

このとき、やなせ先生は、六十三歳。

 

先生が四十一歳のときに生み出したアンパンマンは、

 

二十二歳という,ことになる。

 

一九七三年に出した最初の絵本『あんぱんまん』に対して、

 

「もう二度と描かないで欲しい」と言われながらも、

  

先生はあきらめなかった。

  

七四年から「詩とメルヘン」誌上で

 

「熱血メルヘン怪傑アンパンマン」の連載を開始し、

 

七六年からは姉妹誌の「いちごえほん」で

 

「あんぱんまん」の連載を始めている。 

 

また,七九年には月刊「キンダーおはなしえほん」

 

「あんぱんまんとぱいきんまん」を描いている。

  

先生は、アンパンマンを手放さなかった。

 

手放すことなどできない。

 

なぜならアンパンマンは先生にとって、

 

可愛い我が子のような存在だったのだから。

 

やがて,機が熟し実が熟すようにして

 

アンパンマンの人気は実ってゆき、

 

「ぼくのあんぱんまんは、アンパンマンと片仮名に改名して、

 

シリーズで本が出版されるようになって、

 

稚園·保育園では大人気、アンパンマンのステッカーをつけた

 

フレーベル館のワゴン車が園に入ると、

 

子供達が喚声をあげて取り巻く」(『アンパンマンの遺書』より)

 

ようになっていた。 

 

(119p)

 

一九八八年から一九八九年にかけて、すなわち、

昭和時代が終わり、平成元年が始まろうとしていた時期、

のちに「平成のヒーロー」となる大きな運命を背負って、

先生のアンパンマンは、飛び立った。

飛び立ったときには本当に「ひっそりと」、

そして「心細い状態」だったようである。

そのひそやかな旅立ちについて、先生はこんなふうに語っている。

  

  

アンパンマンが幼児に人気があるという噂は

 

地下水がしみこむようにゆるやかにひろがってはいきましたが、

 

まだ世間ではまったく知られていませんでした。

 

テレビ各社からアニメ化の企画は何度か持ちこまれましたが、

 

いつもはかないシャボン玉、きらりと光って消えていくだけ。

 

NHKからもお話がありましたが、『三銃士』と競合して、

 

あっさりキャンセル。

  

最後まで粘ったのが日本テレビで、

 

同時にアニメの製作会社の東京ムービー新社

 

(現在のトムス・エンタテインメント)からも話がきたのです。

 

しかし「アンパンマンなんていう地味な絵本のヒーローが

  

現代の子どもにうけるはずがない」という上層部の意見に押されて、

企画がパスせず三年ばかり空費。

 

ようやく、昭和六十三年(一九八八年)の十月、

 

月曜日の五時(当時は再放送番組用の時間)、

 

何をやっても視聴率が二%しかいかない最悪の時間枠で、

 

わずか関東四局のみで放映という心細い状態ではじまりました。

  

こうして、世界の数多くのアニメヒーローの中で

 

自分の顔をちぎってひもじい人に食べさせるという

 

前代未聞の平成のヒーローは、

 

まったく期待されないまま、今度はテレビアニメとして飛びたったのです。

 

ところが最初から七%という、この時間帯では破格の数字が出たのは、

 

潜在的なファンがすでに相当数いたといっことでしょうね。

 

「痛快!第二の青春 アンパンマンとぼく』より

 

 

 

このとき、やなせ先生は七十歳。

 

先生の絵本は「ものすごい勢いで」売れるようになり、

 

幼児向けの雑誌でアンパンマンの連載を始め、

 

テレビアニメのためには毎週、原作を提供し、

 

ラフストーリーを書き、

 

「今まで別世界と思っていた幼児漫画の世界にとびこんでしまった老新人は、

 

すっかり異郷の迷路でうろたえてしまった」(Tアンパンマンの遺書』より)

 

(144~145p)

アンパンマン誕生までのこのようないきさつがあったから、

次のやなせさんの言葉が重い。

  

 

「今のままじゃあ、駄目だ。

 

はっきり言って、今の川滝さん(小手鞠るいさん)は『イマイチ』だ。

 

どんなにがんばっても、イマイチのままでは、

 

イマイチの仕事しかできない。

 

画家でも漫画家でも小説家でも作家でも、同じだよ。

 

イマイチから抜け出さないと、

 

その人はいつまで経ってもイマイチのままなんだ」

 

そのあとに先生は、何人かのアーティストの名前を挙げた。

 

私の知っている人ばかりだった。

 

「・・・・さんも、・・・・さんも、・・・・くんもね、

 

みんな、才能もあって、センスもあって、人気もそこそこあって、

 

いい仕事 をしている。

 

だけど、悲しいかな、イマイチのままなんだ。二流なんだ。

 

厳しいことを言うようだけど、川滝さんも同じだよ」

  

歯に衣着せぬ物言い。だから,私は突き刺されはしても、傷つきはしない。

  

「イマイチから抜け出すためには、どうすればいいのか。

 

これが、難しいんだよ。才能と努カと運。

 

でもそれだけじゃあ、まだ駄目なんだ。

 

それらにプラスして、あとひとつ、

 

『華』がないといけない。

 

『華』がないままでは、川滝さんは一生、二流のままで終わってしまう」

 

「華、ですか?

 

「うん。それはね,たったひとつでいいんだよ。

 

賞を取るとか、ヒット作を出すとか、

 

要は脚光を浴びるということだね。

 

作家は一度だけでいいから、スポットライトを浴びなきゃ、駄目なんだ。

 

でも、一度でいいんだよ。

 

一度だけそれがあれば、あとはなんとかなる。

 

一度もなかったら、絶対に駄目なんだ」

 

先生はそのとき、七十三歳。

 

「アンパンマン」という「華」を得るまでの苦労と苦悩に裏打ちされた、

 

それは、真実の言葉だった。

 

(166~167p)

 

 

やなせさんの弟子の小手鞠さんだから、

こんなやなせさんの言葉を聞くことができ、

こうやって文章表現できるんでしょう。

ありがたい。ここにこの文章を励ましと受け止める教師がいます。

ここで自問。お前は何をめざす。

・・・・・・

自分も「こんな教師がいたぞ」という存在感を残したい。

そのためには、今はイマイチでも、やるべきことは続けよう。

もしかしたら、その先に「華」を得るチャンスがあるかも。

いくつになっても、それを信じて毎日を過ごしていきたい。

  

続く。

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