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2018年2月18日 (日)

「21世紀脱・学校論」からの引用/インターネットの登場

 

今日は2月18日。

 

前投稿に続いて「すべての教育は『洗脳』である 21世紀の脱・学校論

(堀江貴文著/光文社新書)から引用します。

  

当たり前にやっている仕事を見直すには、いい本です。

  

どんどん引用します。

  

何のために何をするのか、どんな風にするのか、

すべてを自分で決め、自ら責任を負いながら突き進む力。

新しい時代を楽しく生きるために必須のこの能力を、

僕はシンプルに「没頭する力」と呼んでいる。

(84P)

  

没頭する対象なんて、その気になればいくらでも見つかる。

あなただってきっと、すでに出会っている。

でも、自分で自分にブレーキをかけているのだ。

「こんなの、できっこない」と。

どうしてわざわざ自分にブレーキをかけるのか?

答えは簡単だ。「学校」でそう洗脳させられたからである。

学校は、あの手この手を使って、子どもたちの欲望に

ブレーキをかけさせる。

そして、急ブレーキによって人生にエンストを起こさせるような

この介入のことを、傲慢にも「指導」などと呼んでいるのだ。

(86P)

  

自分で行き先を決め、アクセルを踏む生き方のためには、

「学び」が不可欠だ。 (中略)

僕が言う「学び」とは、没頭のことだ。

脇目もふらずに没頭し、がむしゃらに取り組める体験のすべてが

「学び」だと僕は思っている。

だから、没頭する対象は数学や英語、料理だろうと、

ダンスだろうと何でもあり得る。

すなわち、その人が心から没頭できていれば、対象は何であれ、

僕はそれを「学び」ととらえる。

(88P)

  

堀江さんは、学校や企業で行われる「お勉強」と、

「学び」は違うと言う。

「お勉強」は受動的、正解あり、カリキュラムあり、

イノベーション(革新?)の可能性なし、楽しさなし。

「学び」は能動的、正解なし、カリキュラムなし、

イノベーションの可能性あり、楽しさあり。

「お勉強」をする者たちの目的は、

「与えられた課題をこなし、大人に認められること」だけだと

断じています。

  

残念ながら学校は、こうした学びの本質を教えてくれない。

むしろ、子どもたちから没頭する機会を奪うことばかりに

力を注いでいるのが現状だ。

象徴的なのが、学校教育を覆う「オールB」思考である。

たとえば、5教科のうち1教科だけがA評価であとはE、

という生徒のことを普通の教師は褒めない。

どれだけその1教科に飛び抜けた才能があろうと、

教師は不出来だった4つの教科について彼を咎める。

国語しかできない子は、こんな風に言われるだろう。

「あなたは理系科目が弱点だから、数学や理科をもっと頑張りなさい」

これが「美術だけ」「体育だけ」になると、

教師の評価はもっと辛くなる。

主要科目以外の特技に打ち込む生徒は、

学校から見ればただの落ちこぼれでしかない。

野球に没頭すれば「野球バカ」と言われ、

化学に没頭すれば「化学バカ」と呼ばれる。

没頭している何かについての価値判断より、

できていない部分の量によって「バカ度」を測られるのが

学校という場なのである。

(93P)

これは受験を意識するかな。

将来高校受験で困らないように、

どの教科にも苦手意識をもってほしくない気持ちはあります。

「やってみたら面白いよ」「まずはやってみよう」

という気持ちがありますね。

でも、なにもかも「面倒!」「やりたくない!」という子どもが

「これって面白い」と思える教科を見つけた場合は、

しっかり応援したいです。

実際、今目の前にいる子どもがそうです。

理科が得意なんだとこの1年で思ってくれました。 

  

堀江さんは、インターネットの登場によって、

世の中が変わったと考えています。

  

G人材(グローバルな活動範囲もつ人)の最大の特徴は何か。

それは実は「所有からの解放」にある。

彼らは、「所有」に価値を置かずに生きることができるのだ。

(中略)

インターネット登場以前における「豊かな人生」の条件は、

なんといってもモノの「所有」、ストック量だった。

お金や土地、家、車など、みんなが欲しがるモノを

どれだけ多く手元に置いているか。

これが社会における絶対的なステータスであり、

人の幸福度を左右する重大事項だったのである。

こうした価値観は、今もなお多くの人々が引きずっている。(中略)

しかしインターネットの登場によって、

この価値観はすでに崩壊している。(中略)

今インターネットビジネスを「虚業だ」と鼻で笑える人はいない。

インターネットは、人とあらゆるモノ、

そしてモノ以外を繋ぐ最強のインフラとなった。

G人材とは、このことを心から理解し、

最大限に利用している人たちのことを指す。

だから彼らにとって、一番大切なのは、モノではない。

情報だ。

(60~61P)

  

情報というと、ニュースのようなものを思い浮かべる人が多い。

日経平均株価が何円上がったとか、あの企業はそろそろ

上場しそうだといった内容のものだ。

これはつまり、各種印刷物や伝聞から得られる知らせということになる。

でも、現代のおける情報の意味合いはもっと多様だ。

メールもLINEも、グーグルマップも路線情報アプリも、

すべてが情報としての価値を持つ。

こうしたツールの特徴は、「所有」しなくていい、ということだ。

お金を出して手元に常備しておかなくても、必要な時にはただ、

インターネットを通じてそれに「アクセス」するだけですむ。

ひと昔前まで、情報もまた「所有」することに価値があった。

みんなが知らない情報をたくさん持つことは権威の象徴だったし、

高等教育によって得られる知識もSの一種だったと言える。

それがインターネットの登場によって大きく変わった。

情報は、「所有すべきもの」から、「アクセスすればいいもの」へと

変化を遂げたのである。

だからG人材は、「所有」よりも、「アクセス」をベースに

自分の生活を豊かにしようとする。  

(61~62P)

  

こうした時代を象徴するアプリ「スナップショット」が紹介されました。

インスタグラムやツイッターと違って、上げたデータが最大でも

24時間で消滅してしまうというもの。驚きです。

友人相手なら、閲覧時間を10秒伊以内に設定することもできるそうです。

そんなの面白いのと思ってしまいます。  

堀江さんはこう書いています。

  

「データがすぐ消えるなんて」と戸惑うのは、

所有やアーカイブにこだわる古い世代だけだ。

ネットネイティブ世代は、「画像がすぐ消える世界」の価値を

直観的に見抜く。

(63P)

  

私は古い世代ですね。

やっぱりこのブログのように、書いたものは残しておいて、

再度見ることを前提にしています。

繰り返し読むことで、身につくと思っています。

こんなことが以前あったなと、

昔を思い出すときのきっかけにしたいとも思っています。

うわあ、「所有」「アーカイブ」派です。

堀江さんは、さらに書きます。

  

数秒で消えるなら、どんな変顔写真だろうが

お互い瞬間的にネタにして終わりにできるし、

データが残って「黒歴史」になることも避けられる。

毎日「いいね!」を稼がなければ、フォロワーを増やさなければ

というストレスもない。つまり、どこまでも気楽なのだ。

彼らにとって、余計な情報やモノは、むしろウザいゴミにすらなる。

(63P) 

  

ゴミかあ~。

データをストックするのではなく、純粋に見てその瞬間楽しむことに

注視したことで、ヒットしたアプリでした。

発想が違う。 

今はネットを使えば大抵の調べ物や勉強はできる時代。

「自分にはここが欠けている」と思ったら、

その場で瞬時に埋めることができる。

学校を順当に卒業しなければ得られない教養など、

もはや存在しない。

ならば、「好きなように生きて、わからないことがあったら

そのつど調べる」でいいのではないのか?

(101P)

 

これは大賛成。

インターネットは調べることをスピーディにしてくれて、

行動は早くなったと思います。

インターネットの普及は、それまでの価値観を変えています。

学校教育だって、もっと変わるべきだとは思います。

学校にも、企業にあるような開発部が必要だと思います。

そうでないと、民間の塾産業のほうが教材や指導方法が優れ、

学校には来ない子どもが出てきそう。

 

もう少し引用したい。続く。

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