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2018年1月 5日 (金)

瀧山寺に行きました その1 三門

今日は1月5日。

  

  

1月3日、奥さんと娘を誘って、

岡崎の瀧山寺(たきさんじ)に行きました。

ここでも道草 「瀧山寺に行きたい」「鬼まつりを見に行きたい」を後回しにしたくない(2017年12月29日投稿)

後回しにしたくないと思って出かけました。

高速道路を使わなくても1時間以内で余裕で行けました。

 

まずは瀧山寺三門に行きました。

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この案内板に三門と仁王像の説明がありました。

もう少し詳しい説明が瀧山寺HPにありました。

瀧山寺HP 瀧山寺三門(山門)

 

案内板とのずれがありました。

仁王像について。

案内板には「15世紀前半頃の作」とありますが、

HPには「門の両側に控える仁王像は運慶仏師の作だといわれており

とあります。

運慶は12世紀の中頃に生まれ、1224年(13世紀)に亡くなった人。

ずれています。

  

 

内匠(たくみ)に関する話をHPから引用します。

 

文永四年(1267年)、飛騨権守藤原光延(飛騨の内匠)が建立したもので、

三間一戸の壮大な楼門である。(中略) 

三門の大屋根にある尾垂木(おだるき)が一カ所だけ逆さになっており、

三門の完成後ある老婆が「内匠の建てしもこの違いがあるかな」

とつぶやいたのを聞き、深く恥じて三門の階上よりノミをくわえて飛び降り、

喉元を突いて自害した。

その場所に一本の椿が生え、年々美しい花が咲いたが

実を結ぶことはなかったと伝えられる。

村人はこの椿を「内匠霊花」と呼び、ここに「飛騨権守藤原光延之塚」を築いた。

現在三門の手前(西北)にあるのがそれである。

しかし当時は完全ということは満ちれば欠けるとて

何か縁起のよくないことが起こりはしないかと恐れ、

その一部を不完全にしておいたともいわれる。

 

「尾垂木」はどこの部分だろうか調べました。

わかりました。

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目立つ部分です。

どの尾垂木が逆さなのかは、確認していません。

また今度。

「飛騨権守藤原光延之塚」の写真も撮ってきました。

Rimg1628a  

 

この三門で懐かしいものを見ました。

「隅鬼(すみおに)」です。

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いい顔をしています。色もいい。

唐招提寺の隅鬼を思い出します。

ここでも道草 日帰りで奈良へ7・・・本物のすみ鬼(2010年8月11日投稿)

この時以来の隅鬼だ!

  

なぜ三門か?

3日の記事にも南禅寺三門のことを書きました。

「三門」は「山門」だと思っていましたが、「三門」です。

調べました。

Wikipediaに次のように書いてありました。

 

三門(さんもん)は、元来は門の形式で、中央の大きな門と左右の小さな門との

3門を連ねて1門としたものである

仏教寺院に用いられた結果、寺院の仏殿前の門を、形式に関わらず三門と呼ぶ。

三解脱門(さんげだつもん)とも呼ぶ。

山門とも呼ぶが、これは、寺院がもっぱら山林にあり山号を持つからという。

  

なるほど。

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