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2017年9月30日 (土)

爆撃で手足を失った女性の淋しい目

今日は9月30日。

 

次の記事の続きです。

ここでも道草 戦火をくぐりぬけたキャスターの現物を見る(2017年9月28日投稿)

8月22日にキャスターを見るために「豊川海軍工廠展」に行きました。

その時に見た他の印象的なものを記録しておきたいと思います。

 

「豊川海軍工廠展」では、絵が多く展示されていました。

それらの絵は、1945年8月7日の工廠爆撃体験者に描いてもらったものです。

体験画を収集・公開する事業は平成18年から行っています。

次世代に伝えるための事業です。

集まってきた絵が展示されていました。

それらの絵が掲載された小冊子も販売していたので、購入しました。

Epson766  

爆撃があった場所で、どのような光景があったかを伝える絵が多くありました。

その中の1枚の絵の説明が辛かったです。

  

絵の掲載はしませんが、展示会場でその絵の横に置かれた説明を

ここに書き写します。

  

(手足を失った女性)

(絵の)作者:笹原貞治(伊藤等の体験談を絵画化)

 海軍工廠養成工員だった私(話者:当時14歳)は、

爆撃の最中、走って逃げました。爆撃の影響を最小限

にするため、地を這い、身を低くして逃げました。

至近弾を受けて、腰まで埋った人に、私は足を引っ

張られたけれど、人を助けるどころではなく涙を飲んで、

足を蹴って逃れるのが精いっぱいでした。

 途中、ダルマのように手足のない姿になった人が

いました。私に助けてもらいたいのか、私と目があった

のでした。20歳くらいの女子挺身隊でしょうか。

私が年少なので無理と思ったのか、身体の状況から

自分の生死を悟られたような淋しそうな目だった

ような気がします。 

 

  

その目が思い浮かんできます。

その女性の気持ちはどのようなものだったのでしょう?

「もう死ぬんだ」と思われたくない気持ちはわかるような・・・。

この説明文はなかなか辛いものでした。

  

上の小冊子にも、この絵は掲載されていますが、

この説明文は載っていません。

展示会場で見た説明文は、こうやって残しておきたいです。

(つづく)

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