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2017年9月

2017年9月30日 (土)

今の「金屋橋」に行ってみる

今日は9月30日。

  

親戚が送ってきてくれたマツタケ。

今晩はマツタケご飯でした。

そうなると、とっておきの1本。

最後の「秋味」を出してきて飲みました。

今年は24本買って飲んでいましたが、いよいよ最後の1本。

まだ店頭では「秋味」を売っていますが、まあこれぐらいで。

9月の最後の日に飲むのも、切りがついていいです。

  

 

前投稿の続き。

豊川海軍工廠を爆撃した爆撃機に乗っていたカメラマンの撮影した写真を

いくつか紹介してきました。

その中で、「金屋橋」「金屋小学校」付近が写ったものがありました。

 

今日、出かけた時に今の現場に行ってきました。

  

Rimg0800

Rimg0800a  

よく通る橋でしたが、橋の名前はしっかり見ていませんでした。

確かに「かなやばし(金屋橋)」でした。

 

橋のたもとから金屋小学校方面を撮影。

Rimg0801  

おっと、金屋小学校の校舎が写らない。

そうだここには歩道橋があったんだ。

その歩道橋に駆け上がって撮影しました。

 

Rimg0802

金谷橋の全体像です。

写真の右上にあるのが、金屋小学校の校舎。

もっと言えば、この写真の上の方が全て豊川海軍工廠があった場所です。

そこから猛烈な爆煙が上がっていました。

  

今一度、カメラを右から左に向けて撮影します。

Rimg0805

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Rimg0807  

どこからも爆煙は上がらず、秋の空です。

平和です。

  

 

爆撃機に同乗していたカメラマンが撮った写真

 

今日は9月30日。

  

前投稿の続きで、8月22日に行った

「豊川海軍工廠展」で見たことを書いていきます。

  

米軍が撮影した豊川空襲ということで、

爆撃機に同乗していたカメラマンが撮った写真が展示されていました。

昨年も展示されていたそうですが、昨年は見に行っていません。

昨年のパンフレットをいただきました。

豊川市桜ヶ丘ミュージアム制作のパンフレットです。

Epson767  

展示され、このパンフレットにも掲載された写真の一部を

ここに載せていきます。

 

 

Epson767a

↑パンフレットの表紙になった写真です。

アメリカ軍が、海軍工廠を空襲したのは1945年8月7日の

午前10時13分から午前10時39までの26分間。

その短時間に、3256発の500ポンド爆弾(250キロ級爆弾)が

投下されました。

この写真の場所は、海軍工廠ではありません。どこか?

写真の説明には「(豊川市)上佐脇の大池揚水舎付近」とあります。

今の地図(Yahoo!地図)で探ってみました。

ヒントは川の流れ。

見つけました。

現在豊川市御津町上佐脇という場所です。

Photo_5  

地図の左下に海があります。

爆撃機はそちらから侵入してきて、海軍工廠をめざしました。

地図の一部を切り取って、上の写真と同じ向きにしてみます。

2_2  

川の流れとか、道路が一致するのがわかると思います。

ほぼ確定した爆弾が落ちた場所。

今はどうなっているのか。見に行きたくなりました。

 

   

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この写真が辛い写真です。

爆弾によってすでに海軍工廠は爆弾を受けて炎上。

爆煙が立ち上っています。

この爆煙の下ではすでに多くの悲劇が起こっています。

そう思うと、辛い写真です。

爆撃機に乗った軍人はどう思って見たのでしょうか?

  

  

Epson769b

Epson769

「姫街道の金屋橋」「金屋小学校」の位置を探ります。

Yahoo!地図を利用します。

Photo_6  

上の写真と同じ向きにしてみます。

2_3  

金屋小学校は直撃を受けた場所だったのですね。

ちなみに金屋小学校の開校は1976年なので、

空襲があった時には、ここには小学校はありませんでした。

金屋橋はよく通る場所。

かつてこのようなことがあった場所だと思って、

今度は通過したい。

  

  

Epson769e

  

Epson769c

その爆弾が落ちる場所には、人間がいるんですよ。

逃げ惑う人たちが。

 

 

爆撃で手足を失った女性の淋しい目

今日は9月30日。

 

次の記事の続きです。

ここでも道草 戦火をくぐりぬけたキャスターの現物を見る(2017年9月28日投稿)

8月22日にキャスターを見るために「豊川海軍工廠展」に行きました。

その時に見た他の印象的なものを記録しておきたいと思います。

 

「豊川海軍工廠展」では、絵が多く展示されていました。

それらの絵は、1945年8月7日の工廠爆撃体験者に描いてもらったものです。

体験画を収集・公開する事業は平成18年から行っています。

次世代に伝えるための事業です。

集まってきた絵が展示されていました。

それらの絵が掲載された小冊子も販売していたので、購入しました。

Epson766  

爆撃があった場所で、どのような光景があったかを伝える絵が多くありました。

その中の1枚の絵の説明が辛かったです。

  

絵の掲載はしませんが、展示会場でその絵の横に置かれた説明を

ここに書き写します。

  

(手足を失った女性)

(絵の)作者:笹原貞治(伊藤等の体験談を絵画化)

 海軍工廠養成工員だった私(話者:当時14歳)は、

爆撃の最中、走って逃げました。爆撃の影響を最小限

にするため、地を這い、身を低くして逃げました。

至近弾を受けて、腰まで埋った人に、私は足を引っ

張られたけれど、人を助けるどころではなく涙を飲んで、

足を蹴って逃れるのが精いっぱいでした。

 途中、ダルマのように手足のない姿になった人が

いました。私に助けてもらいたいのか、私と目があった

のでした。20歳くらいの女子挺身隊でしょうか。

私が年少なので無理と思ったのか、身体の状況から

自分の生死を悟られたような淋しそうな目だった

ような気がします。 

 

  

その目が思い浮かんできます。

その女性の気持ちはどのようなものだったのでしょう?

「もう死ぬんだ」と思われたくない気持ちはわかるような・・・。

この説明文はなかなか辛いものでした。

  

上の小冊子にも、この絵は掲載されていますが、

この説明文は載っていません。

展示会場で見た説明文は、こうやって残しておきたいです。

(つづく)

コメント「西寺跡では、ないでしょうか?」が届く

 

今日は9月30日。

2017年の9月最終日。

  

昨晩届いたコメントがうれしかったです。  

この記事にコメントが届きました↓  

ここでも道草 2017年「遺留捜査」最終回のロケ地 拝殿のある神社がわかった!(2017年9月17日投稿)

  

投稿者名のない、たった一言のコメントです。

 

西寺跡では、ないでしょうか?

  

この記事では、次の写真のロケ地がどこなのか尋ねていました

(9月14日放映「遺留捜査」より)

Photo_4

2  

この場所が「西寺跡では、ないでしょうか?」と教えてくれたのです。

全く手がかりがなかったので、とってもうれしいことでした。

さっそく調べました。

  

次のサイトに載っていた写真が決定的でした。

4travel.jp 京都のB級でマイナーな観光地めぐり1005「西寺跡」~京都~

500_19288515

500_19288516 

あの石碑には「史蹟 西寺阯」とありました。

ドラマでは読み切れなかった石碑にはこう書いてあったのですね。

すごくスッキリしました。

  

京都でかつて東寺と対で造られた西寺の勉強もできました。

何処か遠くへ 「西寺跡」

京都のITベンチャーで働く女の写真日記 西寺跡

京都トリビア × Trivia in Kyoto 西寺は存在した! ~何故、東寺は栄え、西寺は衰退したのか

 

yahoo!地図で場所を確認します。

Photo

Photo_2

Photo_3  

あの大きな木も写っています。

 

いつかは行って見たいと思っていた東寺に行く機会があったら、

セットでこの西寺跡にも行きたいですね。

また行きたい場所が増えました。

  

たった一言のコメントで、楽しいひと時を過ごせました。

2017年9月28日 (木)

戦火をくぐりぬけたキャスターの現物を見る

今日は9月28日。

  

Epson775

 

きっかけは、この↑説明です。

これは「ガイドブック 豊川海軍工廠

ー身近にあった戦争を知るためにー

(編集発行 豊川市平和都市推進協議会)の一部です。

2017年の1月に出会った資料です。

このキャスターを、見たくなるじゃありませんか。

   

そんな話を、同僚の先生にしたことがありました。

  

そしたら、その先生が、

キャスターを所蔵している桜ケヶ丘ミュージアムに行った時に、

「キャスターを見たい先生がいる」と職員に話をしてくれました。

そしたら、夏に毎年開催される「豊川海軍工廠展」でキャスターを

出品してくれることになりました。

  

ありがたいことです。

  

そして8月22日。

桜ヶ丘ミュージアムで開催されていた「豊川海軍工廠展」に行ってきました。

約束通り、キャスターが展示されていました。

その写真です。

 

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Rimg0556  

錨の意匠(いしょう/デザイン)を何枚か撮ってみました。

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Rimg0563  

やっぱりこの錨の意匠が魅力的でした。

  

キャスターがあったと思われる豊川海軍共済病院について、

工廠展に次のような説明がありました。

Rimg0555  

海軍工廠のすぐ南隣にあり、海軍工廠の医務部とは廊下で直結していました。

1945年の空襲では直撃を受け、多くの犠牲者を出したそうです。

その豊川海軍共済病院にあったと思われるキャスター。

戦火を運よく切り抜けて、平成25年まで現役だったことにビックリ。

願ったことが、間に人が入って、幸いにも現物を見ることができました。

やはり、願いは、周囲の人に伝えておいたほうがいいと思いました。

2017年9月26日 (火)

20170902報告その12.キミヤーズの「考える」

  

今日は9月26日。

 

前投稿に引き続いて、キミヤーズ塾で勉強したことを書いていきます。

こうやって勉強したことをもう一度咀嚼して、

ここに書くことで、自分の血や肉に少しでもなってほしいと思います。

しかし、もう第12回。9月2日はいい体験・勉強ができた日でした。

いよいよ今回が最終回(の予定)。

 

〇今回のキミヤーズ塾のテーマはこれ↓

 「考えることを楽しむ:コミュニケーションの巻

 赤木和重先生はこう書いています。引用します。

 

 キミヤーズの魅力とは(その2)

 ・「考える」ことを大事に。「できる」ことよりも。

 ・でも、多くの先生は、「考えさせている」と思っている。(かもしれない)

 ・でもでも、キミヤーズの「考える」と、

  一般的な(特別支援)教育の「考える」とは違うような・・・・

 

 「考える」の中身が違う

 ・閉じていく「考える」(収束的思考)

  論理的に唯一の適切な解答や解決に収束(集中)させる思考

  IQを出す知能検査が測定しているのはこちらの思考 

  (例:表情理解/大小比較/単語の意味/了解課題)

 ・開いていく「考える」(拡散的思考)

  創造的思考の1つ。必ずしも論理的にではなく、

  広げてさまざまな解決の可能性を練る思考。

  ・知能検査では、測定しにくい。

   

※そしてキミヤーズは「拡散的思考」を目指しています。  

〇赤木先生の記述をさらに引用します。

 赤木先生はキミヤーズ、村上先生の考え方を解説してくれてありがたいです。

  

 でも・・・普通に考えれば無理

 ・障害のある子ども、とくに、自閉症(ASD)の子どもは、

  拡散的思考は難しい気もする。

 ・理由:同一性保持 パターンを崩すのが難しい。

 ・だからこそ、「あいまいなことを教えてはダメ」「人によって対応が違えば混乱する」

  「マッチング的に1対1対応で」という助言も多いはず。

 ・創作熟語もたぶんうまくいかないはず(指導したとおりにしてしまう)

  

 ・しかし、キミヤーズで育った子どもは、めちゃ拡散思考しまくり。 なんで?  

  

 拡散的思考を創発させるものはなにか?

 ・リアリティのある知識や生活 

  創造性は「無」からは生まれない。豊かな経験が基礎になる(ヴィゴツキー)

 ・創造的つながり

  創造性は、個人の「内部」からは生まれない。

  新たなかかわりのなかで生まれてくる。

 【例】創作熟語(自分でつくってわからないのに問題を出す)

  

目の前の子どもたちは、集団の中で、自分は正しいことを言えるだろうか、

また間違えてしまうのでないかと恐れています。

周りの人たちが、発表した時に自分を馬鹿にせず、

受け入れてくれることを期待しています。

それなのに、聞く側になると厳しいことを言ってしまいます。

それではますます発表することを嫌うし、

なにか新しいことを生み出して、みんなに伝えようとは思わなくなってしまいます。

黙って過ごそうと思います。

自分が何を考えているか誤解されないように、表情を隠そうとします。

  

今回のキミヤーズ塾で村上公也先生が、

予定せずに(?)数分話してくれた思い出話が印象に残ります。

参考:ここでも道草 20170902報告その6.(2017年9月9日投稿)

村上先生の教育の原点を垣間見た思いでした。 

  

  

今回のキミヤーズ塾では初めてのラウンドテーブルで

参加者の前で自分の体験・実践を話すことをしました。

この「ここでも道草」を紹介できました。

何人かの人が「ブログを見ますね」と言ってくれました。

見てくれてるかな?

私はこうやってまとめましたが、

同じキミヤーズ塾に参加した人たちはどうでしたか?

コメント欄を通して、そんなやりとりができたらいいなと思います。 

今のところ、参加者でコメントを送ってくれたのは赤木先生のみ。

次の人が楽しみです。 

   

以上で「20170902報告」完了。

村上先生にお礼のメールを今頃送ろうと思います。

20170902報告その11.そもそも、行きづらい(生きづらい)学校こそが、元凶

  

今日は9月26日。

  

19日の記事の続きで、9月2日の報告を書いていきます。

  

赤木和重先生の話、要項より。

〇9月1日に自殺者が多い。

 長期の休み明け、子どもの自殺が増える傾向

 要項より引用。

 

 「9月1日」は毎日ある

 ・9月1日「(死ぬくらいなら)学校に行かなくてもよい。

 ・とても大事

 ・でも・・・「9月1日」だけの問題ではない。

 ・1)行きづらさは、続く。根本的解決にならない。

 ・2)そもそも、行きづらい(生きづらい)学校こそが、元凶。

 どこに原因がある?

 (中略)

 「日本の学校は、できなことをできるようにさせる。だからそれがつらい子が出てくる

  

※「できなかったことができるようになる」

 このことに疑問をもたなかったが、簡単にいかない子どもの存在があり、

 日本の教育のやり方だと、そのような子どもが目立ってしまう現在。

 本当にそれでいいのか?

 特別支援学級担任になり、キミヤーズ塾に通い、赤木先生の本を読み、

 その点が最近ぐんぐん疑問に思えます。

  

〇赤木先生の要項より引用

 

 キミヤーズ

 ・「できないことをできるようにする」=直接的能力向上教育

 ・「楽しむ(その副産物としてのびる)」=今こそ充実教育

※この考え方は、村上先生に出会った最初の講座(2013年11月24日)の

冒頭で言っていたこと。

ここでも道草 11月24日の講座/「嫌なことを我慢する力」は×(2013年11月30日投稿)

この時に聞き取った村上先生の言葉をここに再引用します。

  

〇(中略)村上先生の発言

 「授業は、将来のための我慢の練習ではないのです。

 今が大事で、今を幸福にするために教育はあると思います。

 その教育の副産物として、あるいは副作用みたいなものとして、

 知識、技能が身につき、魅力ある人格が形成され、

 その結果として、それが将来につながるわけです。

 成果ばかり追求するのは愚かなことです。

 生きる力の育成というのは嫌なことを我慢する力でも、

 何かができるようになる技術の習得でもない。

 生きていて楽しいと思える子どもたちに育てることです。」

〇副作用を目標にする人はいないと村上先生。

 知識い技能を身につけさせるのは副作用との発言。

※村上先生はぶれていません。

何度もこの考えに触れて、私の中にだいぶ染みてきているとは思います。

しかし、それまでの前提を崩すことでもあるので、

すぐには入ってこない考えでした。でも・・いい考えだと即思いました。

 

〇赤木先生は「キミヤーズの魅力とは(その1)」として

 次のように書いてます。

 ・「笑顔」=楽しむ(に徹底的にこだわること)

 ・多くの先生は「できる」「ちゃんとする」ことにこだわっている(ように見える)

 ・もちろん、どちらも大事だし、両立しうるかもしれない。

  しかし、どちらが軸なのかで、全てが変わる(例:料理店)

 

※「料理店」は「注文をまちがえる料理店」をさすのでしょう。

確かにあの料理店は「笑顔」重視。その結果の副産物は多そうです。

しかし、それをカリキュラムが決まっている教育活動でどう応用する?

  

〇赤木先生がキミヤーズのような「楽しむ」こと重視のやり方と

「(1人で)できる」こと重視のやり方の比較表を作成していました。

比較することでキミヤーズのやり方が認識されます。

大事な表です。転載します。

Epson774

  

     

(つづく)

のどの痛み解消/家にいたルリタテハ幼虫、ヤモリ

  

今日は9月26日。

  

病院でもらった薬は効果あり。

前投稿で書いた飲食をした時ののど痛は解消されました。

のど痛を気にせずに飲食できる幸せを感じました。

幸せは当たり前の中に潜んでいます。

きっとたくさん。

  

  

病院に行く前には、久々こんなのも飲みました。

滅多に飲まないので、この記録を残しておきたいと思いました。

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1000円近くしました。

けっこう高価です。

粘っこい液体でした。少しずつお腹に入っていく感じ。

味も強かったです。そんな特徴が、効きそうだと思わせてくれました。

  

  

我が家の裏口付近にホトトギスが毎年葉を繁らせます。

そこに発生するのがルリタテハの幼虫。

よく食べます。

現在ほぼ葉っぱは全滅。すごい食欲。

写真はそうなる前のもの↓ 9月18日撮影。

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ルリタテハの幼虫は、2008年の記事にも出てきます。

※参考:ここでも道草 ルリタテハの飼育開始(2008年10月4日投稿)

↑この時は、裏口付近のホトトギスについた幼虫を学校に持って行き

飼育をしています。

懲りずに発生して葉を食べられているホトトギスに感心します。

 

  

 

風呂場の脱衣場でヤモリを見かけました。

9月19日撮影。 

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ヤモリを見かける瞬間は、いつもハッとさせられます。

出会いは予想外です。

そのハッとさせられた構図で写真を撮りたいのですが、

カメラを撮ってくる間に移動していたり、

姿を消していることが多かったです。

今回も移動していました。でもまだいたので、撮影。    

 

飼育下であれば15年以上は生きるヤモリ。

まだまだ若そうな小さなヤモリでした。

また会おう。 

2017年9月23日 (土)

「明日も」のヒーローは誰だろう?

 

今日は9月23日。

  

火曜日ぐらいから体調不良。

何か食べたり飲んだりすると、のどが痛い。

いつも行っている病院が水・木も休みなので、

やっと昨晩、病院に行って診てもらい、薬をもらってきました。

これで落ち着くかな?

明日から修学旅行の引率なので、間に合わせたいです。

しかし、のどが痛いというのは辛いことです。

毎週金曜日には、ビールを2缶飲んでいたのに、飲めず。

好物の竜田揚げも残しました。

そんな様子を見て、家族も、痛みが深刻なのだとわかってくれました。

のどの痛みがあると、飲食に積極的になることができず、

生きていく力が減少していきそうです。

  

  

さて、また1週間が終了。

生活のBGMで聞いているSHISHAMOのアルバム「SHISHAMO4」

参考:ここでも道草 今まで知らなかった「ししゃも/SHISYAMO」(2017年9月12日投稿)

このアルバムからのチョイス↓


YouTube: SHISHAMO「明日も」

 

この曲「明日も」の歌詞の一部です。

 

月火水木金 働いた

ダメでも 毎日頑張るしかなくて

だけど金曜日が終われば大丈夫

週末は僕のヒーローに会いに行く

(中略)

良いことばかりじゃないからさ

痛くて泣きたい時もある

そんな時にいつも

誰よりも早く立ち上がるヒーローに会いたくて

痛いけど走った 苦しいけど走った

報われるかなんて 分からないけど

とりあえずまだ 僕は折れない

ヒーローに自分重ねて

明日も  

  

このヒーローって誰?

SHISHAMOはその疑問に答えてくれません。

ヒーローは、一人一人違うと言うことでしょう。

私にとっては誰だろう?

  

良いことばかりじゃないからさ

痛くて泣きたい時もある

そんな時にいつも

誰よりも早く立ち上がるヒーローに会いたくて

痛いけど走った 苦しいけど走った

報われるかなんて 分からないけど

とりあえずまだ 僕は折れない

ヒーローに自分重ねて

明日も

仕事も 恋も 勉強も

一つも手抜きはできないな

明日の自分のためだと思えば良い

泣くのは別に悪いことじゃない

昨日の自分を褒めながら

今日をひたすらに走ればいい

走り方はまた教えてくれる

ヒーローに自分重ねて

明日も

 

この土日に聴くといい曲なのかと思います。

今回参考にしたサイト↓

ロッキンライフ SHISHAMO「明日も」の歌詞の意味は?解釈と考察!

  

土日に聴くといいといいながら、今日から生活のBGMを変えます。

  

  

高橋優

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ゆず

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この2枚を聴き込みます。

  

  

2017年9月19日 (火)

20170902報告その10.「注文をまちがえる料理店」その2

 

今日は9月19日。

  

前投稿に引き続き、9月2日のキミヤーズ塾の報告をしています。

ちょっと道草して「注文をまちがえる料理店」について書いています。

次のサイトが勉強になりました。

  

※Forbes Japan 「注文をまちがえる料理店」のこれまでとこれから

 

「料理店」の発起人、小国士朗さんの話です。 

一部引用します。

  

そもそも「注文をまちがえる料理店」ってなんだよ、

というところからお話したいのですが、これは一言でいうと

「注文を取るスタッフが、みんな“認知症”のレストラン」です。

認知症の人が注文を取りにくるから、ひょっとしたら注文を間違えちゃうかもしれない。

だから、あなたが頼んだ料理が来るかどうかはわかりません。

でも、そんな間違いを受け入れて、間違えることをむしろ楽しんじゃおうよ、

というのがこの料理店のコンセプトです。

  

なんでまたテレビ局のディレクターである僕が、

そんなヘンテコな料理店を作ろうと思ったのか。

それは今から5年前に、ある「間違い」を体験したのがきっかけでした。

  
当時「プロフェッショナル仕事の流儀」という番組のディレクターだった僕は、
 
認知症介護のプロフェッショナル、
 
和田行男さんのグループホームを取材していました。
 
和田さんは「認知症になっても、最期まで自分らしく生きていく姿を支える」ことを
 
信条にした介護を30年にわたって行ってきた、この世界のパイオニア。
 
和田さんのグループホームで生活する認知症の方々は、
 
買い物も料理も掃除も洗濯も、自分ができることはすべてやります。

  
  
僕はロケの合間に、おじいさん、おばあさんの作る料理を
 
何度かごちそうになっていたのですが、
 
その日の食事は強烈な違和感とともに始まろうとしていました。
 
というのも、僕が聞いていたその日の献立は、ハンバーグ。
 
でも、食卓に並んでいるのはどう見ても、餃子です。
 
ひき肉しかあってない……けどいいんだっけ?

 
 
「あれ、今日はハンバーグでしたよね?」という言葉が
 
のど元までこみ上げたのですが、うっと踏みとどまりました。
 
「これ、間違いですよね?」。その一言によって、和田さんたちとおじいさん、
 
おばあさんたちが築いているこの“当たり前”の暮らしが台無しになっちゃう気がしたんです。

ハンバーグが餃子になったって、別にいいんですよ。
 
誰も困らない。おいしけりゃなんだっていいんです。
 
それなのに「こうじゃなきゃいけない」という“鋳型”に
 
認知症の方々をはめ込もうとすればするほど、どんどん介護の現場は窮屈になっていって、
 
それこそ従来型の介護といわれる「拘束」と「閉じ込め」につながっていくのかもしれない。

  
  
そういう介護の世界を変えようと日々闘っている
 
プロフェッショナルを取材しているはずの僕が、
 
ハンバーグと餃子を間違えたくらいのことになぜこだわっているんだ、
 
とものすごく恥ずかしくなった瞬間、
 
「注文をまちがえる料理店」というワードがぱっと浮かんだんです。

   

※この名前が浮かんだときはうれしかっただろうなあ。

こういう体験は大好きです。

  

おっ、これはいいかもしれない。頭の中に映像がぱーっと駆けめぐりました。

僕はお客さんで、ハンバーグを注文する。

でも、実際に出てきたのは餃子。

最初から「注文を間違える」と言われているから、間違われても嫌じゃない。

いや、むしろ嬉しくなっちゃうかもしれない。これはかなり面白いぞ。

  

そしてなにより、「間違えちゃったけど、ま、いっか」。

認知症の人も、そうでない人もみんながそう言いあえるだけで、

少しだけホッとした空気が流れ始める気がする……  

  

  

僕はこれまで数多くの社会課題を取材してきましたが、

その中で一つ思っていたことがあります。

それは「社会課題は、社会受容の問題であることも多い」ということです。

もちろん社会課題解決のためには法律や制度を変えることが

重要なのは当たり前です。

でも、僕たちがほんのちょっと寛容であるだけで解決する問題も

たくさんあるんじゃないかなぁとも思っていました。

例えば、電車に乗せるベビーカーにキレたり、同性婚の是非みたいな議論などは、

社会の受容度、寛容度が高ければ解決することも多いように思います。

  

「注文をまちがえる料理店」も同じ発想です。

当たり前ですが、この料理店で認知症の様々な問題が解決するわけじゃありません。

でも、間違えることを受け入れて、間違えることを一緒に楽しむ。

そんな新しい価値観をこの料理店から発信できたら。

そう思ったらなんだか無性にワクワクしたんですよね。

  

ワクワクをあたため続けて5年。去年11月から、本格的に仲間集めを始めました。

「注文をまちがえる料理店ってのをやりたいんですけど・・・」と話して回ったら、

わずか2か月あまりで、デザインやPR、デジタル発信やクラウドファンディング、

民放の記者や雑誌の編集者、そして外食サービスや認知症介護の和田さん…

各分野の最高のプロフェッショナルたちが集まり、実行委員会が発足しました。

   

発足してすぐに出来たのが、注文をまちがえる料理店のロゴマークでした。

海外の賞を多数獲っている天才デザイナーが考えてくれました。

ちょ、ちょっと待って、なんなのこのかわいさ。

“てへぺろ”に、注文をまちがえるの“る”が横になっているこの感じ。

37歳のおっさん(僕)が気持ち悪いですが、胸のキュンキュンがとまりませんでした。

326bc1c239bac476d530d61b7d4ecb73 https://forbesjapan.com/articles/detail/16640

   

どんどん引用したいのですが、ここまで。

世の中、不寛容社会と言われ、

昨年6月放映の「NHKスペシャル 私たちのこれから #不寛容社会」は

ショックを受けた番組でした。

そんな時代に次の提案はホッとします。

「僕たちがほんのちょっと寛容であるだけで解決する問題も

たくさんあるんじゃないかなぁ」

 

この文章の筆者は小国士朗さん。

その小国さんが次のサイトで語った言葉が強く印象に残りました。

※日経ビジネス ON LINE NHK開発推進ディレクター 小国士朗さんに聞く  

Photo  

小国:1.5chは、見逃した番組のおいしいところを

  キャッチアップできるのがいいところで、

  予告編とはまた違った役割を担っています。
 

  そもそもは、ずっともったいないなあと思っていたんです。

  いい番組がたくさんあるのに、ちゃんと皆さんに届けられていないことが。

  

この発想!

私もずっと思っていました。

せっかくいい番組が毎日放映されているのに、

見ないで、あるいはそんな番組の存在も知らずに、

番組が消えていくのが、すごくもったいないと思っていました。

 

だからせっせと録画してきました。最初は1988年だったか?

約30年。録画した番組は、

タイトルなどで検索できるように一覧表を作ってきました。

最新の表の一部です↓

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1万を突破しました。

書庫にある1万以上の番組。

どう利用する?

  

  

小国士朗さんのやることは気になります。

最近の写真

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楽餓鬼

今日はにゃんの日

いま ここ 浜松

がん治療で悩むあなたに贈る言葉