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2017年3月

2017年3月31日 (金)

「認知的不協和」解消のためなら、妄想をつくり出す脳

  

今日は3月31日。

  

前投稿に引き続き、

2月4日放映の「世界一受けたい授業 男性脳と女性脳の違い」より。

  

年を取ると切れやすくなるのは男性?女性?

  

正解は男性。その理由は・・・

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脳の部位の中で、怒りの感情を抑える前頭前野の老化が早いからです。

気をつけよう。

前頭前野は老化させたくないね。

  

  

次の問題。

男女でけんかした時に、相手を無視するのは男性?女性?

  

正解は男性。なぜか・・・

脳の中で言語・コミュニケーションをつかさどるのが

上側頭溝(じょうそくとうこう)。

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男女で比較すると、この上側頭溝が発達しているのが女性。

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したがって次のような状態になりやすいそうです↓

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脳の機能は、しっかり現象として表れているのですね。

  

  

次の場合は、男女の比較ではありません。

  

ブラック企業。

そんな会社辞めてしまえばいいのにと、

傍(はた)から見ていると思いますが、

脳がだまされているのです。

  

次のような実験が行われました。

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Aグループ8人、Bグループ8人。

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全員、1時間、ひたすら輪ゴムを長くつなげる作業が課せられました。

その後、報酬が与えられました。

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その後のアンケートによると、次のような結果になりました。

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報酬が少ない方の6人が「楽しかった」と答えたのです。

不思議です。

なぜか?

Aグループの人たちの頭の中には2つの思いがあります。

・とても退屈で大変な作業だった

・でも作業に見合った報酬がもらえた

こうしてAグループの人は納得し、特に悩むことなく、

「退屈な作業だった」と素直な感想が出てきたのです。

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それに対してBグループ。

やはり2つの思いがあります。

・とても退屈で大変な作業だった

・それなのに報酬が少なすぎる

これでは納得できないのです。

この2つの矛盾した思いのある状態を「認知的不協和」と言うそうです。

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このような場合、何とか自分を納得させようと、

脳はどちらかの考えを変えてしまうのです。

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とても退屈で大変だったけど・・・・・楽しかったかもしれない。

だから少ない報酬でも・・・・・満足!

こんなふうに脳が勝手に妄想を作り出してしまうのです。

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ブラック企業の社員の場合、

・給料が安くて休みもない

・でも自分で選んだ仕事

この「認知的不協和」解消のため、考えが変わってしまう。

やりがいがあって楽しい!

だからブラック企業を辞められないのです。

  

  

「認知的不協和」状態って恐ろしいと思いました。

知らず知らず変な方向に向かっている自分はいないか、

チェックが必要です。

  

この番組でいい勉強ができました。

くよくよするのは「コルチゾール」のせいなのか!

  

今日は3月31日。

  

2月4日放映の「世界一受けたい授業 男性脳と女性脳の違い」より。

  

講師は中野信子先生。

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脳には個人差があるが、平均的にみると

男女の脳にはこんな違いがある、

その一般的傾向を紹介してくれました。

  

いきなり問題です。

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脳科学的に心配性なのは男性?女性?

正解は女性です。

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その理由は・・

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精神を安定させ、幸福感をもたらす脳内ホルモン「セロトニン」の

分泌量が女性の方が少なく、心配性になりやすいとのこと。

なので、旅行の時にいろいろ心配して荷物が多くなるのが女性。

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トラブルが起きた時、ストレスに弱いのは男性。

例えば上司に怒られた後・・・・

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いつまでも落ち込んでいるのは男性。

一方、女性はすぐに気持ちを切り替えることができます。

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なぜか?

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ストレスを感じた時にでるストレスホルモン「コルチゾール」が、

男性の方が多く分泌されるためだそうです。

「コルチゾール」が多いと・・・

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不安や緊張が高まるのです。

男性はいざという時に気持ちが切り替えにくいためか・・・

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昨年!の自殺者数も、女性の約2.2倍。

  

  

くよくよするタイプだと自認している私。

その気持ちを左右しているのがホルモンだったのです。

性格と言われているものは、

ホルモンの分泌量との関連が大きいようです。

  

う~ん、「コルチゾール」の分泌を抑えたい。

「コルチゾール」「減らす」で検索すると、ヒットします。

いろいろ読んでみました。

 

〇ビタミンCを摂る。

〇DHAを摂る。魚を食べる。

〇日光を浴びる時間を増やす。

〇コーヒーを飲みすぎない。

 カフェインはコルチゾールの分泌を増やす! 

 

さらに次のサイトではハーブドリンクを飲むことを勧めています。

セロトニンを増やす方法!|不眠、うつ治療ガイド

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「モリンダ」というハーブが入ったドリンク。

今まで聞いたことも見たこともないドリンクです。

手に入るの?

  

調べたら、手に入りそうだけど、少々値が高い。

躊躇しています。

とりあえず日光を浴びよう。

  

(つづく)

 

「バリバラ」はどうやって生まれたか?

 

今日は3月31日。

1月は行く、2月は逃げる、3月は去る。

今日で、その3か月が終わります。

いろいろありましたね。忙しかった。

でも短く感じちゃう。

やはり1年は4月からスタートであって、

1~3月は前年の残り?のイメージがあるためかな。

まあ、今日もいろいろやって、新年度を迎えたいです。

  

NHKEテレの番組「バリバラ

最近では昨年12月11日放映の

バリバラ 突撃!障害者殺傷事件」を見ました。

昨年の7月26日、神奈川県相模原市で起こった

大量殺人事件に迫っていました。

内容についてはここ↓

バリバラHP 突撃!障害者殺傷事件  

ずっと関心を持っていた事件でしたが、

別の角度から迫っており、新鮮でした。

「容疑者の考えに賛成するところもある」という投稿者のもとに

障害者がレポータとして取材に行く場面が特に印象に残りました。

2人の対話は充実したものであり、その様子を見たゲストが、

投稿者はいい加減に書いてきたものだと思いきや、

その人はその人でまじめに書いてきていたんだと気がついていました。

  

この「バリバラ」について、いいニュースが配信されていました。

これです↓

Yahoo!ニュース 日本一攻めているバラエティ「バリバラ」はどうやって生まれたのか?

「文春オンライン」というのが配信元だと思います。

このようにスタートしています↓

Photo  

「バリバラ」がどうスタートしたか書かれていました。

このニュースはいずれ消えてしまうでしょう。

引用してここに残しておきたいです。

一部引用していきます。いや、ほとんどかな。省略ができない。

  

福祉番組の「感動ポルノ」的な作りを脱出したかった

 日比野は最初、耳を疑ったという。大阪放送局の制作部長(当時)の泉谷八千代にこう言われたのだ。
「『きらっといきる』をどうやって終わらせるか考えときや」
 泉谷は『バリバラ』の前身の福祉番組『きらっといきる』を立ち上げた張本人だった。日比野はもともとNHKに入局して5年ほどは『あすの福祉』などの福祉番組を制作していたが、その後「美術系の番組をやりたい」と希望し、東京で約10年、美術番組を手がけ「幸せな」日々を送っていた。
 だが、2009年、突然日比野は大阪に呼び戻され『きらっといきる』のプロデューサーに就任したのだ。
 番組は改革しようともがいていた。
 MCに若者向けラジオDJの山本シュウと、自立生活センター職員で自身も脳性麻痺の障害のある玉木幸則を迎え、より障害者の現実に即したリアリティのあるものに変えようと意気込んでいた。しかし、なかなか突破口が見つからなかった。
「山本シュウさんと玉木幸則さんは必死になって『俺たちは福祉番組を変えるために来たんだ!』という意気込みはあるんだけれど、周りが付いていけてない。番組って、やっぱりそれに合ったデザインが必要じゃないですか。それがうまくいっていなかった。例えばナレーション1つ取っても、当時はしっとりした声のアナウンサーの方にやってもらっていたんですけど、そうするとそれこそ『感動ポルノ』的な作りになっちゃうわけです。音楽もそう。そういう作りの中で、切り込み方を変えても、印象は今までと変わらない。
 収録前の打ち合わせでインサートVTRを見てもらうと、MCからは『またこんな感じなの?』って大体言われるわけです。僕たちだって取材段階では取材先の障害者に悩みや困っていることを聞くんです。けど、カメラ回したら、取材対象はがんばっちゃうんです。悩んでいるところじゃなくて、がんばってるところを見せたくなる。だって、テレビカメラの前で主人公になれるなんて、一生に1回あるかないかじゃないですか。誰だってがんばっちゃいますよ。大変でくたばっているところとか、怠けているところは本人は見せたくないわけですよ。
『きらっといきる』はどちらかというと、障害者が施設から街に出て、地域で暮らそうという時代の流れの中で、『こんな人たちがいますよ』と紹介していく番組だったんです。最初の立ち上がりはよかったんだけど、もう10年も経って、街のバリアフリーもそこそこ法律で整備された中で、『あれっ、もう10年たっても同じことやってていいんだっけ』というのに気づき始めた。でも、どう変えていいか分からない。『きらっといきる』の延長でやっている限りにおいては変わらないなあ、と」

障害者同士が本気で笑いを取りに行く姿に出会う

 障害者の多くは、「自分の障害が原因で困難なことは、自分で乗り越えていかなければならない」と社会に思い込まされている、と日比野は言う。
 だが、本来問題があるのはその障害に対応していない社会のほうだ。そうした問題を訴え続けていたのが玉木が勤めていた自立生活センターだ。
「ディレクターたちが、自立生活センターに行くと障害者がわんさかいて、結構元気のいい人たちがいるんです。それこそ自分の主張をちゃんと自分の言葉で言える人たちがいて、『笑っていいかも!?』(『バリバラ』レギュラー化前に放送された特番)でやったような大運動会を実際に普段から毎年1回やっているんだという話が出てくるんです。
『究極のハンデ戦』といって、一番障害の程度が低い人は50メートルから。で、もうちょっと程度が重い人は25メートルから。本当に体が寝返りを打てるかどうかって人は1メートル前から、フラッグを取るタイムを競うんですよ。それがとにかく面白い。さらに、僕が玉木さんに聞いたのは、言語障害のある者同士で『早口言葉言い合って遊んでんねん』とか、障害者の言葉を聞き間違える若いヘルパーたちを笑い飛ばしているとか。そういう当たり前のことを当たり前のようにして楽しんでいる。またかくし芸大会みたいなのもやっていて。それをかなり本気でやるわけです」
 そんな話を番組の打ち上げで話しているとディレクターたちはみんな目がキラキラしている。「こんな風にやれば面白いよね」とバラエティ的な企画として話すとどんどんアイディアが膨らんでいく。障害者の当事者でもある玉木もノリノリだった。もちろん、酒の席の戯言。そこにいるほとんどの人が「実現したら絶対に面白い。けれど、それはムリだろう」と思っていただろう。だが、日比野は、玉木が乗り気であることで、もしかしたら可能なのではないかと思い始めていた。

「みんなザワザワしとったわ」

 そこで日比野は、『きらっといきる』の中で月に1回、それをバラエティ番組化することにした。
 その企画を部長の泉谷にもっていくと意外にも彼女は「ああ、おもろいやん。ええんちゃう」とあっさり了承した。
 泉谷は、日比野のその企画を、各部長が集まる部長会議で発表。重度言語障害者が何を言っているかを当てる「最強ヘルパー養成塾」や、精神障害の世界を描いたカルタ「幻聴妄想カルタ」などを説明したのだ。その会議から帰ってきた泉谷は事も無げに笑って言った。
「めっちゃおもろかったで。みんなザワザワしとったわ」
「とんでもない部長やなと思いましたね(笑)。だから、理解してくれる豪傑な上司がいて、非常に恵まれた環境だったというのはありますよね。ただ、根本的に『バリバラ』は、障害者を笑いものにする番組では決してないということと、福祉番組をどうやって新たな次元に持ち上げようかという、いわゆるチャレンジングな試みであるということはちゃんと分かっていましたから。そして、やっているメンバーが福祉をきっちりやってきた、ドキュメンタリーを経験してきた人たちばかりですから、差別的なところに絶対踏み込まないだろうという安心感があったと思うんですよね。こいつらがやっている限りにおいては、そこのところは間違えないはずだと。逆に普通のバラエティをやっている人たちがいきなり入ってきて障害者バラエティをやろうとしたら、『ちょっと待て』となったかもしれないですけど」

  

「笑ってあげよう」と思わせたらアウト

 しかし、企画を思いついてそれにGOサインが出たからといって、実際に実現させるためには相当な覚悟が必要だったはずだ。だが、日比野は、「そんなになかったですよ」とあっさりと言う。
「誤解されるんじゃないかというような不安や恐怖はないことはなかったけど、それよりも、やってみたいという好奇心のほうが勝ってた。だって、日本のテレビ番組史上、きっと誰もやったことないことだから。それは、テレビマンとしてやってみたいジャンルである。悔しがる連中は絶対いるはずだというのもある。そして、それは実は僕たちしかできない、という自負もある。
 僕もテレビっ子で『オレたちひょうきん族』や『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』とか『進め! 電波少年』とかをずっと見てきたから、できるだけ冒険的なものをやりたいと思ってきた。いつでも自分のやりたいことをやりたいという気持ちで、番組って楽しんでなんぼという感じを持ってやってきているので」
 たとえば、障害者たちが漫才やコントで競う企画「SHOW-1 グランプリ」が顕著だが、視聴者に「障害者ががんばってるんだから、笑ってあげよう」などと思わせてしまったら、絶対にダメだ。だから、ある意味でこの企画で芸を見せるのは、普通のお笑い番組以上にハードルが高い。
「だから、多分『SHOW-1グランプリ』に出ている連中からすると、本当に障害者に一番厳しい人って日比野じゃないかってみんな思っていると思う。『あのプロデューサー、ホントに障害者に厳しいよね』みたいな(笑)。『これじゃ駄目だ。もっとこうしたほうがいい、もっとこうしたほうがいい』ってギリギリまでダメ出しをスゴいするから。彼らはいろんな障害があるので、その中には、変更が苦手な人たちもいるんですよ。最初に決めた通りにやりたいんだけど、台詞回しをちょっと変えるだけでも、それはそれで大変なわけです。でも、例えば『M-1グランプリ』とか、出たくても出られない芸人たちがたくさんいるわけですよ。そういう人たちの世界が一方であって、ある意味でそこからは排除されている彼らにとって、ここは1つの場なんです。そこでクオリティーを下げると次の『SHOW-1』がなくなるよ、と。『SHOW-1』って結局障害者ががんばってお笑いをしている姿を見て、笑ってあげる番組になったらアウトだから、それはディレクターも一生懸命やってくれた。最初の原型の台本から、そこからすごい練習と、ブラッシュアップは欠かさずにずっとやってましたよね」

  

生放送で寝たきり芸人を「放置」した理由

『24時間テレビ』の真裏で生放送した「感動ポルノ」批判の回では、スタジオに寝たきり芸人「あそどっぐ」がカッパの格好で、一言も喋らず、司会者たちからも何の説明もなく、ただそこにいるだけという演出をあえて行った。
「寝たきりだけど、彼はプロの芸人だから、なんでもやるし身体も張ると本人も言うんです。じゃあ、寝たきりの人を生放送でずっと一言もしゃべらせずに放置するのはテレビ史上絶対にないからやってみようと。テレビのおもしろさって何かっていうと、『何だろう。どうなるんだろう。あいつは何だろう』っていうようなザワザワした感じだと思うんです。『あの寝たきりは何だろう?』と思わせたほうが、やっぱり、見ている人も関わろうとする。自分から調べてくれるじゃないですか。あの放送の後、Yahoo! の検索で『バリバラ』と入れたら第2検索ワードに『カッパ』って出るようになりましたから(笑)。
 ちょっとそういう悪戯をやってみたかっただけっていうのもあるんですけど、そこには1つ、やっぱり大きな意味があって。『障害者って何だろう?』って、知らない人が考えてくれる、そこが一番大切だと思っているんです。感動しなくたって障害者ってそこにいるわけですよ。面白くもあったり、訳分からなかったり、いろんな部分があって、今までの自分が持っていた障害者像を壊してもらう装置としては抜群な装置なんですよね。
 僕らはほんとに疑問形でいいと思っているんです。答えを出すつもりは全くないので。障害者問題って答えがない問題なので、それぞれが考えなきゃいけない。われわれが伝えたいのは、障害者をはじめとするマイノリティの人たちは、決して自分たちと別世界にいるんじゃなくて、同じ世界にいる人たちなんだということなんです」
 

ひびの・かずまさ/1964年、京都府出身。1990年にNHK入局。現在、NHKプラネット近畿総支社番組制作センター統括部長。『バリバラ』制作者として放送文化基金賞、日本賞ノミネート、ギャラクシー賞奨励賞を受賞しており、今も『バリバラ』の制作に関わっている。

  


これからも見ていきたい番組です。

2017年3月30日 (木)

今度こそカラスは産卵したぞ

 

今日は3月30日。

  

昨日3月29日、地元でツバメが飛んでいるのを見ました。

ツバメの初見日でした。

2年前も同じ日でした。

  

ツバメも気になりますが、今はカラスも気になります。

  

カラスの産卵の可能性について以前書きました。

ここでも道草 カラスの産卵があるかも/カラスの巣の観察スタート(2017年2月21日投稿)

その後、カラスが巣にいないことが多く、産卵はしなかった?

そうは思いつつも観察は続けていました。

  

そしたら、修了式の前に見てみたら、カラスが巣でじっとしていました。

動きません。今度こそ産卵をして温めているのかなと思いました。

修了式の日に黒板で、漢字カードを取って貼る授業をしました。

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↑その時の黒板です。

この授業の後、観察に行きました。

子どもたちは、巣の中にじっとしているカラスを観察できました。

  

その時に撮影できなかったので、子どもたちが帰った後に、

写真を撮りに行きました。

そしたら、カラスが巣にいない・・・・・

でもすぐ下にいました。

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この後、カラスは巣に戻り、また卵を温めているようでした。

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28日、29日、そして今日も観察しましたが、

カラスは必ず巣にいました。

カラスの孵化は何日くらいなのでしょう。

調べました。

練馬区HP カラスの生態・習性

ここから引用します。

 

カラスには、巣を作り子育てをするため、

つがいで暮らす時期(繁殖期)と

集団で行動する時期(非繁殖期)があります。

繁殖期は大きく4つに分類できます。

(1)3月~4月 巣材を運び、巣作りをする時期

(2)4月~5月 産卵し、卵を温める時期

(3)5月~6月 卵が孵化し、ヒナを育てる時期

(4)6月~7月 幼鳥の巣立ち時期

非繁殖期は、カラスは集団で森の中にねぐらを形成します。

その規模は、冬期に大きくなるようです。

(中略)

カラスの卵は、ウズラの卵大で、

くすんだ緑色を帯びた褐色地に黒い斑点模様がついています。

卵の数は3個から5個です。

卵が孵化するまでの約20日間は、メスが卵を抱き、

オスはひたすらメスに食べ物を運んできます。

ヒナが孵ってから巣立つまでの約1ヶ月間は、

オス・メス両方が食べ物を運び、ヒナの世話をします。

カラスの警戒心が最も強くなるのもこの時期で、

巣のそばを人間が通ったときに攻撃を受けることが多くなります。

幼鳥は、巣立ってからも1週間から2週間は

親から食べ物をもらって家族単位で生活していますが、

その後は独立して集団に入り、その年の子育て期間は終了します。

産卵は年1回です。

  

勉強になりました。孵化まで20日間。

孵化してから子育てが1か月間。

ゆっくりあせらずに観察ができそうです。

  

上記引用文の中で、「孵ってから」は何と読むのだろうと思いました。

「かえってから」でいいのかなと予想して調べたら、

正解でした。やったね。

  

  

教えていた子どもの中で、

通学路の電柱の上にカラスの巣を見つけた子がいました。

学校の近くなので、時間を見つけてみんなで出かけました。

3月13日のことでした。

私の通勤路でもあるのですが、気がつきませんでした。

本当にあるの?見間違えでは?

半信半疑でしたが、実際に行ってみて、

子どもに言われて見上げたら、あった!

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こういうことに気づくことがいい。

よく見つけたねと2年の男の子を褒めました。

  

今年はカラスネタが多くなりそうですよ、このブログ。

ゆかりの場所巡り その8/龍潭寺 井伊共保公出生の井戸 方広寺

 

今日は3月30日。

  

前投稿に引き続き、

2月19日に大河ドラマ「おんな城主 直虎」の

ゆかりの場所を巡った報告をします。

  

龍潭寺へ行きました。

大河ドラマが始まって、私を含めて関心が高まったこともあって、

龍潭寺を訪れる人は多かったです。

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↑暖かい縁側でした。

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↑有名な庭園です。

墓所に行きました↓

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井伊直親の墓は他の場所にもありました。

浜名湖に流れ込む都田川の堤防の近くにあると聞きました。

調べると・・・

例えばこのサイトが参考になりました↓

まい~か浜松 浜松たんぽう

一部引用します。

 

『井伊直親公の墓』は国道257号線(通称・金指街道)

新祝田橋北岸の堤防道路を西へ300メートルほど行った

堤防の下にありました。

堤防の上からは細い道が整備されていますが

ゆっくり行かないと見過ごしてしまいそうな所です。

土盛の上に小さな石碑があり、その手前に

嘉永4年(1851)子孫の井伊直弼が

墓参に訪れたおり寄進された灯籠が一対ありました。(中略)

永禄5年(1562)、井伊家当主直親は今川氏が弱体化する中、

遠江を狙っていた徳川家康の誘いに乗りかけました。

そのことを家老の小野但馬守(小野和泉守の子)が

今川氏真(義元の子・今川家当主)へ伝えたため、

直親は氏真に疑われます。

疑いは新野左馬助親矩(今川氏の一族・井伊直盛の妻の兄)のとりなしで

一度は治まります。

直親はそのお礼のため従者19人とともに駿府へ向いました。

その途中12月14日に今川氏の譜代重臣で

掛川城主の朝比奈備中守泰朝に殺害されました。27才でした。

直親の遺骸は掛川からこの地に運ばれ

都田河畔で火葬されて墓が建てられました。

法名は大藤寺院剣峯宗惠大居士といいます。

  

全く知らなかった歴史が、

平成29年になってどんどん入ってきます。

でも地元ではとっくの昔からあった歴史なんですよね。

   

井伊家初代の井伊共保公出生の井戸は、

龍潭寺近くにありました。

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この石碑に何が書いてあるかわからず。

磯田道史さんなら、すらすら読めちゃうんですよね。

調べました。ここから↓引用します。

武将ジャパン 

井伊家36代の井伊直弼が

この地に訪れた時に詠んだ句だそうです。

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でも意味はわからず。

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ここで朝からの同行者kurarin maxと別れて、

1人方広寺に向かいました。

これが最後の訪問場所です。

井伊直親の妻の出身は奥山家。

その奥山家ゆかりの寺が方広寺です。

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↑大きなお寺です。ビックリ。

  

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↑楽しい石仏です。

 

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↑最初、方広寺を上から見た時に気になった赤い橋の中。

  

  

これで、ゆかりの場所巡り完了。

帰路につきました。

この帰路で、驚きのことがありました。

方広寺から県道で県境を越える手前でのこと。

このように、道に竹が被さっていました。

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これぐらいなら自動車で下をくぐれると思いました。

そしたら、自動車の衝突安全システムが稼働。

急ブレーキがかかって、自動車が止まってしまいました。

なぜ止まったのかはすぐにわかりませんでした。

しばらくして竹が原因だと思いました。

後ろに車がいなくてよかったと思いました。

運転手も驚く急ブレーキの停車なので、

後ろに車がいたら追突の可能性もあったでしょう。

ゆかりの場所巡り その7/地域遺産センター 紅屋 天白盤座遺跡

  

今日は3月30日。

今年度も押し迫ってきました。

新たなスタートは4月3日なので、

あと4日間。やりたいことはいっぱいある。

  

前投稿に引き続き、

2月19日に大河ドラマ「おんな城主 直虎」の

ゆかりの場所を巡った報告をします。

  

井伊谷城跡を下りてきて、地域遺産センターへ。

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↑この特別展を見てきました。

ここでなぜ直虎が女城主になるまでのいきさつを

より詳しく知りました。

桶狭間の戦いで、直虎の父・22代直盛戦死。

その後、23代目は直親(なおちか)。

直親の死は、謀反の嫌疑をかけられての殺害。

詳しいいきさつを知りたいと思いました。

次は誰が井伊家の中心になたかというと、

ここで20代目の、直虎にとって曾祖父にあたる直平でした。

かなりの高齢だと予想されます。意外です。

もう他に男子はいなかったのでしょう。

まだ幼い直政の後見役となります。

ここもどのようないきさつなのだろうと思いました。

PhotoNHK「おんな城主 直虎」HP 相関図

(亡くなった人は白黒写真になっていました)

 

この特別展で抱いた疑問は、ちょうど3月26日の放映

おんな城主 直虎 12話 おんな城主直虎」で、

解決しました。いきさつを見ることができました。

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Rimg3811 ↑大河ドラマ「おんな城主 直虎」より

  

ただ、直平の死についてはドラマでは詳しくは語られませんでした。

出陣した陣中で「不思議な死をとげる」と

ナレーターは言っていました。

説明があるかなと思ったら、次の話になってしまいました。

  

気になる。直平の死について調べました。

Wikipedia 井伊直平

ここには「直平の死諸説」という項目が起こされ、

服毒死、討死、病死など諸説書かれていました。

脚本家も決めきれず、「不思議な死」としたのでしょうか。

  

特別展の後は、同行者の勧めでこの店↓に行きました。

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紅屋(べにや)です。

名物の「みそまん」を買いました。

  

次は渭伊神社・天白盤座遺跡へ。

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↑渭伊神社

  

そして天白盤座遺跡↓

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ここに着いた時に、地元の人が、

同志社大学による発掘を見ていてことを教えてくれました。

この説明板にも、平成元年に行われた調査のことが書いてあります。

発掘調査のことは次のサイトに詳しく書いてありました。

渭伊神社(天白磐座遺跡)

一部引用します。

  

遺跡発見のストーリーは、辰巳和弘氏著の

『聖なる水の祀りと古代王権・天白磐座遺跡』(新泉社)に

詳細に記されている。

きっかけは『磐座紀行』藤本浩一著(1982、向陽書房)に掲載された、

渭伊神社の巨岩に関する短文と1枚の写真にあったという。

「引佐町(いなさちょう)歴史と文化を守る会(歴文会)」の

メンバーがこの本を目にしたことで、

薬師山の巨石群が磐座遺跡であると認識される。

昭和59年(1984)、磐座周辺は下草や丈の低い雑木におおわれ、

かなり荒れた状態にあったが、

歴文会が中心になって手入れが行われ、

祠(ほこら)が置かれ「磐座まつり」が開催される。

この手入れで、磐座周辺は現在の景観に回復され、

これが遺物発見の大きな布石となった。

昭和63年1月、引佐町の遺跡分布調査を行っていた

同志社大学の辰巳先生と学生5人が、巨石群に立ち寄った折、

学生の一人が地表に顔を出した土器の破片を発見した。

全員が自分の足元に目をやると、破片はつぎつぎに見つかり、

たちまち20点近い破片を採集する。

本格的な発掘調査は、翌年(1989)8月に

2週間余にわたって行われた。

この調査で4世紀(古墳時代)から13世紀(鎌倉時代)に至る長期間、

連綿と続いた祭祀場であったことが明らかとなった。

 

目の当たりにしてきたあの巨石群も、

1984年以前は草むらの中にあったのですね。

私が撮った写真です。

  

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↑岩と岩を繋ぐ綱に、紙垂(しで)がついていました。

木々がバックで見えにくいと思いますが、よく見てください。

  

大河ドラマ「おんな城主 直虎」の第1話で、

子どもたちが遊ぶ場面で、この天白盤座遺跡が出ていました。

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2017年3月29日 (水)

ゆかりの場所巡り その6/井伊谷城跡

 

今日は3月29日。

  

前投稿に引き続き、

2月19日に大河ドラマ「おんな城主 直虎」の

ゆかりの場所を巡った報告をします。

  

次に行ったのが井伊谷城跡でした。

登り道は良く整備され、立派な手すりもあって、

高齢者の見学者にも優しい道でした。

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しゃれた手すりでした。

いつまで新品状態でおれるのかな?

なかなか劣化しない素材のように思えました。

  

井伊谷城跡です↓

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城跡からの景色↓

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↑手前の木々が茂っているため、ちょうど龍潭寺が見えません。

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↑遠くにアクトタワーが見えます。

   

ここが井伊家の本城だったところ。

ドラマの主人公井伊直虎や取り囲んでいた人たちが

眺めた景色なのでしょう。

  

  

井伊谷城跡から、先ほど登った三岳山も見えました。

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とにかく高い所に住んで、

遠くまで見渡したかったのですよね。

戦のある時代だから。

井伊谷城跡はほどよい高さだったことでしょう。

  

ゆかりの場所巡り その5/いよいよ立須

  

今日は3月29日。

  

前投稿に引き続き、

2月19日に大河ドラマ「おんな城主 直虎」の

ゆかりの場所を巡った報告をします。

  

三岳城址の後に行ったのが、この日最も行きたい場所であった

立須(たちす)です。

今までにもブログで話題にしてきました。

ここでも道草(2017年2月12日投稿)

魅力的な場所です。

いよいよそこに向かいます。

  

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↑立須の入り口では、風力風車がブンブン回っていました。

この入り口から程なく、目の前にゴツゴツした岩の塊が見えてきます。

いよいよあの場所です。

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早足で岩を登っていきました。

そして広く景色が見える場所に行き着きました。

ドラマのように、そこを飛び越えて向こうに行けるのは、

ドローンのなせる技。頂上に立ち止まって景色を眺めました。

  

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いい景色でしょ。

行ってみたい、見てみたい。

そう思ったことを実行できました。

  

先ほど登った三岳山山頂が見えました。

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そしてここでも富士山が見られました。

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下山後、下からこの立須付近を見ました。

さぞ、白く目立っていると思いましたが、

これがそうではなかったです。

その場に立たないと良さのわからない場所でした。

誰がこんないい場所を見つけたのでしょうね?

 

  

2017年3月28日 (火)

ゆかりの場所巡り その4/三岳山 三岳城址

  

今日は3月28日。

  

前投稿に引き続き、

2月19日に大河ドラマ「おんな城主 直虎」の

ゆかりの場所を巡った報告をします。

  

井伊氏が築いた三岳城(みたけじょう)址に行きました。

三岳山の頂上にあった城です。

三岳神社前の駐車場に車を駐めて登りました。

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↓これが三岳山頂上、三岳城の一の城本丸跡です。

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見晴らしのいい山でした。↓

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同行者のkurarin maxさんが、

この頂上から富士山が見えるよと教えてくれました。

ただ簡単には見つからないとのこと。

確かに簡単ではなく、ヒントを言ってもらって見つけました。

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2月11日にも富士山を見ているので、2週連続での富士山。

贅沢させてもらいました。

参考:ここでも道草 横浜を往復した日でした(2017年2月12日投稿)

  

  

三岳山下山後、立須(たちす)に向かいました。 つづく

ゆかりの場所巡り その3/久留女木小学校跡地のステージ

  

今日は3月28日。

  

前投稿に引き続き、

2月19日に大河ドラマ「おんな城主 直虎」の

ゆかりの場所を巡った報告をします。

   

久留女木の棚田を見た後に、久留女木小学校跡地に行きました。

運動場が、棚田を見学に来た人たちの駐車場になっています。

早朝だったこともあって、駐めていたのは私たちの車1台でした。

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この運動場には素敵なものがありました。

大きなモミの木と、その下にあるステージです。

これです↓

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明治12年開校で、閉校は2010年3月。7年が経ちます。

閉校式の様子を伝える映像がありました↓

  

最後は14名の児童だったようです。

  

閉校前、このステージで、

子どもたちが演奏する姿を見たいと思いましたが、

ネット上では見つかりませんでした。

このような映像もありました↓


YouTube: 『記念樹2015』 大正琴演奏

閉校後に行われた「モミの木コンサート」の様子を伝える映像です。

「記念樹2015」という曲にも物語があるようです。

次のサイトを見てください↓

ノッキーのバンドとネコのブログ 大正琴の演奏による「記念樹2015」

  

少し道草ができました。

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