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2017年1月19日 (木)

「真田丸」シリーズ31 次の大河ドラマの宣伝シーン/久々のオリオン座

 

今日は1月19日。

  

今週の月曜日の晩は、9時半くらいまで仕事。

帰宅しようと勤務校の玄関から外に出た時に、

一緒にいた人が「オリオン座がよく見える」とつぶやきました。

その言葉で、私も空を見上げました。

  

この時期、この時間、

オリオン座はどこにあるかは承知しています。

その位置にオリオン座はデーンとありました。

  

お久しぶりです。

この冬、オリオン座を見たのはもしかして初めて。

ご無沙汰していました。

そうだよ、この時期には、オリオン座を眺めながら、

自転車で帰ることが多かったのに。

どうやらこの冬は心に余裕がないようです。

ビックリするくらい、オリオン座のことが頭になかったです。

何かと忙しい日々だけど、

オリオン座を眺めるくらいの余裕は持ちたいですね。

  

そして道草をしよう。3日ぶり。

  

  

1月6日放映の「歴史秘話ヒストリア おんな城主 直虎のイロハ」を

見ました。

今年の大河ドラマ「女城主 直虎」の主人公、直虎が

どんな人なのかといった基本的なこと(イロハ)を知りました。

直虎は、井伊家を存続させた人なのですね。

女城主として3年間、その後は徳川家の家臣になれるように、

井伊家の少年を立派に育て上げて売り込むこともしています。

その少年が井伊直政(なおまさ)。

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井伊直政は、家康家臣となってからは、家康天下取りに貢献。

徳川四天王の一人と称されました。

武田家の兵法を受け継ぎ、鎧の色は朱色とし、

「井伊の赤備え」と呼ばれました。

赤備えを纏(まと)って兜には鬼の角のような立物をあしらい、

長槍で敵を蹴散らしていく勇猛果敢な姿は

井伊の赤鬼」と称され、諸大名から恐れられました。

※参考:Wikipedia 井伊直政

  

井伊直政は関ヶ原の戦いでも活躍しましたが、

その2年後に亡くなります。

しかし、井伊家は徳川家の重要な家臣として存続し、

大坂冬の陣では、直政次男の直孝が出陣しています。

ここで大河ドラマ「真田丸」のシーンが思い出されます。

  

昨年11月13日放映の45話「完封」から聞き書きします。

  

要塞「真田丸」の櫓の上で、徳川軍を見る真田幸村と高梨内記。

Rimg2353  

幸村:壮観だな。

内記:相手に不足はござりませぬ。

  あちらにも赤備えがおりますぞ。

Rimg2354

幸村:あれは井伊直孝の陣。

  かの井伊直政の次男坊じゃ。

内記:井伊でございますか。

幸村:向こうにも、ここに至るまでの物語があるんだろうなあ。

Rimg2355

内記:一度聞いてみたいものですなあ。  

  

  

三谷幸喜さんのくすっと笑える企てがありました。

ちゃっかり次の大河ドラマを宣伝していました。

幸いにも「ここに至るまでの物語」を聞く機会を得た身として、

これから1年、「女城主 直虎」を見ていこうと思います。

  

  

4週間ごとに通っている内科の病院の待合室には、

毎年大河ドラマのガイドブックが置いてあります。

17日に行ったら、「女城主 直虎」のガイドブックが置いてありました。

さっそく見ました。

直虎は織田信長と同世代と書いてありました。参考になりました。

織田信長は1534年生まれで、

1582年6月に本能寺の変で亡くなりました。

直虎は1536年前後に生まれたとされていて、

亡くなったのは1582年の10月です。信長の没年と同じです。

ちなみに徳川家康は1543年生まれ。

豊臣秀吉は1537年生まれ。

三英傑が目立っていた同時代に、頑張っていた人でした。

さあ、今日も1日、私も頑張ろう。

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