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2016年12月29日 (木)

「真田丸」シリーズ30  里山は荒廃していた

  

今日は12月29日。

  

前投稿に引き続き

12月1日放映の「片岡愛之助の解明!歴史捜査 

真田丸 総決算!大坂の陣はいかにして起きたのか?

家康VS秀頼の真相に迫る!」より。

  

聞き書きしていきます。

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ナレーター:徳川対豊臣。

  材木をめぐる知られざる戦争を、歴史捜査。

  社寺造営のメリット②家康の天下普請を妨害。

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  実は豊臣家が社寺造営にいそしんでいた時期は、

  家康が天下普請で次々に築城していた時期に重なる。

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  築城も社寺造営も同じく大量の材木を必要とする。

  このため、両者が同時に行われれば、当然材木の供給が

  ひっ迫することは想像に難くない。

  実際、この2つにより、想定外の事態が起きていた。

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  徳川方と豊臣家で材木の争奪戦が起きていたというのである。

  

  豊かな森に恵まれているというイメージのある日本。

  材木の争奪戦が起きる状況とは、

  どのようなものだったのだろうか?

    

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  太田猛彦先生。

  森林をさまざまな角度から研究。

  国土の歴史的な変化にもくわしい。

  その時代、森林には大きな変化が起きていたと言う。

  

太田:まあ、木はですね、用具の材料だとか、

  また炭や薪などの燃料としても使われてますので、

  本当にもう、なくてはならない資源だったと思います。

  そのために、木はどんどん伐採されてですね、

  もうこの頃にはですね、日本の森はもう荒廃しきっており、

  特に里山ははげ山になっていたというふうに思います。

  

ナレーター:そういう危機的な状況が浮世絵に描かれていた。

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太田:この浮世絵は、皆さん誰もが知っている歌川広重の

  「東海道五十三次」の中の1枚。「平塚」の絵です。

  後ろに山が描かれていますけど、遠くの方の山だから

  あんな風に書いてあると皆さん思っていたじゃないでしょうか。

  背後の山ははげ山です。

  もちろん京都の北山も東山もほとんど木がありませんでした。

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ナレーター:現在、燃料だった里山の木は、

  石炭・石油が出てくるまで、徹底的に伐採され、

  山が荒廃した状態が明治・大正になっても続いていた。

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  そんな貴重な材木の奪い合いが、

  徳川・豊臣の間で発生したことが、

  徳川方の文書に残されている。

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  文書によると、徳川方と豊臣家で紛争が起こり、

  検使の派遣を要するほど、問題がこじれたことがわかる。

  大坂の陣にはるか前から、すでに徳川と豊臣は、

  経済などで冷たい戦争と言える状態になっていたのである。

  

以上で聞き書き終了。

日本の里山は荒廃していたという説は驚きです。

地元の愛知県の資料も出てきました。

里山の登山をしている身としては、写真のはげ山は意外でした。

浮世絵のはげ山も、今まで意識していなかったので、

いい視点を与えてくれたと思っています。

  

  

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