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2016年2月20日 (土)

京都の禅寺の庭がきれいな理由

 

今日は2月20日。

さきほど5分間ほどインターネットが不通状態となりました。

おかげで20分ほどかけた投稿が消滅。ショック。

でもくじけず同じものを打ち始めます。

あの不通状態は何だったんだ?

  

  

「英雄の選択」という番組がお気に入りになって、

このブログでもたびたび登場するようになりました。

今回も書きます。

昨年6月25日放映の「英雄たちの選択 迷えるカリスマ足利尊氏

京都か鎌倉か?幕府創設の決断」について。

この回については以前も書きました。

※参考:ここでも道草 根拠のない過剰な報酬・けなしがカリスマを生む(2015年12月12日投稿)

↑この時に書いた内容以外にも、

時々頭の中に浮かんでくる内容があります。

気になって印象に残ったのでしょう。

脳が必要としていると判断して、忘れちゃいかんぞと、

時々思い出させているのでしょう。

書き留めておこうと思います。

  

  

足利尊氏は武家として初めて政権を京都に置きました。

室町幕府です。

その結果、地方から多くの武士が京都に移り住んできました。

京都では平安時代からの公家文化と、新しい武家文化の融合があり、

独特の文化ができてきました。

「生け花」「能楽」「茶の湯」

こういった日本の伝統文化の礎が作られたと言われます。

  

番組ではこういった話の後に、井上章一さんが話されました。

その話が印象に残った内容です。聞き書きします。

 

Img_0172_2  

ちょっと時代が下がりますけど、

織田信長は本能寺の変で明智光秀に討たれますよね。

本能寺というお寺に泊まっているんですよね。

ホテルがないから寺に泊まるんでしょうね。

特に武士団の(京都での)宿泊が、

文献上現れるのは、南北朝時代からなんですよ。

つまり足利尊氏の時代からお寺は事実上のホテルになるんですよ。

京都の禅寺の庭ってみんなきれいでしょ。

よく手入れしてあるでしょ。

あれは、武士団をもてなすための、ホテルのおもてなしなんやね。

茶だってお花だってお能だって、そういう側面はあるし、

結局、武士が京都に来て寺を定宿にすることによって、

京都もそれなりに生まれ変わったんですよ。

Img_0171

  

  

修学旅行の引率でお寺を見て回り。庭も見ました。

この井上さんの話を聞いて見たら、

泊まったであろう武士の視点で見れて面白そうです。

  

「英雄の選択」はyoutubeで見られます。

近い将来見られなくなる可能性大ですが、

上の聞き書きは下記のyoutube映像の40分過ぎからの場面です。


YouTube: 足利尊氏「迷えるカリスマ・足利尊氏」

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