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2015年9月26日 (土)

「沖縄戦全記録」からの聞き書き2/軍官民共生共死ノ一体化

  

今日は9月26日。

  

昨日のつづきで2015年6月14日に放映された

「NHKスペシャル 沖縄戦全記録」の「防衛召集」の部分を

聞き書きします。

  

ナレーター:「根こそぎ動員」とも呼ばれるこの方針。

背景にあったのは、大本営のある決定です。

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沖縄戦の半年前、大本営は第三十二軍から(沖縄)本島の

3つの師団のうち、1つをのぞき台湾の防衛に当たることを命じます。

深刻な兵力不足に陥った第三十二軍。

防衛召集によって兵力を補っていったのです。

※第三十二軍↓

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「軍官民共生共死ノ一体化」

沖縄全体で軍民の一体化が推し進められました。

  

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首里の防衛線があった場所に今も残る日本軍地下壕。

アメリカ軍の圧倒的な火力を避けるため、

地下に隠れて敵を待ち伏せする作戦をとりました。

こうした地下壕で軍民が混在する状況が生まれ、

住民の犠牲がさらにふくらんでいったのです。

  

 

防衛召集の実態を間近に見ていた元日本兵がいる。

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首里の防衛戦で戦った浜本俊則元上等兵。

部隊は9割以上が戦死した。

防衛召集者たちは、装備も不十分なまま

戦場に送り出されていたと言う。

 

浜本「軍事訓練だって知りませんよ。」

   「間に合うわけがない。その日から実戦ですから。」

   「そういう意味ではかわいそうだったよね。」

   「一番危ない仕事をしていたよね。」

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   「弾がいつ来るかわからない。そこへ出て行けばあぶない。」

   「出されれば危険にさらされるわけですよね。」

  

  

どのような危険な仕事をしていたのかは、

浜本元上等兵の話では語られていません(番組中では)。

でも防衛召集を実際に受けた人の証言テープとか資料によって

わかってきました。そのことは次の投稿で。

  

「共生共死」という言葉について。

「きょうせい」とうてば「共生」という言葉が出てきます。

「共生」は障害者も積極的に参加できる社会のことを

「共生社会」というように、今も生き残っている言葉です。

「きょうし」とうてば「共死」という言葉が出てくるのか?

出てきたらちょっと残念だと思いました。

死後になってほしい言葉だと思ったからです。

  

「きょうし」とうって変換。

「共死」はありませんでした。ホッとしました。

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