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2015年6月

2015年6月29日 (月)

「齋藤」「斎藤」「斉藤」「齊藤」いろいろあり

  

今日は6月29日。

6月が終わるまでにやりたいこと、やらねばならないこと多々あり。

頑張ろう!

  

昨晩は天気が良くて星がよく見えました。

晩の8時に西の空で輝く2つの星。

木星と金星です。

いま、2つの惑星が接近しています。

7月1日に最接近です。

ただ並んで輝いているだけなのですが、見とれてしまうのです。

ー4等星の金星、ー2等星の木星は目立ちます。

もう一つ。月と土星が今晩接近するようです。

これも見逃せない。

  

  

話は変わって・・・

同僚の先生に「さいとう先生」がいました。

「齋藤」と書いていました。

「齋」は難しい漢字です。

でも同僚の先生だったこともあって、この字を書く機会が何度かあって、

今では書けるようになりました。

  

なぜいろいろな「さいとう」があるのか?

「齋藤」「斎藤」「斉藤」「齊藤」・・・

明治時代の初めに、庶民が苗字を正式に申請する時に、

口頭で「さいとう」と申請したために、

たとえば本当は「斎」なのに、役人が知っている漢字で書いたために、

間違った「斉」「齋」「齊」の字が使われたこともあったそうです。

なので「斉」「齋」「斎」「齊」といった具合にいろいろな漢字の「さいとう」さんが

誕生したとちょっと前にテレビで見ました。

※2015年5月24日放映「この差って何ですか?」です。

写真を並べてみます。

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この4種類の「斉」「齋」「斎」「齊」についてこだわって調べた人がいました。

  

メルマガ「言葉拾い」です。※参考ブログ 言葉拾い

昨年の11月2日に届いたメルマガを引用します。

 

    <<< 今 日 の 言 葉 >>>


■ どのさいとうさん? ■


“さいとう”さんと聞いたら、


どの字のさんとうさんなの?と思ってしまいます。

いろいろな字体があって紛らわしいと思うくらいで、

特に疑問も持たずにきてしまいました。

同じなのか、違う意味をもった漢字なのか、いざ確認です。


「斉」「斎」「齊」「齋」と並べてみると、

昔の難しい字体から簡略化へ変貌したみたいに見えますが違います。


「斉」と「斎」はまったく別字で、

斉=齊(斉の旧字体)

斎=齋(斎の旧字体)という関係です。


(「斉」「齊」)(「斎」「齋」)という括りになります。

「示」があるなしに注目。

意味を見ると、

「斉」セイ
 凸凹がなく等しくそろっている。そろえる。ととのえる。

斉唱・一斉・均斉


「斎」サイ
1、神仏を祭るとき、心身を清める。ものいみ。
2、祭事を行う。
3、ものいみや読書などをする部屋。
4、精進料理。僧の食事。とき。


「斎(齋)」は用法によって読みが異なります。

●斎(いつき)
1、心身を清めて神に仕えること。またその人。
2、神を祭る所。

●斎(ものいみ)=物忌み
神事などのため、食事や行動を律し心身のけがれを除くこと。

●斎(とき)
1、仏教寺院における食事。
2、仏事の際に寺院で出される料理。


もともとインドの仏教では、

出家者は正午を過ぎてから食事をしないという戒律があり、

“食すべき時の食事”の意が「斎」(とき)でした。


子供の頃、不思議な語として聞いた「おとき」が「御斎」なのでした。


斎藤という苗字は平安時代中期の武将・藤原利仁の子、

藤原叙用が斎宮頭となったことから、

「斎」宮頭の「藤」原ということで斎藤を称したのが始まりです。

「斎宮頭」とは伊勢神宮に奉仕する未婚の皇女・斎王をお世話する

役所・斎宮寮のトップのこと。

斎藤さんは藤原家の斎宮に仕えた人達の祖先なんですね。

付け加えると、「齋」は人名用漢字ではありません。
 
意味の上であきらかに違う「斉」と「斎」ですが、

江戸時代から「斉」が「斎(齋)」の略字として

用いられている例が見られるそうです。

ちなみに、西日本では「斉藤」さん、

東日本では「斎藤」さんが多いのだそうです。


以上です。

  

今晩11時59分から放映される「月曜から夜ふかし」

Photo

今回のネタの一つが「さいとう」のようです。

「ザ・テレビジョン」(KADOKAWA)から引用します。

  

「様々な情報を整理したい件」では、

さまざまな表記がある「さいとう」という名字の、

本来の字が明らかになる。

  

面白そうです。

同僚だった齋藤先生に教えちゃおう。
 

2015年6月28日 (日)

渥美線電車機銃掃射 証言者の声

  

今日は6月28日。

  

前投稿に引き続き、昭和20年8月14日にあった

渥美線電車機銃掃射に関する記事です。

  

サークルで、「証言 渥美線電車機銃掃射 ー1945年8月14日の記憶ー」

(豊川流域研究会)から、ひとりの証言者の声を読み合わせしました。

  

鈴木哲也さんの証言です。

鈴木さんは1932年9月30日生まれの82歳。

当時は成章中学1年生(13歳)でした。

  

一部引用します。

  

「69年の封印を解く」

あれから69年、今までにばあさん(妻)にも、

子供たちに話したことはありません。

私一人の胸に封印してきたことです。49p)

  

封印してきたことなんですね。

研究会のメンバーが思い立って調査を始めなければ、

ここに書かれている証言は得られなかった可能性が高いものなのです。

  

電車で通う時は天津(あまづ)から杉山の駅まで歩き、

そこから電車に乗りました。

7時台の電車です。

電車に乗ると、老津や大清水、植田、南栄の友達がいました。

上級生に「お前ら1年は、後ろで立っとれ」「1年が座るもんじゃあない」

と言われていましたので、上級生は座っていましたが、

僕たちは電車の後に固まっていました。 (50p)

  

研究会代表の山田さんが言います。

機銃掃射は、電車の後部から襲ったそうです。

成章中学の犠牲者が多かったのは、

この後ろに固まる習慣が災いした可能性があると。

  

 

田原駅から乗った電車は1両でした。

今でも覚えているけど、電車には151号、152号、153号があり、

僕らが乗ったのは152号でした。

空襲警報が解除されるまで、発車はしなかったと思いますが、

その後解除されたので、発車したのではないかと思います。 (52p)

  

当時の電車には、時刻表は実質なくて、

「安全な時に発車せよ」という状態だったようです。

機銃掃射された電車が、いったい何時頃に出発したのかはまだ不明です。

研究会のメンバーが調査中。

その糸口を、小中学校の学校日誌に求めていました。

昭和20年8月14日の学校日誌を調べて、

空襲警報が発令された時刻が書かれていないかということです。

さっそく自分の勤務校を調べようかと思いましたが・・・・・

戦後にできた新しい小学校でした。

まだ誕生してから30年余しか経っていません。

電車は空襲警報が出ている最中に発車したという証言もあり、

電車の出発時刻は解明したいことなのです。

  

  

僕は後ろの出入口のとこに立ち、

窓から外を見るのがいつものしぐさでした。

発車してすぐに汐川を渡り、昔の神戸(かんべ)駅を過ぎると、

遠くに小野田セメントや蔵王山が見えてきます。

飛行機が最初に目に入ったのは、まだ電車が動いていた時で、

それは確かです。1機じゃありません。

2機か3機、たぶん2機だったと思います。スピードは速かったね。

 

最初遠くに小さい機影は見えず、突然低空で現れたので、

「やいやい、敵の艦載機が飛んどるなあ」

「低いなあ。よく見えるなあ」「こっちへ来るかな」と言い合ったと思ったら、

バリバリーと来ました。

小野田セメントへの引き込み線の手前あたりだったでしょうか。

  

電車の中は煙でもうもうとし、視界はぼやけて、

中の様子はわかりません。よく見えないのです。

撃たれた瞬間、バアーと煙が上がったことを覚えています。

  

電車の後にある車掌室には青年学校をおりたての車掌見習いと

女車掌がいました。

真っ先に、この2人がやられ、頭蓋骨が飛び、頭がありません。

それはかわいそうでした。

壁の上の天井に、穴がボコボコに開いていたことを覚えています。

  

撃たれても、電車はしばらく走りました。

運転手の機転で「松林のあるところまで何とか」という気があったと思います。

止まったのは天白変電所の少し手前、踏切に差しかかったあたりでした。

(52-53p)

  

やはり戦争はなまやさしくないのです。

一瞬で頭が吹き飛んでしまう戦争。

この証言が将来戦争を止める一助になるはずです。

引用してきましたが、ここまでです。

皆さんも、研究会の本を入手したら、ぜひ読んでみてください。

またいただいた冊子を読んで、

引用したり思ったことを書いていこうと思います。

渥美線電車機銃掃射 現場

  

今日は6月28日。

  

前投稿に引き続き、昭和20年8月14日にあった

渥美線電車機銃掃射に関する記事です。

  

  

その場所はどこか?

「証言 渥美線電車機銃掃射 ー1945年8月14日の記憶ー」

(豊川流域研究会)の写真をを載せます。

Epson602  

yahooの地図に落としてみました。

Photo   

現場はわかりました。

以前に現場の北側の道は走っています。

近いうちに行ってみたいです。

  

現場には慰霊碑が建っているそうです。

その様子は「証言 渥美線電車機銃掃射」に載っていました。

Epson601   

左の写真です。

慰霊碑の裏面には「犠牲になった旧成章中学の生徒名」

「昭和三十七年八月建立 遺族一同」と書いてあるそうです。

しかし、豊川流域研究会代表の山田政俊さんが言うには、

探してはいるが、慰霊碑の関係者には出会っていないそうです。

50年余前のに作られた慰霊碑。

どのような思いで、そのようないきさつで作ったのか、知りたいですね。

  

右の写真は、機銃掃射を受けた電車です。

機銃掃射を受けた電車が、10年後も使われていたわけです。

驚きです。しかし、戦時中の機銃掃射とか、命を落とすことが、

今に比べてずっと多かった時代なので、

いちいち処分交換なんかしなかったのでしょうか。

物資だって豊富ではなかった時代でもあったから。  (つづく)

  

  

渥美線電車機銃掃射 聞き取り調査を始めたきっかけ

 

今日は6月28日。

  

昨日はサークルがありました。

ゲストが登場。豊川流域研究会の代表である山田政俊さんです。

サークルの先輩である山田さんにお願いして、サークルに来ていただいて、

昭和20年8月14日の渥美線電車機銃掃射についてのお話を聞きました。

きっかけになったのは、この投稿↓で載せた記事です。

ここでも道草 機銃掃射 1945年8月14日田原(2015年5月13日投稿)

  

昭和20年8月14日に田原駅を出発した電車が、

アメリカ軍の艦載機の機銃掃射を受けて、

15人が亡くなり、16人が負傷した出来事。

豊川流域研究会のメンバーが、この出来事を知ったのは、

田原駅創業90周年にちなんで研究会が作った冊子のための

聞き取り調査の時だったそうです。

聞き取りをした一人の女性の話が、機銃掃射の話でした。

  

渥美線の電車が田原駅を出発して2分。

神戸(かんべ)駅を過ぎ、豊島(としま)の天白(てんぱく)の

森の近くで米軍機に見つけられました。

高度を下げ、低空でダ、ダ、ダ、ダーと撃つ銃の音。

ドッドッドッ、また上空に向かい、そして低空へと。

立ち往生している無防備な電車に、

繰り返し機銃を浴びせてきました。」

(『聞き取りから知る三河田原駅90年史』67p)

  

この女性は、出来事の現場近くで、

防空壕に避難していて、目撃したそうです。

旧田原町史には、この出来事の記述はあったそうですが、

詳細なことは書かれていませんでした。

関係者からの聞き取りは行われていない出来事でした。

研究会のメンバーは、出来事の関係者が高齢になっており、

今聞き取り調査をしなければ、この出来事は埋もれてしまうと考え、

行動に移しました。

  

  

こうして出来事の関係者を発掘して、聞き取り調査に出向き、

その聞き取りを文字化して、最後には冊子に仕上げていったのです。

  

間に合った!という気持ちです。

きかっけは田原駅90年史の製作でした。

そこから一人の女性の話を得ることができ、

そのことをきかっけに、終戦前日に起こった痛ましい出来事の詳細が

たくさんの人の証言から蘇ってきました。

 

Epson603

↑ 「証言 渥美線電車機銃掃射 ー1945年8月14日の記憶ー」

A4版サイズ 110ページ

  

これが聞き取り調査の結果をまとめた本です。

サークルに1冊寄贈していただきました。

  

偶然得た一人の女性の話があったからできた本だと思います。

高齢ではあってもお話が聞けるうちに、

たくさんの方から証言が得られたことは幸運なことだと思います。

間に合って良かったです。

  

聞き取り調査や文字化がいかに大変だったか、

サークルで山田さんは話してくれました。

いかにしてこちらの聞きたいことを聞くか、

いかに正確に思い出してもらうか、

文字化するときにどの範囲まで行うかなど、

70年前の出来事の再現は簡単ではなかったようです。

昨年度は31人の方から聞き取り調査をして、

今年度も聞き取り調査を継続して行っているそうです。

山田さんは現在70歳。他の研究会のメンバーも同じような年齢だそうです。

聞く側のメンバーの年齢も高くなっており、

一連の作業もスムーズではないそうです。

でも引退後にも、このような素晴らしいテーマを見つけては

積極的に動かれる姿は羨ましく思えました。

自分も将来はこのような生き方をしてみたいと思いました。

  

もちろんその時の舞台は、この「ここでも道草」になると思います。

  

  

(次の投稿につづく)

「岩古谷トンネル」初体験/6月27日の夕焼け

  

今日は6月28日。

  

夜ふかしをしています。

明日もやること満載だけど、もう1本投稿。

  

昨日見た夕焼けの写真です。

  

昨日は用事で山間部を走りました。

親戚を巡ったのですが、そのついでに新しいトンネルを走ろうと思いました。

ここでも道草 設楽バイパス、ついにできたんだ(2015年6月7日投稿)

実行してきました。

  

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プレートを見ると、「2014年3月」とありました。

トンネル自体は、1年以上前にできていたのですね。

トンネルを含むバイパスが走れるようになったのが、

6月6日だったわけです。

怖~い堤石トンネルに比べ、

岩古谷トンネルは安全に快適に走れました。

完成まで18年かかった道を味わいました。

それはなんかあっけないほど短かったです。

それくらい道を直線にして短縮したということでしょう。

  

   

  

山間部にいるときは天気が悪く、雨にも降られました。

しかし、地元に戻ってくる時には、西の空の雲が切れてきて、

西日があたり始めました。

予感がしました。

今日の夕焼けは面白くなるぞ。

奥さんにも話しましたが、信じてもらえません。

でも予感は当たりました。

  

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↑2代目のフォレスターの天井に夕焼けが反射。

格好よく見えたので撮影。

  

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いかがですか?

  

さあ寝る。明日は5時起きで動き出す予定。

起きれるか?

「花カメラ」に投稿 ギンバイカ・コバンソウ・ニワウルシ・ネムノキ

  

今日は6月28日。

  

昨晩は勤務校のお疲れ様会でした。

会費が4500円。2次会が5000円。

よく飲み食いしました。しばらく?自粛。

  

今晩は久々「花カメラ」にいろいろ投稿しました。

  

ここにも載せます。

  

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6月14日に豊橋市で見かけたギンバイカ

サークル(21の会)からの帰り道でした。

花の名前を思い出すのに時間がかかりました。

ここでも書いています↓

ここでも道草 6月中旬の花々15/カランコエ・キンバイカ・オシロイバナ(2012年7月8日投稿)

  

  

  

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6月10日に通勤路で撮影したコバンソウ

毎年ここには咲きますね。

う~ん、「咲く」というイメージでははないなあ。

  

  

  

  

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昨日(6月27日)は愛知県の山間部に用事があって、

自動車で走っていました。

その時に一番目についてのはネムノキでした。

ネムノキの写真は後で並べますが、気になった木もありました。

上の2枚の写真に写っている木です。

ネムノキの隣の黄色の花を咲かせている木は何だろうと思い、

近づいてみたら、花ではありませんでした。

変色した葉のようなもので、その中には豆粒のようなものを含んでいます。

これって以前にも見た覚えがあります。

今回のこの機会に、「花カメラ」に投稿して名前を教えてもらおうと思いました。

名前がわかったら、この下くらいに、追記します。  

  

追記:さすが「花カメラ」 教えてもらいました・・・・「ニワウルシ」です。

    写真は花の後の実になった状態です。

  

  

  

  

  

それではネムノキ。

山間部を走っていて、こんなにネムノキがあるんだと思うほど、

あちこちにありました。

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↑手前にあるのだけでなく、向こうの方にもネムノキがあります。

  

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バックが薄暗いため、ネムノキの紅が映えます。

ネムノキを楽しんだドライブでした。

  

  

2015年6月25日 (木)

「ダーウィンが来た 生きもの新伝説」でオオムラサキの豪華映像

  

今日は6月25日。

  

6月21日放送の「ダーウィンが来た 生きもの新伝説」は良かったです。

サブタイトルは「シリーズ里山の宝石 美しきファイター!国蝶 オオムラサキ」

  

以前、オオムラサキの幼虫を手にしたことがありました。

ここでも道草 本物のゴマダラチョウとオオムラサキの幼虫(2009年2月8日投稿)

しかし上手に飼育をすることができず、

今の勤務校のエノキに放したことがありました。

あの幼虫はどうなったかな?

  

今回の「ダーウィンが来た 生きもの新伝説」は、

オオムラサキの幼虫のアップが次々に登場。

他にもたくさんの貴重な映像満載の、ワクワクして見た30分でした。

  

写真を並べます。

 

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↑4月下旬のエノキの根元。

枯葉の中で目覚めて活動を始めたオオムラサキの幼虫です。

こんなシーンが見たかった。

  

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↑木を登るシーン。糸を吐きながら登るそうです。

  

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↑エノキの葉を食べています。縦に食べています。

  

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↑こんなシルエットを見たら、大喜びだろうなあ。

  

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↑羽化です。美しい。

国蝶に選んで特別扱いしたくなります。

  

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↑産卵シーン。こんなにたくさんの卵を産んでいたのですね。

 

生まれた幼虫が、今度は根元に向かって移動。

枯葉に隠れて冬眠します。

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こんな映像を撮った人がうらやましい。

またオオムラサキやゴマダラチョウの飼育に挑戦してみたいなあ。

エノキって、なぜ選ばれたのだろう?

エノキにも魅力を感じます。

  

今日は1時間自習が入りました。

子どもたちにこの映像を見せたいと思います。

 

ちなみに昨日の写真↓

校門であいさつしていたら、アゲハの幼虫も持ってきた子がいました。

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この幼虫は何アゲハ?アオスジアゲハでいいのかな?

ミカドアゲハではとの説も?

5枚の葉っぱ全てに幼虫がはりついていました。

写真の幼虫はまだ小さいけど、

他の幼虫は大きく、すぐにでも蛹になりそうでした。

羽化まで上手に飼育できることを願います。

「歩く~たちつてと」が全校放送で流される

今日は6月25日。

  

今日の楽しみのひとつは、

勤務校でロバの音楽座の「歩く~たてつてと」が

全校放送で流れることです。

今日を含めて、6月いっぱいの4日間。

朝と2時間目の休み時間に流れます。

ほぼ5分の曲が、1日4回通り。20分。

なぜかって?  

生活委員会の活動なのです。

今月のめあて「しずかにあるこう かいだん・ろうか」の

守らせ方の一つなのです。

「歩く歩く」が繰り返されるところがいい。

しっかり聞かせて、

走らずに歩こうという意識を植え付けようという作戦です。

さあうまくいくかな?

まさか、この曲がこのような使われ方をするなんて、

ロバの音楽座の人たちも予想しなかっただろうなあ。

うまくいったら、ロバの音楽座の人たちにお礼を兼ねて伝えようかな。

ここでも道草 「歩く~たちつてと」生きるのは歩く速度がいい/道草宣言(2015年2月24日投稿)

  

  

生活委員会としては、他に「毎日アンケート」を実施。

1週間毎日、6つの項目を聞くことで、

目あてへの意識を高めようとしています。

アンケート用紙は今、手元にないので、後で下に添付します。

よかったら参考にしてください。

6月アンケートをダウンロード

 

アンケート用紙は、1週間教室の扉のところに貼らさせてもらいました。

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2015年6月23日 (火)

腸内細菌6.「腸内フローラ」聞き書き5.食物繊維はやっぱりいい

  

今日は6月23日。

沖縄慰霊の日。

  

  

6月17日の続きで、2月22日放映の

「NHKスペシャル 腸内フローラ解明!驚異の最近パワー」

からの聞き書きです。

  

  

井ノ原:

まずは肥満についてなんですけども・・・

  

伊藤裕さん(慶應義塾大学 教授):

肥満っていうのは、どうしても食べ過ぎの問題と、

それから運動不足という生活習慣の乱れというのが大きいんですけども、

最近はこの腸内細菌が、非常に注目され、大切なものだとわかってきましたね。

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我々と腸内細菌は一緒に住んでいるわけです。

で、食べたものを一緒にシェアしているわけですね。

ものが入ってきますと、腸内細菌がまずはそれを消化して、

先ほどの短鎖脂肪酸みたいなものをいっぱい作ってくるわけですね。

  

ああいうものがあるから、我々は太らずにおれる。

  

パパイア鈴木:

なんでしたっけ、あの・・バクテロイデス・・

他のメンバー:

あ、あった、あった。

(パパイア鈴木さんの腸内にもバクテロイデス存在)

  

伊藤裕教授:

まずはバクテロイデスがいたのはめでたいお話かと思います。

でも実際にはその数がどれだけあるかというのが大事で、

たくさん種類があって、その数が多い、バラエティを持っているというのが

非常に大事なんですね。

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パパイア鈴木:

バクテロイデスを増やす方法ってあるんですか?

  

伊藤裕教授:

キーワードは食物繊維なんですね。

なんとなく食物繊維というのは、大事だということは、知っとられると思います。

実は食物繊維というのは、腸内細菌のエサなんですね。

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最近、我々は食物繊維を取るのが非常に少なくなっていて、

日本人は基準量に達していないんですね。

で、そうするとエサが減ってくるんで、

腸内細菌は数を増やすことができなくなる。彼らのパワーが落ちるんです。

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パパイア鈴木:

でもこういう考え方って大事ですよね。

健康にいいんですよと言われても理解ができないけれども、

彼らにエサを与えるためには、何を食べたらいいんだと言うと、

愛着も湧きますし・・・

  

  

伊藤裕教授:

たとえばゴボウですとか、タマネギとか

アスパラガスといったああいう野菜ですね。

それから豆類ですね。

納豆とか大豆とか、ああいったものにも食物繊維がたくさん含まれているので、

是非ともとることをおすすめします。

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久保田アナ:

シワをとるというエクオール・・・

大豆を腸内細菌が分解してできるものなんですか。

  

  

伊藤裕教授:

そうなんですね。我々はもともと大豆をたくさん食べる民族だったんですね。

ですからエクオールをつくる菌をちゃんと持っている人が多かったんです。

ところが今、大豆を食べる人が少なくなってきて、

せっかくエクオール産生菌を持っていながら、

その恩恵にあんまりあずかれなくなってきている状況なんですね。

  

パパイア鈴木:

エクオールを産生する菌を持っていない人もいるんですか?

  

伊藤裕教授:

いるんですね。

  

宮崎美子:

自分に欠けている菌を摂取して、菌を新しく育てることはできないんですか?

  

伊藤裕教授:

そういう考え方が、これからはあると思います。

  

井ノ原:

最近、美魔女とか、いつまでも若々しい人が多いじゃありませんか。

そういう方たちって、腸内環境というか・・・

   

伊藤裕教授:

なかなか聞けませんけど、彼女たちって、きっと快食快便なんですよ。

エクオールを作る菌をたくさん持っておられる方は、

年齢がいくつになられても、たぶん魅力的なんだと思います。

  

  

久保田アナ:

それはもう体質でしょうがないのかなって思っていましたけど・・・・

 

伊藤裕教授:

そうですね、体質っていうと、我々は常に「遺伝子」と思ってしまうんですね。

だからもう仕方がないんだと思ってしまう。

でも実は、体質は腸内細菌が決めているかもしれないと・・。

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久保田アナ:

腸内細菌がいろいろな物質を出して、私たちの健康を保つために

作用していることがわかってきましたけど、

今出てきた「シワ」とか「肥満」の他にも「糖尿病」とか「ガン」とか

「アレルギー」とか・・・・

  

井ノ原:

今、腸内フローラが、医学の世界に革命を起こしているそうです。(つづく)

 

  

「食物繊維」を食べると、腸内がきれいに掃除されていい。

そんな話をよく聞いてきました。

繊維に腸壁につくカスをこそぎ落とす力があるのだと

勝手に想像していました。

しかし、腸内細菌のエサだったのですね。だから体にいいのです。

今まで抱いていたイメージは崩れました。

納豆を毎朝食べてきたことはいいことだったとあらためて思いました。

納豆は体に良い食べ物としてよく出てきます。すごい食べ物です。

2015年6月22日 (月)

6月22日のオコゼ・そうめんカボチャ・ツマグロヒョウモン

  

今日は6月22日。

  

勤務校の運動場にはナンキンハゼが6本植えられています。

その木に、厄介なものがやってきます。

  

イラガの幼虫のオコゼです。

  

そろそろオコゼが出てくる頃だと思って、

勤務日は毎日チェックをしていました。

オコゼチェックです。

  

そして今朝、見つけました。

おぞましきオコゼの群れを。

  

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↑ 緑の葉っぱの中に、白くなった葉を見つけました。

こんな葉っぱは非常に怪しい。

オコゼの被害にあっている可能性が大です。

  

やっぱりオコゼでした。

写真の拡大には、覚悟がいりますよ。

群れていて、鳥肌が立つかもしれません。

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今は7本中1本だけに被害が出ています。

しかし、例年全ての木にオコゼは発生します。

発生したら消毒をするそうです。

オコゼチェックは続きます。

  

  

  

そうめんカボチャを定植しました。

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定植したすぐ近くに、ツマグロヒョウモンが飛んできました。

そうめんカボチャの葉にとまった時もあり、

シャッターチャンスと思って撮ろうとしましたが、間に合いませんでした。

サツマイモ畑のツマグロヒョウモンです。メスです。

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教室前のサナギから飛び立った成虫・・・だといいなと思いました。

 

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