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2015年3月

2015年3月31日 (火)

浜松市美術館ですごい”青”を見ました

  

今日は3月31日。

  

あと2本投稿したい。

  

浜松の報告の続きです。

  

浜松市美術館に行った目的は、

三方ヶ原合戦立体絵巻を見ることでした。

しかし、せっかく1000円払って入館したので、

ちょうど開催されていた「絵画者 中村宏展」(~3月29日)も見てきました。

  

知識ゼロで鑑賞しましたが、引き込まれてしまいました。

特にこの絵がよかったです↓

Rimg1176_2

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作品名「HUDSON-C62」

写真は絵葉書ですが、本物はけっこう大きな絵です。

162.0×130.0cm。

機関車のバックの青が濃くて、

濃いがゆえにか目が離せなくなりました。

40年前に描かれた青なんですよね。

色あせしていませんでした、全く。

すごい青でした。忘れられない青になりました。

本来は東京にある絵です。見られてよかったです。

  

  

今回の企画展のパンフレット裏面です↓

Epson573_3  

その中の1枚の絵。

Epson573_4  

絵のタイトルは「国鉄品川」

絵の横にあった説明を読んでみてビックリ。

鉄道職員が持つのはバール。

そのバールで犬くぎを抜くのだと書いてありました。

見たばかりの番組「ブラタモリ」と繋がりました!

こういう偶然が楽しい。うれしくなります。

すぐに頭には、絵の登場人物が、

長いバールで犬くぎを抜くシーンが浮かびました。

犬くぎは、日本で普及したアメリカ製のカメ型犬くぎです。

  

  

浜松市では三方ヶ原合戦立体絵巻の

製作者山田卓司さんが作品が見られる

浜松ジオラマファクトリーに行きました。

その報告は、4月に入ってからにします。

  

浜松市の報告を中断して「ブラタモリ 京都 完全版」

  

今日は3月31日。

  

このブログ、そして「毎日タブレット」に春休みであることを利用して、

せっせと投稿してきました。

その春休みを大詰め。

  

浜松市の報告の続き。

なのですが、ちょっと話題が飛んで、3月27日に放映された

「ブラタモリ 京都 完全版」のことを書きます。

  

この番組を知ったのは、この時でした↓

ここでも道草 素晴らしい企画「琵琶湖疏水クルーズ!」(2015年3月8日投稿)

  

録画して見ました。

  

琵琶湖疏水のことは期待通り。

新しいネタを提供してもらいました。

もう一つ御土居(おどい)を初めて知りました。

  

琵琶湖疏水は、南禅寺~インクラインの散歩でした。

そのインクラインで、自分では見逃すものをタモリさんはちゃんと見ていました。

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インクラインでタモリさんは「犬くぎ」に注目しました。

レールを枕木に固定するくぎのことを言うそうです。

まずそれを知りませんでした。

どうやらタモリさんの知らない形の犬くぎだったようです。

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タモリさんが知っていた犬くぎがこれ↓

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亀の形に似た犬くぎです。

  

タモリさんの見たことがな犬くぎの方が、犬の形でした↓

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つまり、日本の場合、カメ型のアメリカ製犬くぎが多く、

イヌ型のイギリス製は少なかったようです。

イギリス製が「犬くぎ」の語源なのに、

そちらのほうが日本では普及していなかったのです。

ややこしい。

タモリさんが「アメリカ製を”犬くぎ”って言っちゃダメだよね」と

言っていました。確かに犬には似ていない。

  

インクラインには、2種の犬くぎがありました。次の機会に確認したい。

 

  

さらにさらに、タモリさんはレールに注目。

 

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レールに刻印が残っていました。

BARROW STEEL 6Mo 1887 272 ・・・・

 

イギリスのBARROW社 1887年製のレールを示していました。

明治20年だそうです。

1885年に着工して1890年に完成した琵琶湖疏水。

ちょうどその時に作られたレールでした。

 

Rimg1187 

どういうこと?

75ポンドレール?インクラインで初めて使った?

  

ここはよくわからなかったので調べました。

京都市上下水道局サイトにちゃんと説明がありました。

京都市上下水道局 所蔵品紹介 蹴上インクラインのレール

一部引用します。

インクラインにレールが敷かれた

明治22(1889)年当時の一般鉄道のレールは,

すべて60ポンドで, 75ポンドレールが採用されたのは,

14年後の明治36年のことです。

つまり,このレールは日本で最古の75ポンドレールであると考えられ,

産業遺産としての歴史的価値を持つと評価されています。

当館(=琵琶湖疏水記念館)地階の第二展示室では,

番組(=ブラタモリ)で紹介されたものと同型のインクラインのレール・犬釘をはじめ,

インクラインに関する資料を展示しています。

ぜひお立ち寄りください。

      

え、琵琶湖疎水記念館の地階って行ったけなあ。

行きそびれているかな。

やっぱり1回行ったぐらいじゃダメですね。

勉強していくと、見逃していることに気がついてまた行きたくなります。

(最近の浜松市も同様です)

  

長いけど、「ブラタモリ」のことを一気に書いてしまいます。

  

豊臣秀吉が造らせたという御土居(おどい)にビックリです。

京都の街を囲むように、このような大規模な御土居を造っていたのですね。

御土居の内側が洛中、外側が洛外だったそうです。

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こうやって特別に柵の中に入って、

御土居の上を歩けるなんてうらやましい。

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京都駅に行ったら確認ですね。ああ忙しい。

  

  

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↑これが御土居の上です。歩きたいなあ。

そう思っていたら、「京都市高低差崖会」のサイトで、

御土居ツアーの誘いがありました。

4月に3回予定されています。

Photo ↑京都市高低差崖会 ブラタモリ記念:4月・御土居ツアーを開催!

から転載

  

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「御土居餅」というのを食べるシーンがありました。

これまた食べてみたい。

「おどい」を「おいど」と言い間違えると、

とんでもないようです。

どうやら「おいど」とは「お尻」のことのようです。

語源由来辞典によると、愛知と近畿以西の方言にみられるそうです。

愛知もそうなの?

知らんかったよ。

 

  

以上で「ブラタモリ 京都 完全版」の印象に残ったことを書きました。

いい番組でした。

次の投稿で浜松市に戻ります。

  

  

 

  

御土居ツアー、参加できんもんかなあ。

  

三方ヶ原合戦立体絵巻「激突」

  

今日は3月31日。

  

前投稿のつづき。

  

さあ次は「激突」です。

 

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左が家康の陣地。右が信玄の陣地です。

 

磯田さんの動きを真似してみました。

家康の陣の裏からのぞいてみました。

 

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これが戦場なんですよね。

敵は上からやってきます。すぐ近くです。

長篠の戦いの古戦場に行って思ったことですが、

戦場は思ったより狭いです。

味方が守ってくれなければ、敵軍はすぐにやって来てしまいます。

味方を信頼すればこそ、どっかりと座っていられるのでしょう。

  

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↑家康のアップです。

どのような気持ちだったのでしょう?

  

それではガラスケース越しですが、撮影したものを載せます。

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↑信玄側から撮影

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↑信玄です

  

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↑戦場から逃げていく商人?

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アップで見ると、あらためてすごい仕事だなあと思います。

人形は2センチの高さ。たった2センチなのに、ちゃんと動きがあります。

それが450体!白く見えるのは雪なのだそうです。

山田卓司さん、すごいです。(つづく)

  

三方ヶ原合戦立体絵巻「敗走」

  

今日は3月31日。

  

前投稿のつづき。

 

行ってきました。浜松市美術館に行きました。

入場料は1000円でした。

すぐにでも「三方ヶ原合戦立体絵巻」を見に行きたかったけど、

1000円も払ったのだから、ちょうど期間中だった

「絵画者 中村宏展」もじっくり見ました。

ここでお気に入りの絵が2枚ありましたが、また後で書きます。

  

ありました、三方ヶ原合戦立体絵巻!

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あれ?「英雄の選択」とは違って、ガラスケースの中にあるぞ。

それに「英雄の選択」やニュースでは「出撃」「激突」が展示されていましたが、

今回は「敗走」と「激突」でした。

  

まずは「敗走」

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説明から一部引用します。

  

家康公を守るために家臣たちは次々と身代わりになって

何とか家康公を逃がそうとしました。

家康公は命からがら三方ヶ原を南下し、

玄黙口(げんもくぐち)(浜松市中区元目町)から

浜松城に入って難を逃れました。

  

この玄黙口は史跡として残っているようです。

浜松市 中区の魅力発見 玄黙口跡

このサイトに調査隊コメントとして興味深い話が書いてありました。

 

徳川家康が浜松城を築く時に、玄黙に門をつくって玄黙口と称しました。

三方ヶ原の合戦で敗れた家康は、犀ケ崖の手前に旗を立てさせ、

逃れ来る味方を集めて玄黙口から収容し、

自身も夏目次郎左衛門正吉が「我が家康なり」と名乗って

討ち死にする間に玄黙口から城に入ったという史実があります。

  

そのような出来事のあった場所に行きたいですね。

また浜松市に行きたくなりました。

  

  

ところで、「敗走」の人形のうち、家康はどれだろう?

明らかに家康だとわかるようでは、敵をあざむけないわけですが、

やっぱり先頭の立派な飾りの馬に乗った武者かな。

(つづく)

 

 

「窮すれば通ず」のこともう少し/家康くんストラップ

  

今日は3月31日。

 

いよいよ平成26年度最終日。

プラスマイナスいろいろでしたが、プラス多めの1年だったと思います。

そうだったと思い込みたいですね。

  

前投稿で「窮すれば通ず」のことを書きました。

もう少し詳しく知りたいと思って調べたら、次のサイトに行き着きました。

株式会社クロスリンク・コンサルティング コラム 第2回 窮すれば通ず?

  

磯田道史さんの話とだぶります。引用します。

  

取締役 野瀬 純郎 

「窮すれば通ず」という言葉がある。

行き詰まって困りきると、

かえって活路が見出されるというような意味で使われる。

何となくそんなものかなと思ってきた。

だから事に当たっては、まじめに、一人称で、逃げない、

さすればあとは何とかなるものだ、その程度で納得していた。

ところが、そんなふうに甘く考えてはいけないらしい。

出典は中国最古の書・易経で、

「易窮則変 変則通 通則久」とある。

「易は窮すれば則ち変じ、変ずれば則ち通ず、

通ずれば則ち久し」と読む。

つまり「窮」と「通」の間には「変」というプロセスがあるよ、

ということである。単に窮しただけでは通じないのである。

窮して、そして変わることによって通じるのである。

変わることが大事なのである。(後略)

  

ここにも「窮すれば通ず」をちゃんと理解している人がいました。

「取締役」と肩書きを書いておられます。

会社のサイトだからでしょう。

でもなんか不思議な感じだったので、一緒に引用しました。

 

 

でなでは、浜松市のことを書きます。

  

3月28日のことでした。

奥さんと娘と出かけました。

家族サービス?

送り迎えだけです。

浜松市のショッピングセンターに2人を送って、浜松市美術館に向かいました。

  

美術館の隣は浜松城公園になっていて、花見客でにぎやかでした。

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その公園で働いていたであろう「家康くん」を見かけました。

写真を撮らせてもらいました。

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実は後で美術館で「家康くん」のストラップを買っています。

ビールの泡を再現したもの。

どうも「家康くん」のお土産は値が高いと以前から思っていましたが、

今回は迷わず買いました↓ いいでしょう。

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432円でした。

  

この投稿はここまで。

 

2015年3月30日 (月)

三方ヶ原の戦い「負けても道はある 負けたからこそ開ける道もある」

  

今日は3月30日。

  

3月28日に浜松市に行ってきました。

浜松市に行きたいと思ったのは、三方ヶ原合戦立体絵巻のニュースです。

ここでも道草 「三方ケ原合戦立体絵巻」はどこに行けば見られる?(2015年3月8日投稿)

  

浜松市に行く前に「英雄の選択 大敗北が家康を天下人にした 

知られざる三方ヶ原の戦い」(3月12日放映)を見ました。

  

その時の写真を並べます。

浜松市博物館での除幕式。  

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幕の下から出てきたのは・・・・

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有名な「しかみ像」の等身大立体像です。

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今回は行けませんでしたが、次の機会には博物館に行って、

この立体像を見ておきたいです。

  

  

今度は浜松市美術館での写真です。

  

磯田道史さんが美術館に行き、立体絵巻を見ています。

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磯田さんは、家康の陣の背後から見ます↓

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位置的に武田信玄の方が高い位置にいます。

高い位置から波状攻撃を仕掛けてくる信玄軍。

家康側から見ると恐怖を感じたであろうと想像していました。

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磯田さんと同じ位置から自分も見てみたいと思いました。

魅力的な動きに思えました。

  

  

三方ヶ原合戦のいきさつも番組でやってくれました。

浜松城で武田信玄軍がやってくるのを待ち構えていた家康。

ところが信玄は、浜松城の目の前を素通りしていく。

家康は信玄軍の背後をつく奇襲をかけようと城から出た。

ところが目の前に信玄軍が待ち構えていた。

信玄の策略に引っ掛てしまった家康だったのです。

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家康は命からがら逃亡しました。

しかし、家康はこの敗北を後の人生に生かします。

関ヶ原の戦いの前に、石田三成を城から関ヶ原に誘い出したのは、

信玄のやり方と同じでした。信玄から戦法を学んだのです。

    

番組の最後に、磯田さんが言った言葉が心に残りました。

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「負けても道はある

負けたからこそ開ける道もある」

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「窮すれば通ず」という言葉にも触れています。

一般的には、この言葉の意味は、

「困った時は道は開ける」

「最悪の事態に陥ってどうにもならなくなると、

かえって活路が開けるものだということ。」である。

しかし、磯田さんはこう言っています。

 

たぶん家康が子どもの頃からよく読んでいたのが、

四書五経ですよ。その中に「易経」がありますよね。

『易経』になかに『窮すれば通ず』があり、

『困ったら道が開ける』という意味になっているけど、

日本人は、実は全部を知らなくて、

窮したら変わることができる、

変わることができたら道が開けるになるわけです。

変わるためには、自分が謙虚でなければいけない。

謙虚になった時、武田軍から学ぶとかして変われると思うんですよ。

それをやった者が、失敗しても失敗に終わらず、最後は成功する。

家康はそれを一番やったんじゃないかと感じました。

    

どうでしょう?

  

自分を振り返ります。

3回も病気で休んだ体験。それは窮した状態。

変われたのか?変わらなければ、同じ失敗を繰り返す。

謙虚にそれまでの自分の至らないところを変えていかなければいけない。

変わってきているとは思う。

せっかく窮したのです。もう怖いものなし。

変わりたいなあ。そして通じたい。

  

「英雄の選択」を見ました。

これで準備OK。浜松市に向かいました。

天皇皇后陛下が泊まられる巡視船

  

今日は3月30日。

  

気になっていたことをひとつ調べておきたい。

  

4月9日に天皇皇后陛下がペリリュー島を訪問します。

その前日に泊まる場所が、何と巡視船とのこと。

どんな船に泊まるのか興味がありました。

※参考:ここでも道草 4月9日に両陛下がペリリュー島訪問(2015年3月25日投稿)

  

調べてみました。

次のニュースが参考になりました↓

HUFFPOST「あきつしま」天皇・皇后両陛下がパラオで一泊する巡視船とは

 

宿泊する船は海上保安庁の巡視船「あきつしま」です。

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平成24年(2012年)7月に進水式があった新しい船。

翌年平成25年(2013年)11月に海上保安庁に引き渡されました。

その時の映像です↓

世界最大級の巡視船「あきつしま」海上保安庁に(13/11/28)
YouTube: 世界最大級の巡視船「あきつしま」海上保安庁に(13/11/28)

  

4月8日にはこの船のことが詳しく報じられるでしょう。

  

「鬱」が「常用漢字」に入った理由

  

今日は3月30日。

  

前投稿のつづき。

  

2月9日放映の「池上彰 が伝えたいこと 実はみんな知らない日本

そして生放送で『イスラム国』問題」より。

  

常用漢字の説明の中で、池上さんは「鬱」の字について触れました。

 

「鬱」なんてふだん書かない漢字です。

なぜ常用漢字に入ったかというと、

携帯やパソコンの普及でふだん書かない文字まで変換でき、

多くの人が読めるようになったからです。

この理由にびっくり。

ワープロやパソコンが普及した時に、

漢字が書けなくなる心配がありました。

その予想は当たったかもしれませんが、

読める漢字が増えるという副作用?があったのですね。

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そうやって、あらためて2010年に増えた漢字を見ると・・・

Rimg0933_2  

難しい漢字があちこちにあることに気がつきます。

読めても書けない漢字が多いです。

  

脊髄(せきずい)の「脊」

楽しい顔をした絵だなあ。

  

臆病(おくびょう)の「臆」

「臆する(おくする)」の「臆」でもあるんだなあ。

なぜ意に月がつくことで、マイナスの言葉になるのだろう。

  

韓国の「韓」も晴れて常用漢字になりました。

  

名誉毀損(めいよきそん)の「毀」

書けないよう。

  

「臼歯(きゅうし)」「脱臼(だっきゅう)」の「臼」

「臼」は「うす」だよね。

なぜ「脱臼」でこの漢字が使われるのだろう?

骨と骨の接合部分がずれるのが脱臼。

確かにその接合部分は臼のようになっているなあ。  

  

「真摯(しんし)」の「摯」

真摯はいい言葉です。

真摯はやっぱり漢字ですよね。

「しんし」じゃ伝わらないし、「真し」じゃ笑っちゃいます。

「当用漢字」「常用漢字」の歴史

  

今日は3月30日。

  

前投稿のつづき。

池上彰さんの番組で2月9日に放映されたものです。

池上彰 が伝えたいこと 実はみんな知らない日本

そして生放送で『イスラム国』問題」より。

  

当用漢字・常用漢字についての説明です。

  

太平洋戦争が終わり、占領国のアメリカが、

日本の教育を改革すべく教育使節団を日本に送り込んできました。

  

その時に無茶な要求が日本人になされました。

日本人は漢字、ひらがな、カタカナという3種類の言葉を覚えることが大変で、

科学的な発想法、科学の勉強をする暇がなかったのではないか。

だから日本は戦争に負けたんだ。

こんなたくさんの言葉を覚えるのはやめて、

アルファベット26文字を覚えるようにしたら便利。

なので、日本語をアルファベット表記にしなさいという提案がありました。

笑ちゃいますが、占領国の立場で来ると、こんな提案をしてしまうのですね。

上から目線です。

  

では当時の日本はどう対応したか?

さすがにアルファベット表記にするわけにはいかないので、

とりあえず当面用いる漢字というのを作って、

漢字を継続して使うことにしました。

これが「当用漢字」です。

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いずれ漢字はなくしますけど、当面使う漢字ということだったのです。

1946年のことでした。

「当用漢字」は1981年に常用漢字が登場するまで使われました。

Rimg0929  

私が学生で教えてもらっていた漢字は、

当面用いる漢字だったのですね。

まだ終戦の影響が残っていたのです。

  

  

1981年に日本の漢字の方針が変わりました。

池上さんはこう言っています。

 

「いやいや日本はやっぱり、漢字をこれからも使っていくよ。

当面用いる漢字ではなく、常に用いる漢字にしましょうと言って、

常用漢字に指定しました。」

「これは小学校・中学校の義務教育の時に、

おおよその文字が読めたり書けたりするようにしましょうという基準として、

この文字が作られました。」

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その後常用漢字は2010年に改定されて、2136字になりました。

義務教育だけでなく高校の漢字教育の基準になっています。

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常用漢字は公用文書や新聞雑誌などで使う漢字の目安にもなりました。

Rimg0932

前投稿で「竣工式」ではなくて「完工式」なのは、

「峻」が常用漢字にないからです。

常用漢字に入っていない文字を使う時には、

ひらがなにするか、漢字で書いた場合はルビを振るようになりました。

  

  

番組ではこんな例が挙げられていました。

「ら致」「破たん」「お辞儀」

なるほど。

  

  

常用漢字は2010年に追加されました。

Rimg0933  

これらの漢字を見ると、え、この漢字、常用漢字じゃなかったの?

という字もあります。

県名に関わる次の漢字もそうです。

Rimg0934   

今をときめく「嵐」も常用漢字ではありませんでした。

池上さんは言います。

  

「ひょっとすると、嵐が人気になって、

みんなが知るようになったから、(常用漢字に)入れようということに

なったかもしれません」「わからないけどね」

 

嵐のデビューは1999年。

SMAPよりも上に行くと関係者が言っていたけど、本当かなと思っていました。

予言は当たりました。人気では上を行っていますね。

25794432 デビューまもない頃の嵐  

(つづく)

   

 

「完工式」「竣工式」「落成式」はみんな同じ?

  

今日は3月30日。

  

3月27日の「東愛知新聞」の記事です。

Epson572  

特別支援学級担任ですから気になる記事です。

「豊橋市立くすのき特別支援学校」の完工式があった記事です。

本当は県立で建ててくださいと頼んでいたのですが、

愛知県がOKを出さなかったので、豊橋市が建てたいきさつがあるそうです。

FM豊橋のよっちゃんが27日の番組で言っていました。

それなのに、県知事が来て「きめ細やかな教育の実践をお願いしたい」

と挨拶したのはいかがなものかと苦言を少し言っていました。

  

「完工式」?あまり聞き慣れない言葉です。

調べてみました。

  

次の場所に面白いことが書いてありました。

YAHOO!JAPAN 知恵袋 竣工式、完工式、落成式、この言葉の使い分けを・・・

引用してみます。

 

工事が終わって完成したという、みんな同じ意味です。

ただ「竣工式」の「竣」は常用漢字にないので、

官庁などの公文書やマスコミは「完工式」と言い換えるか

「落成式」としています。回答者  ya14kuwa77さん)    

  

なるほど!

ここにも面白いことが潜んでいました。

ちなみに反対語は?

「着工」「起工」だそうです。

  

常用漢字、当用漢字について、

先日の番組で池上彰さんが解説してくれていました。

いい機会なので、ブログに載せようかな。次回の投稿で実行します。

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